No.46 万華の狂言、あるいは断絶の悲鳴
No.46 万華の狂言、あるいは断絶の悲鳴
「ヴィクセン──!」
真が叫ぶと同時に、左手の『真実を綴る書』から狂おしいほどの紫色──の光が溢れ出した。
光の粒子は真の肉体を瞬時に侵食し、リベレーターの姿をさらなる異形へと『変質』させていく。
その背から奔流のように生い茂る、猛々しくも美しい九本の狐尾。
濃紺のローブの左半身は、まるで悲劇の舞台役者が纏うような漆黒のタキシードへと変貌し、真の顔の左上半分には、妖しく目を細めた『狐の面』が吸い付くように出現した。
「『さあ~あ! 私の極上の舞台、開幕よぉおおお──ッ!?』」
魔道書から解き放たれ、真の肉体を借りて意気揚々とヴィクセンが声を張り上げた──まさにその瞬間だった。
ドンッ! と凄まじい衝撃が真の胸元で炸裂し、その身体はまたしても防ぐ術なく後方へと吹き飛ばされた。
「『ちょとおっ!? まことちゃん!? 私が直々に力を貸してあげてるのよ、なんでいきなり無様にやられてんのよぉ!』」
「……っ、無茶を言わないでください……! あなたの能力は、対象に『幻覚』を見せるものだ。ですが、そもそもこちらの認識から遮断されている相手に、見せるべき幻覚の座標すら──」
「『あ~ら、随分と浅い認識ねぇ? まことちゃんが以前、私に言った言葉をそっくりそのまま熨斗をつけて返してあげるわよ。『私を知らず、上部だけしか見てないんじゃない』ってね!』」
「正確には……『人をうわべだけしか見ず、その中身を知ろうとしない』、ですよ」
「『細かいわねッ! 良いのよそんなことは! 私の能力の本質は「幻覚」なんかじゃないわ、あらゆる存在のカタチを別のモノへと作り変える──「変質」の権能よ! 見てなさいな、この私の本気をッ!』」
真の背後で、九本の尾が爆発的に膨れ上がった。
それと同時に、足元に果てしなく広がっていたウユニの鏡面から、大量の水柱がドッと噴き上がる。
激しい水飛沫が収まった直後──そこに現れたのは、まったく同じ顔、同じ体躯をした「九人の真」の虚像だった。
「『うわ!? なにあれ、凄い! もしかして影分身!? でも水からできてるから、水分身だあッ!』」
真の内側から、まどかが興奮した声を上げる。
だが、生み出された九人の水の分身たちは、敵に向かって突撃するでもなく、ただその場に操り人形のように力なく立ち尽くすだけだった。
直後、完全に不可視の凶刃が、その分身たちを容赦なく襲う。
バシャアッ! と、左端の分身の首が撥ね飛んだ。
間髪入れず、中央の分身の胸が抉られ、右側の分身が真っぷたつに叩き割られて水へと還っていく。
「『……ねえ、狐』」
「『なによ小娘』」
「『あれ、一体なんの意味があるの? ただのマトじゃない』」
「『うっさいわねぇ! そこまで深く考えてやってる訳ないでしょ、ただの嫌がらせよ!』」
「──いや。十分だ、ヴィクセン」
分身たちが次々と虚空へ爆散していく凄惨な光景。
それを『真円を覗くもの』片眼鏡で冷徹に凝視していた真の脳細胞が、一瞬で勝利への数式を弾き出した。
「なるほど……。攻撃の瞬間、対象の質量が水面と衝突する。姿は見えずとも、分身が『破壊された座標』と『水の飛沫の軌跡』を逆算すれば、敵の位置、歩幅、打撃のタイミングが完全に可視化できる。……そう言う使い方も出来るのか。だったら」
ただの嫌がらせで打って出たヴィクセンの「変質」を、真は最高精度の『逆探知ソナー(ロジック)』へと書き換え、更なる一手を生み出す舞台装置へと変えるため、真は水面を強く蹴り、『真円を覗くもの』片眼鏡を通し、ある策を練り始めた。
「なら──リベレーター!!」
その確信に満ちた叫びに応じるように、真の精神とリンクしているシステム音声が、冷徹に脳裏へ鳴り響いた。
【──契約者:繭住真からの要求を受諾。これより、対象の『記憶の断片』の収集を開始します】
「ヴィクセン! 収集した情報をそちらの脳へ直接送る。あとはあなたの独壇場だ!」
真の右目、鉛色に輝く片眼鏡から、システムが弾き出した膨大な『鮫島汐音の記憶の断片』が、ヴィクセンの精神へと濁流のように流れ込む。
「『ちょおっ!? ちょっと待ちなさいよ! 一気に送りつけてこないでよぉ! え! なによこれ、この頑固そうなジジイの記憶は!? これ全部、カタチにしろって言うの!?』」
「出来ないんでしたら、ライアーと交代しますか? 彼ならこれくらい、二つ返事で『やれる』と言いそうですが」
「『あ゛ぁ゛ん!? クソ理屈屋ァ、今なんつった!? ええ、いいわよぉ! こうなったらどんな安い挑発だろうと全部のってあげるわよ! 誰があんな陰険野良犬ごときに負けるですって! この私、万華の幻影狐をおなめんじゃないわよぉおおおッ!!』」
ヴィクセンのプライドが完全に爆発する。
再び、ウユニの鏡面から凄まじい水柱が何本も膨れ上がり、新たな形へと『変質』していく。
だが、次に現れたのは、真の姿ではなかった。
深い皺の刻まれた顔に、威厳と狂気を孕んだ眼光。
舞台衣装を思わせる着物を纏った、一人の老狂言師──千鳥冠介の虚像だった。
ヴィクセンの「変質」によって生み出された千鳥の分身は、水で出来ているとは思えないほど、圧倒的な存在感を放っていた。
その人形の口が、不自然に、しかし酷く滑らかに開く。
世界からすべての関係性を『断絶』したはずの、鮫島汐音の鼓膜へと、その声が鋭く突き刺さった。
『汐音! 何度言ったらわかる! 感情を制御せよ。お前のやっていることは、ただ単に感情を舞台にぶつけているだけの、ただの、野蛮な叫びだ──』
ドッパァアンッ!!
千鳥の分身が、言葉の途中で爆散するように激しく爆ぜた。姿なき汐音の、狂気的な拒絶の暴威。
だが、水の舞台は終わらない。
ヴィクセンの怒りの咆哮と共に、次々と、何十体もの千鳥の分身が水面からせり上がる。
『汐音! それでは駄目だ。周りを見よ。役者を見よ。観客を見よ!』
『独りよがりの芸ほど、稚拙で、醜く、見るに堪えんものは──』
『汐音!』
『汐音!』
『汐音!』
『汐音──ッ!!』
前後左右、360度の全方位から、かつて自分を縛り付け、呪い続けた「祖父(師)」の幻影が、まったく同じ声で、一斉に彼女の名前を呼び立てる。
どれだけ世界を断絶しようと、自分自身の記憶の底にあるトラウマまでは切り離せない。
逃げ場のない言葉の猛追に、ついに、何もない虚空から──。
「きっいやぁぁぁあああああッ!!!」
鼓膜を、そして世界のロジックそのものを引き裂くような、少女の悲鳴とも取れる叫びが、青き、空虚な箱庭に激しく木霊した。




