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No.52 冷徹なる先達、あるいは凍りついた楽園




 No.52 冷徹なる先達、あるいは凍りついた楽園




 『──すっばらしい演奏、そして魂を揺さぶる圧倒的な歌声を披露してくれた『ALIVE²』!! 会場のボルテージは文句なしの最高潮! これは、これはさすがにパフォーピー初の満点が出たかぁー!? それでは審査員の皆様、一斉に点数をどうぞ!!』


 鶏島のテンションが最高潮に達した絶叫とともに、四人の審査員が手元の札を掲げる。


 左から、凰千鶴が【5】。蜂須賀校長が【5】。そして最右端の繭住真が掲げたのも──【5】。


 『お、おおおっ!? 五点、五点、そして飛んで五点! 上の三人が揃って満点を叩き出した! なの、ですが……!?』


 グラウンド中の視線が、ただ一人、札を掲げずに微動だにしない千鳥冠介の手元へと集中する。


 その様子をすぐ隣の席で見ていた大口一子が、震える手で生放送のマイクを引き寄せた。


 『あ、あの……千鳥様? これまで頑なに一点を出し続けていた千鳥様の、ついにその手が止まり、深く悩まれているようですが……。千鳥様、もしよろしければ、どのような理由で札を掲げあぐねているのか、お言葉をいただければと……』


 『そうですね。私が点数の札を上げない、その理由は───』


 冠介がゆっくりと顔を上げた。


 先ほどまで宇賀たちに、そして鮫島汐音に向けていた「期待」の光はそこにはない。


 ただただ底冷えするような、冷徹極まりない鋭い視線がステージを射抜く。


 『──まったく、話にならない。お粗末な出来だな。期待外れもここまで来ると、むしろ清々しさを感じるよ』


 冷や水を浴びせられたかのように、グラウンドの喧騒がピタリと止んだ。


 鶏島が額の汗を拭いながら、引きつった笑みでフォローに回ろうとする。


 『は、はい……? あの、それはいったいどうしてでしょうか? 会場の生徒たちは、ご覧の通りこれほどの大盛り上がりを見せておりますが……!』


 『確かに会場は大盛り上がりをした。しかしそれは、心地よい、薄っぺらい言葉を都合よく並べられ、彼らの感傷に寄生した音に陶酔しているのと変わらないからだ。ただの傷の舐め合いを、私は『芸術』とも『表現』とも呼ばない』


 ──ドカァンッ!!!


 ステージの上で、何かが爆発したような音が鳴り響いた。


 宇賀琥太郎がドラムスツールを蹴り飛ばし、マイクスタンドを掴み取ってステージの最前列へと躍り出たのだ。


 その顔は、今までに誰も見たことがないほど、激しい怒りで真っ赤に染まっていた。


 『おい、オッサン……ッ!! 俺らの音が、歌が、そこまでこき下ろされるってことは、それ以外の理由もきちんとあるんだろうな!?』


 「琥太郎、落ち着け! 相手は──」


 健也が慌ててベースのネックを掴んで止めに入ろうとするが、琥太郎の咆哮は止まらない。


 『落ち着けるかよ健也!! 俺はなあ、俺自身がお調子者でバカにされるのは自業自得だし、いくらだって諦めがつく! だがな……ッ!! 本気で音を、命がけで音楽をやってる奴らに、俺の大事な仲間たちを、上から目線で侮辱されるのだけは我慢ならねぇんだよッ!!』


 スピーカーがハウリングを起こすほどの、剥き出しの敵意と怒りの叫び。


 しかし、それを正面から浴びた千鳥冠介は、眉ひとつ動かさずにふっと息を漏らした。


 『……若いな。だが、良いだろう』


 老狂言師は腕を組み直すと、審査員席からゆっくりと立ち上がった。


 その瞬間、彼の背後にある世界の『空気』そのものが、一変して重く引き締まるのを、誰もが肌で感じていた。


 『君がそこまで望むのであれば、私も畑違いとはいえ、芸に身を投じて六十数年。その道を歩む先達の一人として──君たちに、本当の『芸とはなにか、指導』を施しておこう──まずは、ドラムの君だ』


