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No.67 【幕間:九尾ヶ坂麗】




 No.67 【幕間:九尾ヶ坂麗】




 私は昔から、その場の空気を読むのが得意な子だった。


 仕事でいつも忙しい父親。家事や育児に追われて余裕のない母親。そして、いっぱいに甘えたい盛りの小さな弟や妹たち。


 だから私は、私という人間をいつも後回しにして、彼らのことを最優先にして生きてきた。


 それが長女としての私の「役割」であり、家族が円満でいるための正解だったから。


 そしてそれは家の中だけでなく、学校という場所に舞台が変わっても、何一つ変わることはなかった。


 「九尾ヶ坂さんは申し訳ないんだけど、これ手伝ってもらえる?」


 「はい、わかりました。次は何をすればよろしいですか?」


 「九尾ヶ坂さんのところの麗ちゃんは、本当にいつも良くできた娘さんよねえ」


 「ありがとうございます。ふふ、そんなことないですよ」


 顔に張り付いた、完璧な笑顔。


 その場その場で、相手の求める通りに変える対応。


 そうした生き方に慣れてくると、次第に頭で考えなくとも、相手が自分に何を求めているのかが直感的にわかるようになっていった。


 だから、私は考えるのをやめた。


 だって、その方がずっと楽だったから。


 何も考えず、ただその場その場の空気に合わせて、都合の良い自分を繕ってさえいれば、誰も傷つかないし、誰も怒らない。


 「ねぇねぇ、お姉ちゃんって……お人形?」


 ある日。


 一番下の弟に、無邪気な声でそう言われてしまった。


 どうしてそんなことを言うの、と笑顔のまま尋ねたら、弟は少しだけ身を引いて。


「なんか、お人形みたいでこわい」


 そう言った。


 私は弟に人形だなんて思われないようにするにはどうすれば良いのだろうと、一生懸命に答えを探した。


 けれど、その答えは私の()のどこを探しても、見つからなかった。


 私の中で、弟のその言葉は小さな針となった。


 いつまでもチクチクとした、かすかな痛みを感じるようではあったけれど、自分ではその針を抜き取ることも、かといってこれ以上強く痛みを感じるようになることもできない。


 ただただ、空っぽのまま、その状態を続けるしかなかった。


 「……どうすれば、良いのかしらね」


 ぽつりと、ひとりごちる。


 入学したばかりの学園。


 その、普段は人が滅多に来ないような場所にポツンと置かれている、デッドスペースの休憩所。


 私はその古びたベンチに腰を下ろし、一人で静かに空を見上げていた。


 青く澄んだ、もうすぐ夏になろうかとする、どこまでも高い青空が広がっている。


 眩しさに視線を地上へと戻し、ふと、奇妙な違和感に気がつく。


 「そう言えば……夢の中で言われたのって、ここだったかしら?」


 つい最近のことだっただろうか。


 それとも、もっとずっと前のことだっただろうか。


 所詮は夢の話だから、記憶の輪郭はひどく曖昧になってしまっているけれど。


 夢の中で私は、とても面白い……いいえ、おかしな体験をしたみたいだった。


 この学園で、私はいつも通り、私のまま変わらずに退屈な日々を過ごしていたはずだった。


 けれどある日、私は何か、酷い熱病にでも侵されたように、人々を操り――いえ、言葉巧みに(たら)かしていた。


 私の『九尾ヶ坂』という名字の繋がりではないけれど、古典の怪異に出てくる、九つの尾を持つ邪悪な妖怪にでもなったかのような、そんな心地だったかしら。


 そして、妖怪らしく、私は最後には退治されるの。


 その退治される引き際の瞬間、私は、本当の私らしくもない、醜い声をあげて取り乱していた。


 『お願いします。私を欲してください。私を求めて。そうすれば私は、私のままでいられるんです。だから、だから──』


 それは、胸が苦しくなるほどの切望だった。


 私の()に、あんなにもドロドロとした激しい思いが眠っていたなんて。


 夢の話とはいえ、自分自身のことながら随分と驚いたものだった。


 そして。


 そんな私を真っ向から退治した人。


 ふふ、今思い出しても、本当におかしな人だった。


 身体中を傷だらけにして、血を流しながら、その顔には縁日の露店で売っているようなウサギの、それも半分だけのお面を不気味に張り付かせている少年。


 その人は、泣き叫ぶ私を冷徹に見下ろして、こう言ったのだ。


 『僕は君を欲しない。君が君自身を定義したいのなら、それを他人にゆだねてはいけない。そうしてしまえば、それは君ではなくなるのだから』


 それは、冷酷なまでの強い拒絶だった。


 けれど同時に、それ以上のどうしようもないほどの「優しさ」が、そこにはあった。


 私を、人形ではなく、一人の「君」として認め。


 だけど、自分の理想や役割を決して押し付けてはこない、そんな突き放すような優しさが。


 「………ふぅ………」


 私は一度、胸の奥に溜まっていた古い空気を、長く吐き出した。


 そして。


 「……すぅ……」


 もう一度、新しい息を深く吸い込む。


 身体の中に、新鮮な世界の空気を取り入れる。


 ただそれだけの、ありふれた生命維持の行為。


 だけど、今の私には、この「自分で息をする」という当たり前のことが、少しだけ特別で、必要な行為のように思えた。


 「まだ……どうすればいいのか、全然わからないですけど。はい。頑張ってみます」


 私は、名前も、どこの誰だかもわからない。


 夢の中で出会った、あの不器用で傷だらけの「ウサギの仮面の人」に宣言するように、青空に向かってはっきりと、その言葉を紡いだ。












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