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No.50 祭りの残骸、あるいは地下の住人




 No.50 祭りの残骸、あるいは地下の住人




 秋の二大祭は、狂騒の余韻だけを残して幕を閉じた。


 学芸祭におけるパフォーマンスアピール、その記念すべき優秀賞に選ばれたのは、他でもない『ALIVE²』であった。


 ──しかし、彼らはその栄誉をみずから辞退した。


 千鳥冠介に突きつけられた、残酷なまでの自分たちの未熟さ。


 それを四人は完全に認めていた。


 にもかかわらず、何事もなかったかのように恥知らずに賞を受け取ってしまえば、それこそ自分たちが命を懸けている音楽への、なけなしのプライドすらドブに捨てることになる。


 あの日以来、完全に連絡がつかなくなってしまった汐音とだけは話し合うことができなかったが、残されたメンバーで幾度も夜を徹して議論を重ねた結果だった。


 琥太郎が代表して運営サイドに辞退の旨を通達した際、当然ながら向こうは困惑し、翻意を促してきたが、琥太郎は頑としてその盾を受け入れることはしなかった。


 そうして訪れた、息が詰まるような休日の午後。


 宇賀琥太郎は、自分の本拠地ホームでもある『十王UNDERGROUND』の薄暗いライブハウスに、その身を力なく預けていた。


 「……おい。コタ。暇してんなら、サボってないで床の掃除のひとつでもしておけ」


 スピーカーの乾いたノイズが交じる空間に、少し乱暴な男の声が響く。


 グラサンをかけた細身の長身の男性──このハコのすべてを取り仕切る男が、カウンターの机に突っ伏して、まるで精巧な置物のようになっている琥太郎に声をかけた。


 しかし、琥太郎は顔を伏せたまま、死んだ魚のような声でぽつりと言葉を返す。


 「……終わった」


 「あ?」


 男は琥太郎のやる気のない返答を確認するように、怪訝そうに周囲を見回した。ステージの機材、フロアの隅、そして琥太郎が横たわるカウンターの渋い木目を、指先でツッーと這わせる。


 指先を確認するが、塵ひとつ着いていない。


 言葉通り、ハコの中は見違えるほど綺麗に磨き上げられていた。


 男は少し驚いたように眉を上げると、琥太郎のすぐ近くの丸椅子にドカリと腰を下ろした。


 「……コタ。お前さん、一体何があった。気の脱げ具合が尋常じゃねぇぞ。あれか。お前さんの通うあの小綺麗な学院で行ったっていう、例のライブで派手にヘマでもこいたか?」


 いつもなら「ヘマなんかするわけねぇだろ!」と生意気に言い返すはずの琥太郎だったが、今はグラサンの男の言葉にピクリとも反応を示さない。


 ただただ、魂が抜けたように静かに呼吸を繰り返している。


 あまりの異常さに、男は今度はからかうようなトーンを引っ込め、代わりに核心を突く言葉を低く呟いた。


 「──なら、ついにテメェら。あのバンド、解散したか?」


 「してねえ!!!!」


 その言葉が鼓膜を叩いた瞬間、琥太郎はガバッとスプリングが弾けたように飛び起き、男の胸ぐらに食って掛からんばかりの勢いで吠えた。


 その瞳にだけは、燻る炎のような必死の拒絶が、生々しく宿っていた。


 だが、対する男──この『十王UNDERGROUND』のオーナーであり、琥太郎たちが『マスター』と呼んで慕うその人物は、まるで動じる気配すらなかった。


 グラサンの奥の鋭い双眸。


 細身の長身に、どことなくニヒルな哀愁を漂わせたその佇まいは、さながら古い映画に出てくる凄腕のガンマンを思わせる。


 マスターは咥えた煙草の火を灰皿に押し付けると、がなり立てる琥太郎の剣幕を正面から受け流し、呆れたように鼻で笑った。


 「吠える元気だけはあるじゃねぇか、コタよぉ」


 マスターは椅子の背もたれに深く身体を預け、グラサンの位置を少しだけ直す。


 その指先は、琥太郎たちの青臭い熱量も、その裏にある歪みも、すべてを百戦錬磨の経験で見抜いているかのように静かだった。


 「解散してねぇってなら、なんでそんな、一文無しの野良犬みたいな面してカウンターに転がってやがる。お前さんがそれだけ必死になるってことは……図星じゃねぇにしろ、それに近いところまで足ぇ突っ込んでるんじゃねぇのか?」