 千鳥冠介の低く、よく通る声がグラウンドに響く。その視線が、マイクスタンドを握りしめたまま息を荒げる琥太郎へと向けられた。


 『君は極めて純粋な感情型の、いわゆる天才肌に部類する人間だ。理屈ではなく野性の勘で周りの空気を読み、それに合わせて爆発的な演奏を奏でることができる』


 『お、おう……? あれ? 俺、もしかして褒められてる……?』


 予想外の言葉に、琥太郎が毒気を抜かれたように瞬きをする。しかし、老狂言師の冷徹な言葉はそこから容赦なく牙を剥いた。


 『しかしだ。感情型ゆえに、君の叩くリズムの波は決して一定ではない。その場その瞬間の気分で、速度も重さも揺らぎすぎる。──ゆえに、そこのベースの君が、君の暴走の尻拭いをするために必死になって正確なリズムを刻み、土台を支えさせられている』


 『え……。あ、あちゃー……。すまねぇ、健也』


 琥太郎が申し訳なさそうに頭を掻く。


 けれど、冠介の解剖はそれで終わりではなかった。


 今度はその鋭い眼光が、ベースを抱えた健也へと突き刺さる。


 『そのため、ベースの君は、ドラムの奔放さを埋めるための『機械』に成り下がっている。本来、君のベースラインが持つべき色気も、楽曲を引っ張るべき推進力も、その役割のせいで満足に行えてはいない。……違うかね?』


 「…………」


 健也はガチガチに硬直したまま、喉の奥を鳴らした。


 今朝、マスターから言われた言葉──『同じに見えてもやる場所が違えば客層も違う。間違えるなよ』という謎が、今、最悪の形で目の前に突きつけられたのだ。


 健也は拳を握りしめ、絞り出すようにして、ただ一言だけ返した。


 「……はい。おっしゃる通り、です」


 『健也……!?』


 まさかの副リーダーの敗北宣言に、琥太郎が愕然と振り返る。


 冠介はその動揺を一切無視し、冷徹に言葉を続けた。


 『続いて、ギターの君』


 「えっ!? ぼ、僕も!?」


 急に矛先を向けられた勇馬が、肩を跳ね上げてビクッと身を縮める。


 『君は四人の中で、ギターの基礎的な腕前がまだ圧倒的に未熟だ。そして、その未熟さを大音量と手癖の歪みで必死に隠そうとするあまり、結果として音の幅を自ら狭めている。聴き心地は派手だが、中身は驚くほどに空っぽだ』


 「うっ……。ず、図星かも……」


 勇馬が愛器のネックを抱え込むようにして視線を落とす。


 その隣で、キーボードの大和が小さく息を呑んだ瞬間、冠介の目が彼を捉えた。


 『キーボードの君は、その逆だ。多彩で確かな技術を持っている。……が、その内向的な性格ゆえだろうな。演奏に一切の冒険心が足りない。楽譜通りの綺麗な音を並べるだけで、失敗を恐れて殻に閉じこもっている。それゆえに、君の音が混ざることで、バンド全体の音の厚みがまったく無くなっているのだ』


 「えっと……すみません……」


 大和が鍵盤から手を離し、幽霊のように肩を落とす。


 一曲聴いただけで、自分たちが必死に目を背けてきたインディーズバンドとしての「限界」と「歪み」を、白日の下に晒されてしまった。グラウンドを包むのは、もはや拍手ではなく、あまりの容赦なさに誰もが息を呑む静寂だった。


