No.56 嵐の前の喝采、あるいは賢者の釘刺し
No.56 嵐の前の喝采、あるいは賢者の釘刺し
学芸祭二日目。
青空の下、グラウンドの特設ステージ周辺には、初日を遥かに凌駕する今日一番の凄まじい熱気と群衆が押し寄せていた。
「いくぜ───お前らぁあああ!!」
宇賀の野性味溢れる咆哮がマイクを震わせた瞬間、会場に暴力的なまでの音の嵐が巻き起こった。
空を衝くような宇賀が打ち付けるドラムの重低音、心臓を直に揺さぶるベースラインの健也、勇馬の歪んだギターの旋律が、そして大和のキーボードの流麗さが合わさり、音は爆音となってオーディエンスの鼓膜へと叩きつけられる。
ステージの最前列から最後尾に至るまで、集まった客たちの誰も彼もが突き上げられた拳を振り、リズムに身を委ねて熱狂していた。
観客の歓声と地鳴りのような手拍子が、さらにバンドの演奏を加速させていく。
間違いなく、この瞬間、この空間の全ては宇賀たち『ALIVE²』が完全に支配していた。
誰もが彼らの勝利を信じ、このお祭りの最高潮に酔いしれていた───そう、そのはずだったのだ。
彼らの放った最後の1音が、完全に掻き消えて終わるまでは。
『──まったく、話にならない。お粗末さな出来だな』
静寂が戻ったステージに、マイクを通した冷徹な声が響き渡った。
審査員席に座る一人が、吐き捨てるように、あまりにも辛辣に宇賀たちのバンドをそう評価したのだ。
「え……?」
それは誰が言葉を漏らしたのだろうか。
その瞬間、さっきまで沸騰していた会場の熱が一気に凍りつき、静まり返った後に、波のような戸惑いのどよめきがザワザワと広がり始める。
拳を上げていた観客たちも、何が起きたのか分からず唖然とステージと審査員席を見つめ合っていた。
あれほど完璧に聴衆を魅了していたはずの『ALIVE²』が、なぜこれほど致命的な酷評を受けなければならなかったのか。
ステージの上で呆然と立ち尽くす宇賀たちの姿を見つめながら、真の胸に過った戦慄。
──一体なぜ、このような事態が起きてしまったのか。
時計の針を、ほんの少しだけ前の時間へと遡って、事の顛末を説明していきたい。
学芸祭二日目の朝。
校門が開くと同時に、学内には昨日以上の賑わいと、どこかピリついた独特の緊張感が漂い始めていた。
それもそのはず、今日のメインイベントは、有志たちによる実力勝負のステージ──特設会場での『パフォーマンスアピール』だからだ。
そんな中、昨日あれほど先生方にたっぷりとお説教を食らったはずの校内スピーカーから、まるで何事もなかったかのような、実にいつも通りの賑やかな声が響き渡った。
『さあ皆様、学芸祭二日目! 昨日の興奮が冷めやらぬまま、私、映像放送局の鶏島保が開会の言葉とさせていただきます! 本日はグラウンドの特設会場にて、個人や有志による怒涛のパフォーマンスアピールが開催されます! 各々が磨き上げてきた技術とセンスを持って、会場をこれでもかと盛り上げ、沸かしてくれることは間違いないでしょう!』
『あの、鶏島さん。本日のパフォーマンスアピールは、今後の学院生活を左右しかねない『ポイント付与』がなされることから、外部からも特別な審査員の方々をお招きあずかっている……と、台本に書いてあります。ええっと、そのポイントって具体的にどれくらい設定されているんですか?』
『はい! 台本通りの言葉を寸分違わず音読してくれた大口さんに説明しますと──』
『台本通りとかわざわざ生放送で言わないでください!』
『ハハハハ! こほん。では、説明しよう! 今回のパフォーマンスアピール、参加される有志全員に、参加賞として一律【500ポイント】がすでに進呈されます!』
スピーカーの向こうで、鶏島がわざとらしく紙をめくる音を立てる。
『さらに! 今回は『パフォーマンス賞』『優秀賞』『技術賞』、そして『審査員特別賞』の四つの賞が用意されています! なかでも、もっとも栄えある『優秀賞』に輝いたグループには、なんと驚天動地の【10万ポイント】がその場で進呈されます! 参加される皆様におかれましては、力の限り会場を沸かせ、審査員の方々に強烈な印象を植え付けていってください!』
『じゅ、10万ポイント……!? 争奪戦がとんでもないことになりそうですね……。ところで鶏島さん、その運命を握る審査員の方々というのは、いったいどなたが来られているんですか?』
『フッフッフ。それはステージが開始されるその瞬間まで……ヒ・ミ・ツ、です! ということで、おや? どうしました大口さん。放送ブースの中で、そんなに綺麗な握り拳を作ったりして』
『いえ。あまりにもイラッとしたので、つい身体が防衛反応を』
『あははは! 暴力は良くないですよ、暴力は! それでは皆さん、ステージが開催される時間まで、私の命がまだ無事にあれば再びお会いしましょう!』
『人聞きの悪いこと言わないでください!』
ガサッとマイクの雑音が混じり、朝の定時放送が終了する。
相変わらずの愉快犯ぶりに真が呆れ、隣のまどかが「ほらね、やっぱり反省してない」と空中でお腹を抱えて笑う中──。
その放送を校舎の陰でじっと聴いていた宇賀は、いつもと違う真剣な表情で、自分の愛用するドラムスティックを静かに握り直していた。
トゥルルルル……。
校舎の陰、宇賀が静かな決意を胸に秘めて佇んでいると、そのポケットの中で携帯端末が小刻みなバイブレーションとともに着信音を鳴り響かせた。
取り出して画面を確認すると、表示された名前はバンドメンバーの一人である健也からだった。
宇賀はすぐに通話ボタンを押し、端末を耳に当てる。
「もしもし、健也? 全員揃ったか?」
さっきまでの張り詰めた真剣な表情とは裏腹に、口から出た言葉はいつもの宇賀らしい、どこかチャラついた軽快なトーンだった。
『ああ、琥太郎。今、メンバー全員で学院の正門のところにいる。このまま敷地内に入って大丈夫か?』
「おう、一応俺が迎えに行くわ。そこそこ広いから迷うだろ。すぐ行くからそこで待っててくれ」
『了解。あ、そうだ。……マスターから伝言を預かってる』
健也の声が、スピーカーの向こうで少しだけ真面目なものに変わる。
『──「同じに見えてもやる場所が違えば客層も違う。間違えるなよ」、だそうだ』
「…………」
その言葉が鼓膜に届いた瞬間、宇賀の足がピタリと止まった。
「……おう。分かった。伝えてくれて、あんがとな」
『じゃ、門の前で待ってるわ』
ぷつり、と通話が切れて静かになった画面を、宇賀は歩みを止めたままじっと見つめていた。
陽気な喧騒に包まれた学芸祭のど真ん中で、彼だけがその場に根を張ったように動かない。
健也の口から告げられた、あの店のマスターの言葉──その本当の意味を、自分の頭の中で何度も、深く噛み締めるように。
「……うっす。了解ッス」
誰もいない校舎の陰で、宇賀は消灯した画面に向かって、まるでそこに尊敬する大人が立っているかのように、ぽつりと静かに呟いた。




