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No.63祭典の号砲、あるいは冷めた足並み




 No.63祭典の号砲、あるいは冷めた足並み




 体育祭の朝は、いつにも増して騒がしい攻防戦から始まった。


「いいじゃない、まーちゃん! 有給! 私は有給という名の正当な権利を行使して、家族の晴れ舞台をビデオカメラに収めに行きたいの! 保護者として!」


「ダメだよ美弥さん、正当かもしれないけど、それは社内評価が下がるだけだから。ほら、仕事行って。はい、行ってらっしゃい」


 急遽仕事を休んでまで応援に行こうと駄々をこねる美弥をどうにか説得し、半ば強引に玄関から送り出す。


 ふう、と一つため息をついてから、真は自分で作ったお弁当を鞄に詰め、学院へと向かった。


 街の風景は、いつもと少しだけ違っていた。


 普段ならきっちりと制服を着こなしているはずの北王子学院の生徒たちが、本日に限っては全員、動きやすい紺色の指定ジャージ姿で登校している。その青い波に混ざりながら、真はいつもの緩やかな丘を上っていった。


 学院の校門まで来ると、そこには見上げるほど大きなアーチ状の門が設置されていた。


 表面には、いかにも手書きらしい躍動感のある文字で『第十回北王子学院体育祭』と書かれている。


「『ねえ、まこと。これ、土台は段ボールか何かかしら? 昨日の放課後は影も形もなかったわよね?』」


 真のすぐ隣に浮かびながら、まどかが興味深そうにアーチの端をツンツンと人差し指で突く仕草をする。


 (たぶん、僕たちが帰ったあとに、体育祭の実行委員の人たちが居残りで設置したんだろうね。お疲れ様だなぁ……)


 心の中で作ったとの達へ応答しながら門を潜り、校舎に入って教室へと向かう。


 しかし、一歩教室に入ると、そこには「当日」というお祭り感など微塵も感じさせない、いつもと全く変わらない気怠げな風景が広がっていた。


 机に突っ伏して携帯端末をいじる者、漫画を回し読みする者。


 これから身体を動かすぞという覇気は、どこを探しても見当たらない。


 「『……本当にこの子たちは若さがないわね、若さが。もっとこう、青春のエネルギーを爆発させなさいよ』」


 宙で腕を組んで不満げに言うまどかに対し、真は「それを言う姉さんの方が、なんだかちょっとおばさん臭いですよ」という言葉が喉まで出かかった。


 しかし、そんなことを口にすれば、その後に待ち受ける、火を見るより明らかな結末は容易に想像がついたので、真は賢明にもそっと口をつぐんだ。


 そうこうしているうちにチャイムが鳴り、クラスメイトたちが全員席につく。


 ガラガラと扉を開けて入ってきた担任の九頭見は、いつも通りのきびきびとした足取りで教壇に立つと、生徒たちの顔ぶれを見渡した。


 「――本日の連絡事項だが。……はぁ。当日になれば少しはやる気の一つも見せるかと思ったが、お前らのその死んだ魚のような目を見るに、どうやら淡い期待だったようだな」


 まどかと全く同じ理由で、しかしこちらは深く重いため息をつきながら、九頭見は手元の出席簿をパチンと閉じた。


 「とにかく、怪我のないようにだけしろ。救護班の仕事を増やすなよ。以上だ、グラウンドへ移動しろ」


 その直後、校内に設置されたスピーカーから、ガサガサとマイクのノイズが響き渡った。


 『さあ、皆様! 本日は待ちに待った北王子学院体育祭となりました! 映像放送局局員、毎度お馴染みの実況解説を行わせていただきます、鶏島保と――』


 『は、はは、はじめましてっ! ほ、放送局員に入ったばかりの、おおお、大口一子でしゅ! ……くぅ……ッ』


 『ハハハ! 初めてのアナウンスともあって、彼女は見ての通りガチガチに緊張しておりますね! ですが大丈夫。どうせうちの学院の連中は、競技に夢中で私たちの声なんてほとんど聞いちゃいませんからね!』


