No.53 殺意の波動あるいは、それでも、あの煉獄の光へ
No.53 殺意の波動あるいは、それでも、あの煉獄の光へ
特設ステージの定位置へと、メンバーがそれぞれの相棒を携えて着く。
ギターの勇馬とキーボードの大和は、大きな舞台を前にしても気負うことなく、普段の箱と変わらない自然体で指先を鳴らしている。
ベースの健也は、わずかに周囲の空気の重さを察知したように視線を泳がせたが、一度大きく深呼吸をすると、完全にプロの顔になって己の精神に集中し出した。
しかし──その中心に立つ紅一点だけが、決定的に集中を欠いていた。
いや、あれは集中していないのではない。
これから歌を紡ごうとする人間の、それとは明らかに異なる異質な「熱」を帯びていた。
鮫島汐音の視線の先には、ただ一人、腕を組んで自分を凝視している老狂言師・千鳥冠介の姿がある。
その視線に射すくめられた瞬間から、彼女の全身からは、どことなく目の前に親の敵でもいるかのような、どす黒い殺意にも似たオーラが立ち昇っていた。
それはまるで、自ら『仮面』を被ることでしか己を保てない少女が、世界の常識そのものに牙を剥くかのような、剥き出しの敵意。
(不味い──ッ!!)
ドラムスツールの上で、琥太郎の野性的な本能が警報を鳴らした。
このまま音を鳴らせば、汐音の歌は音楽ではなく、ただの凶器になってステージを崩壊させる。
理屈ではない。
バンドの全神経を司るドラマーとして、琥太郎は喉が張り裂けんばかりの声で、彼女の呪縛を打ち破るように叫んだ。
「汐音ぇえええッ!!!」
「──ッ!」
爆音のマイクを通してグラウンドに響いた琥太郎の咆哮に、汐音がピクリと肩を揺らした。
その瞳から、一瞬だけ殺伐とした気配が霧散する。
琥太郎はその隙を逃さず、メンバー全員の魂を無理やり引き戻すように、すかさずその名を呼び捨てた。
「健也ぁッ!」
「おう!」
「勇馬ぁッ!」
「ハイハイ!」
「大和ぉッ!」
「いつでも!」
「いくぜ───お前らぁあああ!!」
最年少リーダーの野生味溢れる号令が空気を震わせた瞬間、北王子学院のグラウンドに、暴力的なまでの音の嵐が巻き起こった。
ドンッ!! と、琥太郎の踏み込んだバスドラムの打撃音が、ステージのみならずグラウンドの地面そのものを震撼させる。
それに合わせるように、健也の地鳴りのような低音が、勇馬の切り裂くようなギターリフが、大和の激しい旋律が、一つの巨大な「濁流」となって調和していく。
地下の暗闇で磨き上げられてきたその圧倒的な音圧に、会場の生徒たちは一瞬でノックアウトされ、本能のままにリズムをとり、跳び跳ね、歓声を上げ始めた。
そして──その音の濁流に、鮮血のような色を付けるべく、ボーカルがマイクに唇を寄せた。
吐き出されたのは、あまりにも泥臭く、あまりにも美しい、生者たちの執念の歌。
※『それでも、あの煉獄の光へ』※
(Wow... Break away! Break away! ぶち壊せ!)
時計の針が刻む音だけが やけに大きく響く午前4時
描いた未来は 音を立てて崩れ 足元は深い泥濘に沈んでいく
「お前じゃ無理だ」と烙印を押され 冷たいコンクリートに顔を擦り付けられる
プライドなんてとっくにボロ雑巾
息を吸うたび 肺の奥が 錆びた鉄の味がして 狂いそうだ
伸ばした手は 空を切るばかりで 息をするのさえ 苦しくて
だけど綺麗に生きられるなら そうしたかったさ
胸の奥 た燻る熱が 「ここで終わってたまるか」と
綺麗事じゃ この闇は 1ミリも 破れやしない!
泥にまみれ、血反吐をぶち撒けて 笑われたっていい
目の前が真っ暗で 明日が見えなくたって
それでも! それでも俺は あの眩しすぎる光を目指すんだ!
この絶望の先にある未来を、運命の首輪を 噛み千切って掴み取れ!
周りを見渡せば 賢い奴らが 安全な場所から 指を指す
「現実を見ろ」と 吐き捨てられた言葉 心に刺さった 棘を抜く気は無い
うるせえよ 外野は黙って見てろ
死に損ないの執念を 舐めるんじゃねえ
傷だらけの靴で 踏み出す一歩 正解なんて どこにもないけれど
あの日見た輝きが 目に焼き付いて どうしても 離れてくれないんだ
この胸の渇きが 魂を焦がす
手に入れるまでは 死んでも死にきれねえんだよ!
泥にまみれ、血反吐をぶち撒けて 限界を連れていけ
目の前が真っ暗で 孤独に 殺されそうでも
それでも! それでも僕らは あの狂おしいほどの光へ爪を立てるんだ!
世界を敵に回しても 諦めるな!
綺麗事じゃ 生きていけないと 知った日からが 本当の始まりだ
何もかもを失って 空っぽになった この両手だからこそ
誰よりも強く 希望を握りしめられる
おい、そこをどけ 闇を切り裂く時間だ!
泥にまみれ、血反吐をぶち撒けて 笑われたっていい
目の前が真っ暗で 明日が見えなくたって
それでも! それでも俺は あの確かな光を目指すんだ!
泥濘を 蹴り飛ばし 闇を切り裂いて
燃え尽きるまで 突き進め!!
(Wow Oh Oh... 届くまで)
(Wow Oh Oh... 光の向こうへ)
死んでたまるか まだ終わらない
ここから ぶち抜いてやる
最後のディストーションの残響が、湿った新緑の空気に溶けるようにして、静かに会場に響き渡る。
一瞬の、耳が痛くなるほどの静寂。
次の瞬間、グラウンドを割らんばかりの、本日最大級の爆発的な歓声と拍手が巻き起こった。
「すっげえええええ!!」
「鳥肌立った! なにこれ、プロじゃん!!」
興奮に顔を紅潮させた生徒たちが、拳を突き上げて『ALIVE²』の名を叫んでいる。
審査員席の隣では、大口一子がマイクを握ったまま圧倒されて呆然と立ち尽くし、空中を浮遊するまどかもまた、「『……凄い。コタローって、あんな歌を歌わせるドラム叩くんだ……』」と、その剥き出しの熱量に圧倒されたように呟いていた。
誰もが確信していた。
圧倒的だった。間違いなくお前らがナンバーワンであり、優秀賞の盾はお前らのものだと。
ただ──最前列の審査員席中央、冷徹な『沈黙』を維持し続ける、一人の老狂言師を除いては。
鳴り止まない拍手の渦の中、千鳥冠介は、深く、深く、失望したように目を伏せていた。
その手元にある点数札は──未だ、ピクリとも動く気配を見せていなかった。




