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No.60 労働者の怨嗟、あるいは祭典の幕開け




 No.60 労働者の怨嗟、あるいは祭典の幕開け




 怒涛の勢いと、いくつかの理不尽な暴虐を残したまま、第十回北王子学院体育祭はあらゆる意味での盛況を見せて幕を閉じた。


 これでようやく、あの平穏で退屈な日常が戻ってくる──


 誰もがそう安堵する時期ではあったが、この学院のスケジュールはそれを許してはくれない。


 十月には、秋の二大行事のもう片方である『学芸祭』がすぐ後ろに控えているのだ。


 他のクラスの生徒たちは、体育祭で強制的に沸騰させられたパトスの熱量をそのままスライドさせるように、早くも学芸祭の準備活動へと勤しみ始めていた。


 とはいえ、それはあくまでも「他のクラス」の話である。


 真たちのクラスが今年の学芸祭で出す出し物は、あろうことか『石の展示』。


 そこに需要があるのかないのか、誰が立ち寄るのかすら全く分からない謎の企画だった。


 彼らにとっての「準備」とは、その辺の河原や道端からちょっと見栄えのいい石を拾ってくるくらいのもので、現時点では他にするべきことなど何一つ残されていなかった。


 「ふあぁぁ……。クソ、やべぇ……体育祭の疲れが、未だに抜けてねえんだけど……」


 教室の窓際、朝のホームルーム前。宇賀は盛大に涙目のあくびを噛み殺しながら、自分の机へとだらしなく突っ伏した。


 「まあ、仕方ないよ。皆、最後の方は完全に意地になって先生たちに突撃してたからね」


 「『あれはもう、騎馬戦なんて可愛いもんじゃなかったわね。なんて言うのかしら……そう。獰猛なゾウの群れに特攻する無謀なアリの集団?』」


 まどかが宙で腕を組んでそんな例えを口にする。


 真は心の中で、その例えにと苦笑しつつ、それ以上に適切な表現が浮かばない自分に気づいていた。


 「……それでも、寄ってたかっても、どうにもならんかったのが、最高に悔しいがな……」


 「はは、ご苦労様でした」


 「おう……」


 「おはよー! みんな!」


 そこへ、元気な声と共に教室の扉を開けて入ってきたのは兎束だった。


 「おはよう、兎束さん」


 「オスッ……」


 「『雛ちゃん、おはよう。今日も可愛いわね』」


 それぞれが気安い挨拶を交わし、兎束が自分の席へとカバンを置く。


 彼女はすでに学内を歩いていくつかの情報を仕入れてきたらしく、目をきらきらと輝かせながら真たちを振り返った。


 「そう言えばさ、一年のクラスで、結構ガチで力入れて準備してるところがあるみたいだよ」


 「そうなんか? 何やるんだ、一年坊主どもは」


 宇賀が机に顎を乗せたまま、面倒くさそうに片目をそちらへ向ける。


 「うちの部の後輩から聞いたんだけど、なんか劇をやるんだって。衣装とか大道具も自分たちでイチから作るらしくてさ」


 「劇……」


 その単語を耳にした瞬間、真の脳裏にヴィクセンの箱庭で行ったいた、九尾ヶ坂のクラスが行っていた劇を思い出していた。


 (彼女のクラスはまたあの劇をするんだろうか……)


 「なんだ、まこと。お前、劇とか興味あんのか?」


 ふと視線を落とし思案していた真の様子に気づき、宇賀が訝しげに尋ねてくる。


 「ううん、そういうわけじゃないよ。どこのクラスがやるのかなって、少し気になっただけ。ほら、うちのクラスはただの『石の展示』だし、ちょっと羨ましいなって」


 「確かになぁ。楽っちゃ楽だけどよ、学芸祭としてはあまりに地味すぎるわな。……いっそ、誰も見たことないような、形の変わったヤバい石でも見つけて持ってくるか?」


 不敵にニヤリと笑う宇賀に対し、兎束が即座にジト目を向けた。


 「あ、宇賀~、いやらしい形のやつ持ってこようとしてるでしょ。これだから男の子は」


 「はあ!? 形が変わったって言っただけですが!? お前こそ、そこから一瞬でエロい形に直結させてる方がむっつりスケベなんじゃねえか!」


 「誰がむっつりよ! ひどいよ! えーん、まことくん、宇賀があたしのこといじめるよー!」


 わざとらしく泣き真似をして真の袖を引く兎束。


 「ははは……えっと、僕からはノーコメントで……」


 「『やれやれ。あんたたちは、もう少し大人な会話ができないわけ? 今のやり取りじゃ、小学生の会話って言われても否定できないわよ』」


 「……うん。そっちに関しても、僕からはノーコメントかな」


 目の前で騒ぐ宇賀と兎束、そして上空から呆れ顔で見下ろす姉。前後左右に挟まれた形になった真は、四苦八苦しながら両手を挙げて降参のポーズを取るしかなかった。


 「あ、そうだ。学芸祭で思い出したんだけどさ」


 兎束がポンと手を叩き、宇賀を指差す。


 「宇賀、あんた前に言ってたバンドの話はどうなったの? ほら、学芸祭のアピール枠の」


 「ああ、あの話か!」


 その話題になった途端、先ほどまでの疲れが嘘のように、宇賀がガタッと勢いよく上体を起こした。


 その表情には、彼が本当に心から愛してやまない音楽への情熱が満ち溢れている。


 「一応、メンバーの仲間たちには話を通してさ。全員、二つ返事でやる方向で決まったぜ! 昨日の放課後に実行委員会に書類出しに行ったら、無事にOKの許可も降りたぜ」


 「じゃあ、本当にやるんだね」


 真が嬉しそうに目を細めると、宇賀は自身の拳を力強く握りしめた。


「おうよ! 俺たちのバンド『ALIVE²(アライブ・アライブ)』の、ここ北王子学院でのデビュー戦だ。当日は最高に熱いビートで、体育祭以上に会場を湧かせてやるぜ!」