 「それは……」


 琥太郎の勢いが、急激に萎んでいく。


 掴みかからんばかりだった拳が、行き場をなくしてカウンターの木目にきつく押し当てられた。


 健也から告げられた『活動休止』の四文字。


 大和や勇馬が自分から目を背けて去っていった、あの楽屋の冷たい静寂。


 そして、あの日から一度も連絡がつかない汐音。


 まだ解散はしていない。


 琥太郎が認めない限り、終わってはいないはずだった。


 けれど、その絆が今にも指の隙間から滑り落ちそうなほど脆く、バラバラに壊れかけているのは紛れもない事実だった。


 「……マスター」


 琥太郎は再び視線を落とし、絞り出すように呟いた。


 「俺ら、間違っちまったのかな。あの日、マスターが言ってた通りよ……」


 あの日、パフォーマンスアピールに出る前に健也から伝えられたマスターからの、あの言葉。


『同じに見えてもやる場所が違えば客層も違う。間違えるなよ』


 あの時はその真意が分からなかった。


 ただの嫌味だとすら思っていた。


 けれど、千鳥冠介という本物の怪物の前で、自分たちの音楽が「ただの薄っぺらい傷の舐め合い」だと白日の下に晒された今なら、その言葉がどれほど深い警告だったのかが痛いほどによく分かる。


 アンダーグラウンドの泥水の中でしか響かない悲鳴を、綺麗な学院のステージで、あろうことか『芸術』の顔をして鳴らしてしまった。


 その歪みが、ついに『ALIVE²』という居場所そのものを決壊させようとしている。


 マスターは煙草の煙をふぅ、と天井に向けて吐き出し、何も言わずに琥太郎の横顔を見つめていた。


 その沈黙は酷く重く、けれどどこか、不器用な優しさを孕んでいるようでもあった。


 「……なるほどな。お前さんはようやく、音の『一小節』を鳴らせたってわけだ」


 「なんだよそれ……? 音なら、スタジオでもステージでもいつも鳴らしてるぞ」


 琥太郎が納得のいかない顔で眉をひそめる。


 しかしマスターは、新しく取り出した煙草の箱をトントンとカウンターに打ち付けながら、冷淡に首を振った。


 「そういう意味じゃねぇよ。今までのお前は、ただ感情任せにガムシャラにドラムを叩いてただけだ。音をやらねぇ素人どもなら、その勢いだけの凄みがある音に騙されて、いいようにノってくれただろうがな」


 「……うっ」


 千鳥冠介の言葉が、脳裏でピシャリと蘇る。


 ──君の叩くリズムの波は決して一定ではない。野性の勘で暴走しすぎる。


 「で、健也の奴は周りを気にしすぎだ。神経擦り減らして、お前さんの暴走をどうにか調和させようと一人で躍起になってやがる。あれじゃ、健也本来のベースの持ち味が引き出せるわけがねぇ」


 「……、……」


 「勇馬は目立ちたがりが過ぎる。テメェの技術がまともに追いついてねぇくせに、できもしねぇテクニックで見栄を張って音をキメようとしてやがる。大和は……あいつは一回、女でも知れば少しはあの内向的な性格が変わるか? いや、無理だな。あいつの肝の小ささじゃ、女の方から迫ってきても直前で脱兎のごとく逃げ出すのがオチだ」


 フッと自嘲気味に笑うマスターの言葉を聴きながら、琥太郎の背筋には、じっとりと冷たい汗が伝っていた。


 違う。


 言葉のトーンこそニヒルな軽さを含んでいるが、その中身は、あの学芸祭のステージで老狂言師が四人に突きつけた致命的な弱点と──完全に、一言一句の狂いもなく一致していたのだ。


 「お前らは、ようやく自分たちの足元にある『歪み』を理解したんだろう。……学院の祭という場所は、こことは全く違ったろう?」


 マスターは煙草に火を点け、グラサンの奥の目を細めた。


 「ここ、十王UNDERGROUNDに来る客はなぁ、言ってみりゃ掃き溜めに身を寄せるような奴らだ。自分たちの居場所がなくて、社会の枠からはみ出して、彷徨って、ようやく行き着いた終着駅がこのハコなんだよ。……だからこそ、お前たちの鳴らすあの、生きるための無様で必死な『悲鳴』に、客は命がけでノることができたんだよ」


 「……なら、音って一体なんなんッスか!」


 琥太郎は縋り付くように、カウンターの木目を強く拳で叩いた。


 行き場のない悔しさと困惑が、その瞳から涙のようになって溢れ出しそうだった。


 「マスターや他の師匠たちは、俺に音を、音楽を教えてくれてたんじゃないんッスか……! なのに、なんで今さらそんな突き放すようなこと──」


 「教えてたさ。だがな、コタ。俺たちが教えたのはあくまで『音の出し方』だけだ。楽器の鳴らし方、指の動かし方、機材の扱い方……俺たちが教えられる領域なんてのは、そこまでが限界なんだよ」


