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No.159 双風の境界、あるいは深緑の静寂




 No.159 双風の境界、あるいは深緑の静寂




 Rin Rin Rin……




 軽薄な目覚ましの電子音が、朝の静寂を無機質に切り裂く。


その瞬間、真の意識は微かなラグもなく覚醒の領域へと浮上した。


 ベッド脇のナイトテーブルから、昨日置いた場所と寸分違わぬ位置にある眼鏡を手に取り、装着する。


 視界が明瞭になるのと同時に、彼の「日常」というプログラムが起動した。


 着替え、洗面、そしてキッチンでの朝食作り。


 真の指先は、まるで精密機械が最適解をなぞるように動き、均一な厚さのトーストと、適切な温度のコーヒーを並べていく。


「『……ふあぁ。まこと、相変わらず朝からロボットみたいよ。もう少し「あー、ねむい」「かったるい」とか、人間らしい姿を見せてもいいんだよ?』」


 寝ぼけ眼のまどかが、空中を漂いながらあくびを漏らす。彼女の存在そのものが、この幾何学的で無機質な朝における唯一の「不条理(ノイズ)」だった。


 その時、二階からけたたましい目覚まし時計の絶叫と、それに続く爆発音のような物音が響いた。


 「やっば! 遅れるー!」


 ドタドタと、階段を破壊せんばかりの勢いで美弥が駆け下りてくる。


 彼女は真が差し出したトーストを野生動物のような素早さで引ったくり、コーヒーを一気に煽ると、「行ってくるわね!」と嵐のように玄関を飛び出していった。


 真はその後ろ姿を見送ることなく、自分の皿を静かに片付ける。


 これが、この家における「変わらぬ風景」――平穏という名の慣性だった。


 学院へと向かう道すがら、変わらぬ日の光と共に少し肌寒い風が歩く者達の熱を奪っていく


 登校する生徒たちの喧騒を、真は鼓膜を通り抜ける背景音として処理し、昨日とは変わり職員室には向かわず、そのまま教室へと向かう、中へ入ると、既に何人かの生徒が登校しており、思い思いの時間を過ごしていた。


 「おはよーまことくん。もう着いてたんだ」


 短い挨拶と共に声を掛けてきたのは兎束であった。


 その頬は運動後の火照りで赤く、ジャージの襟元からは薄く湯気が立ち昇っているように見える。


 彼女の発する生命力が、早朝の教室の冷えた空気をわずかに和らげていた。


 「『はよー雛ちゃん』」


 まどかは元気良く更に縮めた挨拶をして、真は短くおはようと挨拶を交わした。


 真のその様子に、雛は「相変わらずだね」と言いたげに苦笑を浮かべる。


 「『ごめんなさいね、雛ちゃん。うちのまことが無愛想で、こらまこと、挨拶はきちんとしないとダメでしょう』」


 宙に浮くまどかは、自分こそがこの世の理|(物理法則)から外れた存在であることを棚に上げ、世話焼きな姉――あるいは過保護な母親のように、真の耳元で小言を並べ立てた。


 そうこうしている間に登校してくる生徒の数は多くなり、予鈴の鐘の音が鳴り響き、教室が慌ただしく席を埋めていく中、まどかは真の背後の「空席」を不安げに見つめていた。


 

