No.64 太陽の帰還、あるいは響き合う日常
No.64 太陽の帰還、あるいは響き合う日常
──9月──
新学期が開始されてから数日が過ぎた、ある日の朝のこと。
教室の引き戸が勢いよく開け放たれ、聞き馴染んだ賑やかな声と共に、ついに「彼女」が学園への登校を果たした。
「兎束雛! 恥ずかしながら、無事に帰って参りました!」
片手を上げておどけたように言い放った兎束の姿に、それまで思い思いの時間を過ごしていたクラスメイトたちが一斉に笑顔で振り返る。
「おうおう兎束! 安心しろ、戦争はとっくに終わってるぞ!」
「おいおい、ちゃんとメシ食ってたか? 風呂入ってたか?」
「っていうか入院中ってさ、やっぱりオムツ? それとも尿瓶だったわけ?」
「ちょっとあんたらーっ!? セクハラって言葉を知らないの、セクハラって!!」
容赦のない、けれど親愛の情がこれでもかと詰まったクラスメイトたちからの質問攻めに、兎束は頬を膨らませながら、いつもと変わらない太陽のような笑顔でテンポよくツッコミを返していく。
その様子を、真は自分の席から温かい目で見守っていた。
「お帰り、兎束さん」
ひとしきり周囲とのやり取りを終えて席に近づいてきた彼女に、真が声をかける。
「ただいま、まことくん! ……まあ、まことくんとは病院内でも結構頻繁に会ってたからね。お互い入院仲間だったし、なんだかあんまり『久しぶり』って感じがしないよ」
「あはは、確かにそうだね。……そう言えば、松葉杖はもうなくなったんだね」
真が彼女の足元に目をやると、リハビリ期間中にずっと彼女の身体を支えていたアルミ製の杖が消えていた。
「そうなの! ぶっちゃけ、あった方が体のバランスが取りやすい気がするんだけどさ。お医者さまからは『もう無しでも全然平気だよ』って太鼓判を押されちゃって。今は杖なしの生活に、一生懸命体を慣らしてるところ」
「『ふふ、雛ちゃん、本当に元気そうで良かったわね。やっぱりあの賑やかな子が教室にいるだけで、一気に空気が明るくなるわ』」
真のすぐ隣でふわりと浮遊しながら、まどかが嬉しそうに目を細めて兎束を見つめる。
そんな微笑ましい会話を交わしていると、ガラガラと再び教室の扉が開き、首に大きめのスポーツタオルをかけた宇賀が遅れて登校してきた。
そして、自分の席の近くに立つ兎束の姿を見つけるなり、宇賀はこれ見よがしに大袈裟に目を丸くした。
「おっ? 兎束じゃん! 今日はどうした、ついに病院から脱走でもしてきたのか?」
「脱走なんかしてこないわよ! 失礼なこと言わないで、ちゃんと手続きして退院してきたの!」
「へえ、そうなん? ――そいつはッ」
宇賀はカバンを机にドサリと置くと、すっと腰を落とし、両手を膝について深々とお辞儀をするような、いわゆる「極道の世界の舎弟」のような中腰の姿勢を取った。
「――お勤め、ご苦労様です、姐さんッ!!」
「あたしはヤクザか!!」
間髪入れずに炸裂した兎束の鋭いツッコミと鋭角な手刀が、宇賀の肩口にきれいに決まる。
「『あははは! 息ピッタリ! コタローってば、美弥ちゃんに洗脳されて懲りたと思ったら、今度は雛ちゃん相手にバカやってるわよ!』」
まどかがお腹を抱えるようにして宙で笑い転げる。
打てば響くような、あまりにもお約束で、けれど愛おしいツッコミの応酬。
そんな二人の軽快なやり取りを特等席で眺めながら、真は、あの偽りの箱庭ではない、紛れもない「久しぶりの日常」が本当に帰ってきたのだと、胸の奥をじんわりと満たしていく温かさを感じながら、静かに微笑みを浮かべていた。
その日の放課後。
すべての授業が終了した後の教室で、間近に迫った体育祭と学芸祭へ向けての学級話し合いの時間が設けられた。
体育祭のクラス単位で行う種目への参加は強制だが、個人やクラブでのエントリーは完全に任意となる。
そのため、自然とクラス全体の議題は「学芸祭でクラス全員で何かをやるか」という一点に集中することになった。
しかし、教壇に立った学級委員が黒板にチョークを構えた瞬間から、教室を満たしたのはおよそ10代後半の若者らしからぬ、どよんと重苦しい「事なかれ主義」の空気だった。
「ねえ、無難に休憩所でよくない? 椅子と机並べるだけの」
「いっそ、その辺の河原で拾ってきた石の展示とかは?」
「とにかく楽なのがいいなー。準備に放課後残るとかマジ勘弁」
「映画の上映とかどうよ?」
「それ、DVDそのまま流したら版権問題とか出てこないか?」
「定番の喫茶店は?」
「衣装作るか、既製品をそのまま出すかになるぞ。買い出しとか調理担当の割り振りで絶対揉めるって」
「お化け屋敷は?」
「ダンボール集めるの超大変そうじゃん」
「『……はあ。まったくこの子たちときたら、驚くほどやる気が皆無ね』」
真の背後でぷかぷかと浮遊しながら、まどかが頬杖をついて呆れ果てたようにつぶやく。
黒板に書き殴られていく意見は見事なまでにバラバラな上、そのすべての根底にあるのは「お祭りに参加はしたいけれど、面倒な作業は一切したくない」という、現代っ子特有の徹底した効率主義と怠惰だった。
「ははは……。あのヴィクセンの世界のみんなが、ちょっとおかしな熱量だっただけなんだね……」
次々と却下されていく企画を眺めながら、真はどこか呆気にとられたようにポツリと漏らした。
あの狂った『識蘊の箱庭』では、誰もが異常なバイタリティで体育祭と舞台劇を同時にこなそうと狂奔していた。
それに比べれば、目の前の光景こそが健全で、ひどく冷めた「本物の現実」なのだと突きつけられる。
結局、あーでもないこーでもないとダラダラ続いた話し合いの末、学芸祭の出し物は「一番準備が楽だから」というあまりに消極的な理由により、男子生徒の発案した『その辺で拾ってきた石の展示』という、およそ文化的な意味があるのか無いのかすら怪しいシュールな内容に決まってしまった。
意見が出揃い、最終決定が下るまで一言も口を挟まなかった担任の九頭見は、黒板に書かれた【石の展示】という文字を見つめたまま、担当する生徒たちのあまりの熱量の低さに深いため息をついて首を振った。
「お前らなぁ……。もう少しこう、行事に対する熱意とか、仲間と一つの物を作り上げる達成感を楽しもうという気概は無いのか?」
「先生、そういう青春っぽいパッションはあるにはあるんですけど……それとこれとは話が別、みたいな感じですかね」
一人の生徒が代表してすまし顔でそう答えると、周囲のクラスメイトたちも我が意を得たりと深く深く頷いた。
「『ふふ。やっぱり、うちの美弥ちゃんみたいなバイタリティの塊みたいな大人の方が、世間一般では希少種なのかもしれないわね』」
くすりと笑うまどかの言葉に、真は心の中で(確かに、あの美弥さんのあの怒涛のエネルギーを基準にしたら、大抵の人間はやる気ゼロに見えちゃうよな……)と同意しつつも、何ともコメントしづらい複雑な表情を浮かべるしかなかった。
何はともあれ、これで体育祭と学芸祭のクラス方針は決定した。
あとは、ただ淡々と当日を迎えるのみと――真は、この時はそう信じて疑っていなかった。