 「なんなんッスかそれ……!? 意味わかんねぇよ!」


 「当たり前だろうが」


 マスターは咥え煙草の先から、静かに白い煙を吐き出した。


 グラサンの奥の目は、どこまでも冷徹で、けれど酷く真っ直ぐに琥太郎の未熟さを見つめている。


 「音なんてもんはなぁ、十人十色だ。人それぞれに歩んできた人生があって、好みがある。もしここで、俺の音やあいつらの音をそのままテメェに叩き込んでみろ。それはお前らの……『ALIVE²』の音じゃなくなる。ただの模倣品の出来上がりだ。違うか?」


 「……でも、いや、それは……」


 「そこで迷いが生じてるってことはな、コタ。お前さんはようやく、お前さん自身の『本物の音』を見つけ始められる入り口に立ってるってことだ。……そしてそこには、健也とも、勇馬とも、大和とも違う、お前だけの考え方の音が転がってる」


 その言葉は、琥太郎にとって救いなどではなかった。


 むしろ、仲間たちとの「決定的な決別」を予言されるような、最悪のナイフだった。


 「なんでだよ……! 俺はあいつらと、四人で、あの五人じゃなきゃ──」


 「甘えんな」


 マスターの低く鋭い一喝が、ライブハウスのコンクリート壁に冷たく響いた。


 「仲よしこよしでお手手繋いで、傷の舐め合いを続けたいってんなら、俺は止めやしねぇよ。好きにしろ。……だがな、テメェの夢は一体なんだ? 誰よりもデケェ舞台に立って、誰よりもデケェ音を鳴らすんじゃなかったのか、あぁ?」


 「……ッ、」


 「仲間を切り捨てろなんて冷てぇことを言うつもりはねぇ。だがなコタ、人間、歩んでる道が違えば、途中で別れることだって当然ある。お前が今立っている場所はな……そういう、クソ面白くもねぇ『分岐点』の真上なんだよ」


 「なんだよ、それ……。わからねぇ……、わからねぇよ……ッ!」


 琥太郎は頭を抱え、再びカウンターへと崩れ落ちた。


 誰よりも音楽を愛し、誰よりも『ALIVE²』という居場所を愛している琥太郎。


 しかし、彼の中に眠る本物の「才能」と「夢」が、皮肉にも彼を仲間たちから孤立させようとしている。


 薄暗い地下のハコで、少年の行き場のない拒絶の言葉だけが、いつまでも虚しく反響していた。


 琥太郎は、しばらくそこからピクリとも動くことはなかった。


 両手で頭を抱え、カウンターの冷たい木目に額を押し付けたまま、ただ自分の内側から湧き上がる割り切れない感情と戦っている。


 マスターもまた、そんな琥太郎の様子を殊更に気にするような素振りは見せなかった。


 かけるべき言葉はすべて掛けたと言わんばかりに、ただ黙って丸椅子に腰掛け、二本目の煙草に火を点けている。


 ジジ、と灰が爆ぜる音と、アンプから漏れる微かなハムノイズだけが、二人の間の重苦しい静寂を埋めていた。


 そうして、一体どれほどの時間が流れたのだろうか。


 薄暗いライブハウスの空気が完全に冷え切った頃、琥太郎がようやく、掠れた声を漏らした。


 「……なあ、マスター」


 顔を伏せたまま、絞り出すように発せられたその第一声。


 それは、自分自身の分岐点に対する答えではなく、あの学芸祭のステージからずっと彼の胸に突き刺さっていた、もう一つの決定的な「違和感」だった。


 「……なんであのオッサンも、マスターも……汐音の奴の『音』の評価だけは、しなかったんだ?」


 そう、千鳥冠介は自分たち四人の未熟さを完璧に解剖してみせた。


 だが、あの狂気的なステージの真ん中に立っていたフロントマン──鮫島汐音の音楽に対してだけは、まともな技術論の評価をしていなかった。


 ただ感情に振り回されている赤ん坊だと、その存在自体を不気味がるように撥ね退けただけだ。


 そして目の前のマスターも、今しがた健也や勇馬、大和の弱点を正確に言い当ててみせたというのに、なぜか『ALIVE²』の顔であるはずの汐音の名前だけは、最初から一度も口にしていない。


 琥太郎はゆっくりと顔を上げ、グラサンの奥にあるマスターの目をじっと見つめた。


 「アイツの歌が、アイツの鳴らす音がどうだったのか、俺……一番知りてぇんだよ。マスターから見て、汐音の奴は──」


 しかし、琥太郎の言葉は、そこで不自然に遮られることになった。


 マスターは咥えていた煙草をゆっくりと指で挟み、琥太郎の言葉を咀嚼するように、数秒の空白を置いた。


 そのグラサンの奥の瞳には、からかいも、隠し事も、何一つとして含まれていない。ただの、純粋な、底暗いまでの「空白」だけがあった。


 「……汐音?」


 マスターは怪訝そうに眉をひそめ、煙草の煙を吐き出しながら、低く呟いた。


「……誰のことだ、そりゃ?」









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