 そして──。


 千鳥冠介はゆっくりと、最後に残ったフロントマンへと視線を移した。


 その目に宿っていたのは、もはやこれまでの四人に向けられていた「技術的な指導」の温度すら無い、明確な──『侮蔑』とも取れる、酷く冷淡な光だった。


 鮫島汐音はその視線を、逃げることなく真っ向から受け止めていた。


 彼女の華奢な身体から立ち昇るオーラは、今や完全な「憎悪」へと変質し、目の前の老狂言師を噛み殺さんばかりにその瞳をギラつかせている。


 『……そして』


 冠介が一段と声を低くし、冷酷に、けれど絶対的な確信を持って、『ALIVE²』の致命的な核を指差した。




 『お前が一番、このバンドの音を潰している』




 『──おい、ちょっと待てよオッサン……ッ!!』


 千鳥冠介の宣告に対し、琥太郎が再びマイクに怒声をぶつけた。その拳は、怒りと困惑で激しく震えている。


 『汐音を、お前、今なんつった……!? 汐音は俺たちのバンドの絶対的な顔だ! あの歌声も、声量も、表現力だって文句なしの一級品だろうが!!』


 『……本当に、心からそう思っているのかね?』


 冠介の声は、どこまでも平坦で、それゆえに酷く残酷だった。


 『君なら、いや君たち四人なら──本当は、とっくの昔から気がついているはずだ』


 「「「「──ッ!」」」」


 その言葉が放たれた瞬間、琥太郎だけでなく、健也も、勇馬も、大和も、まるで冷たい刃を背中に突き立てられたかのように一斉に身体を震わせた。


 図星だった。


 彼らが以前の、五月ごろにも汐音の異質さでバンド解散の危機があったが、どうにか琥太郎の説得もあり、そのまま継続を続けていた。


 しかしそれ以降も『ALIVE²』として音を合わせる中で、ずっと心の奥底に仕舞い込み、見ないようにしてきた「歪み」の正体を、老人は正確に指差している。


 『その子の歌声は、歌などではない。己の魂の形すら定まらぬ者が上げる、ただの「悲鳴」だ。自分自身が苦しい、どうすればいいのかも分からないという、行き場のない独りよがりの感情を、ただそのまま無様に撒き散らしているだけの叫び声と変わらない。──歌詞がそのような、泥臭い反骨の言葉だからまだ救いはある。だが、これがまったく別物の、バラードのような静かなテンポの楽曲だったらどうだ?』


 『そいつは……』


 『今のように、観客が都合よく熱狂することは決してないだろう。むしろ冷める。己の感情の制御すら満足にできない、赤ん坊と何も変わらないのだ、その子は───』


 「お前に何がわかるッ!!!」


 それまで死んだように黙り込んでいた汐音が、明らかな、そして狂気的なまでの怒気を孕んで冠介の言葉を鋭く切り裂いた。


 前髪の隙間から覗く瞳は完全に血走り、全身の血管が逆流したかのように激しく脈打っている。


 「お前に……ッ! お前に私の何がわかるっていんだよおおがぁあああッ!!!」


 「落ち着け汐音!! ちょっ、大和、勇馬! 手貸せ、止めろ!!」


 「離せ!! 離しなさいよ!! くそジジイ……ッ! 殺してやる! お前なんか、今すぐここでぶち殺してやる!!!」


 掴みかかろうとステージの縁へ突進する汐音を、琥太郎が背後から必死に羽交い締めにし、大和と勇馬が左右からその腕を涙目で抑え込む。


 マイクスタンドがガシャーンと派手な音を立てて転がり、スピーカーが悲鳴のようなハウリングを爆音で轟かせた。


 グラウンドを埋め尽くす生徒たちは、あまりの凄惨な修羅場に、言葉を失って完全に硬直している。


 まるでさっきまで熱狂してた自分たちまで否定された気分に去らされているような。


 そんな剥き出しの殺意と憎悪の暴風雨を真っ正面から浴びながらも、千鳥冠介の表情は、まるで作られた能面のように冷徹な静寂を保ったままであった。


 その張り詰めた氷の世界を、静かに融かしたのは──左隣の席からの、気品溢れる声だった。


 「冠介さん。……今日はお祭りですわ。そろそろ、お言葉を沈めた方がよろしいかと」


 凰千鶴が、扇子でそっと自身の口元を隠しながら、冷ややかな目で告げる。


 冠介は数秒の沈黙の後、ゆっくりと息を吐き出した。


 『……そうですね。少々、私情が過ぎました』


 冠介は手元の卓上マイクのスイッチを切り、静かに席に着いた。


 ステージの上では、狂ったように暴れ、呪詛の言葉を吐き散らす汐音を、琥太郎たちが文字通り引きずるようにして、足早に舞台裏の楽屋へと連れ去っていった。


 静まり返った審査員席。


 誰もが次の言葉を失う中、凰千鶴が冠介に、審査員の四人以外の、他人には聞こえないほどの微小な声を投げかける。


 「……差し出がましいお尋ねだとは存じますが。もしや、あの娘さんは……」


 「──身内の恥となりますので。これ以上は、ご勘弁を」


 「……左様でしたか。もう何年も表舞台で姿を見ておりませんでしたので、はじめは誰か分かりませんでしたが。……そうですか、あの子が……」


 千鶴はそれ以上追及することをやめ、ただ哀れむような、あるいは冷淡な視線を、誰もいなくなったステージへと向けた。


 盛り上がっていた学芸祭のグラウンドの空気は、今や完全に、修復不可能なほどに冷え切ったものへと転換していた。








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