 「『コタローまだ登校してこないね……どうしたんだろう?』」


 真の後ろの席がポツンと、いまだに空席になっていることに、その席の主がまだ来ていないことを心配そうに見つめるまどかいた。


 そんなまどかの想いを裏切るかのように教室の扉が開くと、宇賀が登場したのである。


 「ハア……ハア、せ、セーフ……」


 肩を上下させ、限界まで息を切らせた宇賀小太郎が滑り込んでくる。


 だが、その直後。彼の頭上には、鋼鉄の重みを感じさせる出席簿が「ドンッ」と無慈悲に置かれた。


 「ギリギリアウトだ。バカたれ」


 背後に立っていたのは、担任の九頭見朱巳だった。


 「朱巳ちゃん! マジ頼む! 間に合ったとして、見逃して!」


 無慈悲な言葉を聞いた宇賀はまるで捨てられた子犬のような目をして、九頭見に懇願をする。


 彼女は冷ややかな、けれどどこか呆れた視線で宇賀を見下ろしていた。


 彼女は軽く嘆息して、もう一度生徒名簿帳を宇賀の頭に軽く叩く。


 「先生だ、馬鹿者。……まあ、いい。向こうも今日は忙しいだろうからな、お前に構っている暇はない。さっさと席に着け」


 そう答えが返ってきたら宇賀は笑顔となり。


 「あざっーす!」と、スキップするように自分の席に向かっていく。


 その様子を見て、九頭見はやはり「反省房」へ送るべきだったかと、宇賀の底抜けの明るさに、まるで偏頭痛を耐えるかのようにこめかみを押さえていた。


 九頭見は教室内を見渡し、全員が着席していることを確認すると朝のホームルームを始めた。


 「先ず連絡事項だが、個人宛となる。繭住」


 「『えっ!? ボ、ボク……!?』」


 まさか自分が呼ばれるとは思わず、少し体が震わせ驚くまどか。


 しかしそうではなく呼ばれたのは真の方であった。


 「今日の学外清掃だが、君も参加するのか?」


 どう言う意図なのかはわからなかったが、九頭見の質問に真は頷いた。


 「……そうか。ならばすまない。君用のロッカーがまだ手配されてなくてな。申し訳ないが手配が完了するまで、こちらで用意した更衣室を使用してくれ。場所は、そうだな。学外清掃に行く前に職員室に来るように」