 『そ、それはそれで、局員としてどうなんですかっ!?』


 『なぁに、全体の雰囲気を引き立てる味付けみたいなもんですよ。――さあ、とかなんとか言ってる間に、続々と生徒とがグランドに集まって参りました。それでは開会式の言葉に移りましょうか。全校生徒を代表して、三年――獅子井志那都さん、よろしくお願いします!』


 スピーカーから流れる、緊張感があるんだかないんだか分からない賑やかな掛け合いを聞きながら、真はクラスの列に続いてグラウンドへと歩き出す。


 いよいよ、現実世界での体育祭が、その幕を開けようとしていた。


 全校生徒がグラウンドで整列する中、朝礼台の壇上へと真っ直ぐな足取りで上ったのは、三年・獅子井志那都だった。


 しかし、彼女がマイクの前に立ったその瞬間、グラウンドのそこかしこから、困惑を孕んだ小さなざわめきが波のように広がっていった。


 本来、選手宣誓というものは、朝礼台のさらに奥に控える校長や来賓たち、つまり生徒たちの方に背を向けて行うのが通例である。


 だが、獅子井は違った。彼女は来賓席を一顧だにせず、鋭い視線をその場にいる全校生徒の側へと真っ向から向けていたのだ。


 『――宣誓。我々はスポーツマンシップに則り、正々堂々とすべての体育祭競技に力の限り臨むことを誓います。三年、獅子井志那都』


 極めて簡潔、かつ無駄のない宣誓。


 よし、これで終わりだと誰もが胸を撫で下ろし、彼女が壇上を降りるのを待とうとした、その時だった。


 『――なお、これは学業の一環である。貴様ら、いつまでも腑抜けた態度を取るようであれば、その緩みきった精神ごと叩き直してやる。……ならば、分かっているな?』


 かつて学院を震撼させた、|学院風紀維持局――『規律(オーダー)』の局長。氷結の処刑人(アイス・メイデン)・獅子井志那都。


 その座を退いたとはいえ、彼女が放つ絶対零度の眼差しと、鼓膜にピキリと凍りつくような低い声の威力は未だ健在だった。


 先ほどまで「だるい」「やる気出ない」と死んだ魚の目をしていた全校生徒たちの背筋に、問答無用で極寒の戦慄が駆け抜ける。


 ここで返事を誤れば、体育祭の競技が始まる前に自分たちの学院生活が強制終了させられかねない――。


 恐怖によって防衛本能を刺激された生徒たちは、自らの奥底から湧き上がる震えを必死にかき消すように、喉が張り裂けんばかりの声で一斉に叫びを上げた。


 「「「「「「|うおおおおおおおおおおおおっ!!!《イエス・マム!!》」」」」」」


 「『ひえっ……! さすがの威圧感ね。志那ちゃんってば、引退してなお、この学院の裏の支配者なんじゃないかしら……』」


 (獅子井先輩。あれは前とは違うな。前のは正しさの押し付けがあったけど、いまは使えるものは過去の異名すら使って見せると言う強かさがある)


 真の隣で、まどかが幽霊であるにもかかわらず文字通り身をすくませて怯えている。


 真もまた、周囲の狂信的なまでの怒号に圧倒されながらも、彼女の対応にただただ苦笑いを浮かべるしかなかった。


 獅子井は、地鳴りのような全校生徒の咆哮を聞くと、満足そうに一つだけ深く頷き、そのまま悠然とした足取りで壇上を降りていった。


 『――お、お見事です、獅子井志那都さん! 開会式直前までやる気の欠片も見当たらなかった生徒たちを、たった一言で爆発的に奮い立たせましたッ!』


 『ふ、奮い立たせると言うか、完全に恐怖でガクガク震えてるだけな気がするんですけどぉ……!』


 『ハハハ、どちらでも構いやしないさ! 結果的に全員が死に物狂いのやる気に満ちて競技を行ってくれれば、こちらも実況のしがいがあるというもの! ――さあ! 第十回北王子学院体育祭、レディ―――ゴォオォオオ!!』


 『……実況って、いつもこんな脳筋な感じなんですか? 私、早くもついていけないんですけど……くぅ……っ』


 スピーカーの向こうで繰り広げられる、お馴染みの鶏島先輩の強引な進行と、新人の一子ちゃんの困惑の声をBGMにしながら、グラウンドの熱気は恐怖によって強制的に最高潮へと引き上げられていた。









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