 「うん。すごく楽しみにしてるよ、琥太郎」


 宇賀の弾けた笑顔を見つめながら、真は心からエールを送る。


 宇賀の熱い宣言から、時間は着々と過ぎていった。


 めくるめく季節は九月から十月へと移り変わり、学院内が色とりどりの装飾で彩られる中、ついに待ちに待った『学芸祭』の当日がやってくる。


 その日の朝、真の自宅であるリビングでは、一人の大人が激しい抵抗を試みていた。


 「いやーっ! 今度こそ行くの! 私は今日、有給を使って学芸祭に行くの! 若い子たちのピチピチしたエナジーを貰いに行くのーーーっ!!」


 「駄目です。ほら、お仕事行きましょうね」


 「まーちゃんのいじわる! 鬼! 悪魔! 人でなし! 有給休暇の取得は労働者への正当な権利であり対価なんだよぉぉ!!」


 玄関先で靴を履くことすら拒否し、床に突っ伏して駄々をこねまくる美弥。


 真は慣れた手つきで彼女のバッグを抱えながら、宥めるように声をかける。


 「それでも、当日の朝になって急に休むなんて言い出したら、職場の同僚の人たちが困るでしょう?」


 「いいのよアイツら困らせとけば! いっつも私に面倒な後始末を押し付けるんだから! 自分たちでやり始めた仕事なら、たまには自分たちだけでケツを拭きなさいって言うのよ!」


 「はいはい。その愚痴は夜、帰ってからいくらでも聞いてあげますから。ね? お仕事頑張ってきてください」


 日頃のデスワークに対する本気の怨嗟を受け流しつつ、真はどうにか美弥を説得して職場へと送り出した。


 パタパタと手を振りながら去っていく彼女の背中を見送り、真は自身の学院へ行く準備を始める。


 「『ねえ、まこと。明日も学芸祭はあるわけだけど……本当に大丈夫? 明日の朝も、きっと寸分違わず同じことが起きるわよ』」


 宙に浮かんだまどかが、哀れみの混じった目で真を振り返った。


 「……やめてよ姉さん。そんな風に確定した絶望的な未来の話をするのは」


 「『普通、未来って分からないから未来って言うのにね。美弥ちゃんの場合だけは完全な確定事項だから、これってもう未来じゃなくて何? 現在進行形?』」


 至極真っ当な哲学を使うなら「現在形」と呼ぶべき狂騒劇。


 真も最近になってようやく美弥の生態を理解し始めていただけに、もはや言葉を返す代わりに重い溜息を吐き出すことしかできなかった。


 家を出て、いつもの通学路を進む。


 街全体の空気というよりは、やはり登校中の生徒たちの群れからだろうか。


 どこかそわそわと浮き足立った、特有のトゲのない熱気が肌に伝わってくる。



「『そりゃあ、だってお祭りだもの。楽しくないと言えば嘘になるんじゃない?』」


 「……そうだね」


 そんなものかもしれない、と真は思う。


 歩みを進め、学院の正門まで辿着くと、そこには巨大なアーチ状の門がそびえ立っていた。


 「『あ、使い回し? ――じゃあ、なさそうね』」


 まどかが目を凝らす。


 体育祭の時の武骨で鉄血じみた入場門とは違い、そこには華やかな装飾と絵の具で彩られた『第十回北王子学院学芸祭』の看板が掲げられていた。


 実行委員会や美術部が夜遅くまで苦労して作り上げたであろう見事な門を潜り、真は教室へと向かう。


 「おはよう」


 教室の扉を開けると、そこには体育祭の朝のようなだらけた空気感は一切なかった。


 クラスメイトたちは各々の席で、真剣な顔で携帯端末を凝視している。


 「『あら、みんな何調べてるのかしら?』」


 興味を惹かれたまどかが、すうっと一人の生徒の背後に回り込み、携帯端末の画面を覗き込んだ。


 確認を終えて戻ってきた姉に、真は小声で尋ねる。


 「どうだった?」


 「『学芸祭で出てる他クラスの催し物とか、中庭の屋台とか、そういうのを調べてたわね。まったく、体育祭の時もそれくらいの気概を見せなさいよって感じだけど。まあ、これなら志那ちゃんがまた発破をかけずに済むでしょうから、それはそれで平和でいいんじゃないかしら』」


 「あはは、確かにそうだね」


 真も自分の席につき、鞄から携帯端末を取り出す。


 他の生徒たちに倣い、画面に表示された学内の特設ページをスクロールしながら、開始時刻までどんな出し物があるのかをチェックしてみることにした。


 画面に映る賑やかなメニューの数々を見つめる真の口元は、無自覚のうちに、これから始まる祭りを心待ちにしている者のように、小さく、優しく綻んでいた。








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