 そう言う事情ならと納得した真。


 次にあった連絡事項は当たり障りのないものであり。


 直ぐ様始業のチャイムが校内に鳴り響く。


 授業は昨日同様に個性豊かな教職員達、その中で普通の授業を行う九頭見は、ある意味で、異様な授業風景となっていた事だけは、ここに記しておく。


 「うおっし! じゃあ汗水滴しに行きますか!」


 午前の授業をまともに聞いていなかった宇賀が気合いを入れて席から立ち上がる。


 「そうだ、まこと。お前、場所しんねぇだろう。下駄箱のところで待ってんから、着替えたら来いよ、案内すっから」


 宇賀のその言葉に静かに頷き。


 真は職員室へと足を向けた。職員室の中に入ると九頭見が直ぐ様真の姿を見つけ、席を立ち、こちらにやって来る。


 「来たか。こっちだ」


 そう言って案内されたのは職員用と書かれたロッカー室だった。


 「ここを使ってくれ。それと鍵を渡しておく。失くさぬように」


 『チャリっ』となる小さな鍵を九頭見から渡され、指定したロッカーの扉を開けると、真新しさがあった。


 真はその場で着替えようとすると、ロッカーの影から九頭見が話しかけてきた。


 「……あ、その、なんだ。こういった話しは、私的になるので、あまり宜しくはないんだが、美弥は元気にしてるのか?」


 「『美弥ちゃん? 今朝も元気に暴れて、お家を飛び出していったよ』」


 何の話しかと思えば美弥に関すること、彼女は今朝も変わらずの姿で、仕事に向かったと言葉にする。


 「そうなのか? それにしても彼女の性格を考えると、昨日の夜の内に、私のところに、昨日の君の様子がどうだったと、連絡が掛かってきても良さそうなのだが…」


 「『ああ……それたぶん、美弥ちゃん。今やってるゲームに夢中で、そんなことすっかりポンッと忘れてたんだと思うよ』」


 美弥の最近の様子を知る真が九頭見にその事を話すと、九頭見は本当に頭痛を起こしているように額に手を当てて。


 「美弥は変わらないな……物事をひとつ決めたら一直線なところは相変わらずか……」


 九頭見は物陰からでもわかる程、空気を教師としての自分に戻した。


 「すまなかった。私的な話はここまでだ。今日の学外清掃は君にとって初めての依頼(タスク)となる。あまり緊張せず、楽しみながらやって来るといい」


 その言葉を最後に九頭見はロッカー室をあとにした。


 真も速やかにジャージに着替えると玄関へと向かう。


 そこには宇賀だけでなく。


 兎束も一緒に玄関先で待っていた。


 「お、着替えてきたな、まこと。んじゃ、今日の『お楽しみ』に行こうぜ」


 意地の悪い笑顔を見せる宇賀に、兎束は溜め息を交えながら首を横に振り。


 「残念ながらあんたの考えなんてお見通しよ。昨日の内に、あたしがまことくんに話しちゃったから」


 「はあ!? お、ま、今日の学外清掃の内容教えたのかよ!?」


 兎束の突然の告白に仰天する宇賀。


 その様子を見ていたまどかが。


 「『コタローが冷蔵庫担いでいたってやつなら聞いたよ』」


 「『ザンネンだったねぇ、コタロー』」と、まどかの方がイタズラを仕掛けた側のような表情を見せていた。


 宇賀の方は楽しみが減ったと言うように、兎束と騒いでいたが、真が場所は何処と、静かに尋ねると二人は言い争いは止め、宇賀が校舎裏を指し示した。


 「こっちだ。校舎裏から山に入れる道があるんだ」


 「『昨日雛ちゃんから聞いたハイキングコース?』」


 宇賀と兎束のあとを追うように着いていくまどかと真。


 校舎裏に回り目の前には森林が連なる山の姿。


 その中腹辺りにポツンと穴の空いたように木々が剥げ落ちたような場所を目にする。


 「見えるか? 今日やる掃除はあの辺あたりだ、まあ、ゆっくり歩いても二、三十分で着く距離だな」


 「そこまできつい道のりじゃないから、小学生の遠足などにも使われてるから安心して」


 宇賀と兎束の言葉に頷き。


 山道へと足を一歩踏み入れる。すると先程の校外いた時とは違った、湿った空気が真の肌に張り付くように感じられた。


 「『……ふふ、冒険者まどかの旅が、いま始まる』」


 勇ましい言葉を口にするも、少し薄暗い森の中で不安を感じているのか、真の後ろに隠れるまどか。


 兎束の言葉通りに山道はとても緩やかでハイキングと言う意味では、子供でも問題ない道であったが、道の端々に散乱するゴミが至るところで目についた。


 「『まったく、だれ? 山にゴミを捨ててく人は、自分で出したゴミはお家に持ち帰りましょって、知らないの?』」


 「まったく、今年も多いな。和尚がああだから、みんな捨ててくのか?」


 「ちがう、とは言いがたい部分があるのが、なんとも言えないわね。あの和尚さんなら『あるがままに』とか言って受け入れてそう」


 「いや実際受け入れてんだろう。他の山は知らねぇけど、じゃなきゃこんなに多くねぇだろう?」


 先行く宇賀と兎束が散乱するゴミについて話している。


 「『おしょさんてだれ? その人がこの現状をゆるしてるの?』」


 二人の会話に混じるまどか。勿論宇賀と兎束にはまどかの声は届いていない。


 宇賀と兎束と、声の届かぬまどかの三人が話しながら山道を歩いていると、木々の合間が開けた場所へと辿り着く。


 そこには自分達以外の生徒の他に、どういうわけか、近隣の小学生の一団と思わしきグループもその場にいた。


 また彼らの後ろには集めたゴミを収集するためであろう、何台かのトラックと、その場にそぐわぬ黒塗りの高級車が止まっていた。


 「お、今年も来てるのか理事長」


 宇賀は黒塗りの車の方に目をやりそんなことを呟く。


 真達は先に来ていた一団と合流すると、そのタイミングを計っていたかのように、拡声器による声が辺りに轟く。


 『あー、あー、マイクテス、マイクテス。んんっ、集まってもらった皆さま、学生会実行委員会の鳥塚です。本日学外清掃に参加していただきありがとうございます』


 声がすると皆が一斉にそちらへと目を向ける。


 拡声器を持っている男子生徒が周りにいる人達に見えるようにと、少し高い位置に立っている、その彼の話が佳境に入る頃、黒塗りの車の周りにいた黒服の人達が、中にいる人物を呼ぶように声を掛けていた。


 車の扉が開かれ、中から現れたのは和服姿の老齢な女性であった。


 老婦人の姿を目にした生徒の数名のざわめきが起こり、それが波紋のように他の生徒へ伝播していく。


 『──と、こちらからの説明は終わります。続きまして、本日お越しくださいました、凰千鶴さまよりお言葉をいただきたいと思います』


 鳥塚は拡声器を黒服の一人に渡し、その場所を老婦人に明け渡す。


 老婦人は鳥塚に会釈を交わすと、黒服の人に目配せをする。


 黒服の人は拡声器を老婦人の顔の辺りに持っていき、老婦人がその一声を発した。


 『皆さまお初にお目にかかります。ご紹介にあづかりました『(おおとり)千鶴・ちづる)』と申します。本来は私の夫である(おおとり)紅太郎(・こうたろう)がこの場へと来る予定でしたが、時間が会わず、こうして私が夫の代わりに皆さまへのご挨拶に参った次第です』


 穏やかな声量で、ここにいるすべての者の耳に届くように語る凰、彼女の言葉にまどかや真以外の生徒達は腑に落ちたと言う雰囲気を出していた。


 「そっか……理事長ってかなり多忙だもんね。テレビでその名前が出ないことないもん。そりゃあ、こんな学校のいちイベントには来ないか」


 「『ああ! あのテレビのおじいちゃん! 知ってる知ってる。ボクもテレビで何回か見たことある』」


 兎束の言葉にまどかは思い出したと言うように頷いている。


 『──更に本日は学院の生徒さん達のみならず、小さな方達まで参加してくださると聞き、夫も大変喜んでおりました。本日の清掃活動、皆さまどうか怪我などしないよう、がんばってください。短いですが、ご挨拶とさせていただきます』


 凰が軽く会釈をすると黒服の人に支えられ、その場を下り。


 その場を降りると、入れ替わるように鳥塚が再び立ち上がるように現れた。


 『凰千鶴さま、ご挨拶ありがとうございました。それではみなさん、本日の清掃活動を始めたいと思います。トングやビニール袋、軍手などを持ってない人は腕章を着けた人から受け取ってください』


 鳥塚のその言葉に宇賀は苦虫を噛み潰したような表情を見せる。


 その横で真は持参した道具で足りないものがないかを再確認していた。


 「……なあ、まこと。掃除道具それ)、余ってねぇか」


 どう考えても一人分しかない道具に宇賀は諦めきれないと言うように真に尋ねるも、真は無慈悲に首を横に振る。


 「だあぁー! あいつらに借りにいくのはなんかしゃくだ!」


 叫ぶ宇賀。


 その様子を理解している兎束は呆れた様子で宇賀に目線を送るも、自分はさっさと腕章を着けた一団の方へと向かっていく。


 そしてそんな取り残された宇賀の背後にいつの間にか人の影が現れる。


 「でしたら、去年同様に大物狙いでいかれますかな」


 後ろを振り返ると剃り上げられた青々とした頭に半開きな目、そして古びた作務衣を纏い、箒を持った青年と言うには若くはなく、さりとて中年と言うほど老けてもいない。

 

 年齢という概念を煙に巻くような、不思議な風貌の男性が立っていた。


 「うおっ!? 気配消して背後に立たないでくれよ和尚!」


 飛び上がるように驚く宇賀。


 振り向いた先にいた人物を非難する言葉を浴びせるも、その人物は飄々とした態度で笑い声を上げる。


 「あっはっはっはっ。これは失敬。なにやら新たなひとつの風、いや『二つの風』を山門の外より感じ、寺院より下りて参ったしだいで、驚かす気など拙の頭のように毛頭なかったぞ」


 笑いながらぺちりと自分の頭を叩く、和尚と呼ばれた人物。


 「二つの風って、相変わらずイミフな言い回しだな。ようはこいつに会いに来たってことだろう」


 宇賀はこちらを指差し、和尚は指された人物をその細い目線で見つめる。


 真はその視線は何だか心の奥底まで覗き見られているような感じがして、少し立ち位置をずらした。


 「ふむ……。お主、なかなかに『硬い』風を纏っておるな。だが、その隣にある『柔らかな風』がなければ、今にも折れてしまいそうな、若木のごとき心……」


 和尚は右手に箒を持っているため、左手のみの合掌をする。


 そんな和尚に宇賀はやはり訳がわからないことを言っていると呆れていた。


 「気にすんなよ、まこと。和尚はそう、なんか、霊感みたいなもんがあるみたいで、会うやつにはみんな、同じようなこと言ってんだよ。俺もなんだっけ? 乱れたとか、荒れ狂うといわれた気がしたな」


 宇賀の言葉に真は変わらずの無機質な視線を和尚に向ける。


 そして一方まどかは、真の背後では、いつもなら「『失礼なハゲ頭だね!』」とでも騒ぎ立てるはずのが、いまは石像のように固まっていた。


 彼女の輪郭は、かつてないほど激しく波打ち、和尚の言葉に呼応するように、その透けた指先が微かに震えていた。


 和尚は、まどかが立っているはずの「虚空」へ向けて、穏やかで深淵なる微笑を投げかけた。















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