第7話 籠絡ならこう囁くよ
―――またあの夢を見た。
隣町での買い物を終えて、カイルはリリアナが待つ家に帰る。いつもと変わらない日常が続くはずだと、まだこの時は信じていた。
しかしすぐに異変に気がついた。いつもはついている家の明かりが灯っていないのだ。
「……珍しいな。この時間にもう寝てるのか?」
カイルの呟きにユユが答える。
「……妙だな。リリアナならカイルが戻るまで暖炉の火を残しておくはずだ。」
扉を押し開けると、鉄のような匂いが鼻を突いた。
「…血の匂いだ。」
ユユの声が僅かに震える。
暖炉は冷え切り、居間は闇に沈んでいる。月明かりだけが窓から差し込み、机や椅子を淡く浮かび上がらせていた。
その中央に、倒れている人影があった。
「……リリアナ?」
カイルが呼びかけながら近づく。返事はない。
次の瞬間、目に飛び込んできたのは、床に広がる黒ずんだ染み。
カイルは駆け寄ると、すぐにリリアナの身体の二重の傷に気がついた。
まず浅い傷を入れ、毒を流し込んで動きを鈍らせ、その後心臓を突く。ディルナの得意先の殺し屋の手口。
「どうして……?」
カイルは震える手でリリアナの頬に触れる。返ってきたのは冷たく固い感触。カイルの指先が血で汚れ、嗚咽が喉を突き上げる。
この家に戻る前まで、リリアナは確かに笑っていたはずだ。
ーーーカイル、あなたは優しさで人を救う籠絡士になってね。
そう言って微笑んだ声が、まだ耳に残っている。だが今、目の前にあるのは血に濡れた沈黙だけだった。
「リリアナ……。」
呼びかけても返らない声。カイルの瞳から、熱いものが零れ落ちる。
その瞬間、夢が揺らいだ。血の匂いと冷たい床の感触だけを残し、闇がすべてを呑み込んでいく。
「……っ!」
荒く息を吸い込んで、カイルは跳ね起きた。額には冷たい汗が張り付き、胸の鼓動が耳の奥で騒いでいる。
薄暗いノクティスの拠点の一室。夢の中の赤黒い色がまだ網膜に焼き付いていた。
「……また、か。」
小さく呟いた声は震えていた。
カイルは一つ息を吐き、心を落ち着かせる。静かな手つきで紫のピアスをつけた。
「おい、オレの目は誤魔化せねぇぞ。またあの日の夢でも見たか?」
枕元で金色の瞳が光った。ユユだ。
皮肉っぽい声だったが、どこか心配そうな響きが混じっている。
「ユユには隠せないね。」
カイルは苦笑する。
「やっと犯人も分かったんだ。大きな進歩だろ。」
「うん。でもここからが始まりだ。」
カイルの瞳に強い影が宿る。
「おい、とりあえず顔を洗ってこい。朝飯抜いたら、俺が全部食っちまうぞ?」
カイルは少しだけ表情を緩めた。けれどその青い瞳の奥に宿る影は、まだ色濃く揺れていた。
「……ほんと、なんで殺されちまったんだろうな。やっとあいつが心から笑える居場所ができたのに……」
部屋を後にするカイルの背中を見つめて、ユユはため息混じりに呟いた。
◇◆◇◆
カイルは机に広げた報告書を静かに閉じた。
聖教会の拷問官ローザにノクティスのメンバーが襲われる事件が起きたのだ。襲われた隊員は、外傷はほとんどなかったそうだか、ひどく怯え、錯乱した状態で戦闘復帰は絶望的な状況だという。
ローザはカイル、教会を抜け出したセイラ、マリナ、グレイスの行方を追っている様子だったらしい。
人の悲鳴や絶望を甘美と言い、笑って浴びる狂気の女、ローザ。教会の職員達にすら恐れられているローザの噂を、カイルも教会にいる頃から度々耳にしていた。
報告書によると、ローザ自身もかつて聖教会の拷問にかけられ、心を壊された被害者だったようだ。
「……なるほど。だから他人の苦しみを快楽に変えてしまったのか。」
カイルは穏やかに目を伏せる。
肩に乗っていたユユが、尻尾を揺らしながら覗き込んだ。
「……ふん。今お前が何考えてるかわかるぜ。この女、堕とせそう、そう思ってるだろ?」
カイルは吹き出すように笑った。
「嫌だなぁ、ユユ。『堕とす』なんて言い方!」
笑顔を浮かべたまま、カイルの青い瞳がどこか鋭く細められる。
「……籠絡する余地があると思ったのは認めるけどね。」
ユユは肩の上で呆れたように鼻を鳴らす。
「やれやれ、ほんっとお前は怖えよ。優しさで人を縛るんだからな。」
カイルは何も答えず、ただ優しい笑みを崩さなかった。
「カーイッル!何見てるの?」
セイラがそう言いながら後ろから腕を回して来た。セイラのお気に入りの香水の匂いが鼻をくすぐる。カイルは振り返って微笑むと答えた。
「例の事件の犯人のこと、調べてたんだ。」
グレイスが ずるい……!と小さく言いながら駆け寄ってくる。
マリナは、セイラは相変わらずカイルにべったりね。と微笑んでいる。
「まぁ、籠絡できる隙があるか、見てたってとこだ。」
ユユは笑いの混じった声で言う。セイラはふーんと、カイルの手元の資料を一瞥する。
「……ねぇカイル。籠絡ってさ、結局、色恋と同じなんじゃないの?」
「確かに。言葉で相手を翻弄するなんて、恋と似ているように思えるわ。」
カイルの隣に座ったグレイスが長い髪を耳にかけながら言った。その反対側にマリナがスカートを整えながら腰掛ける。
「ふふ。少なくとも、あなたのその微笑みに堕ちた女の子は多そうね。」
カイルは笑顔を崩さず、少しだけ首を横に振った。
「全然違うよ。」
カイルの青い瞳が、柔らかくも鋭く輝く。
「色恋は、相手との関係を始めること。籠絡は相手の信念を終わらせることだ。」
セイラ達は思わず息を呑む。カイルはあくまで穏やかな笑みを浮かべたまま、続ける。
「まあ……確かに恋愛感情は相手をコントロールするのに便利だから、籠絡に使われることはよくある。でもね籠絡と恋は根本的に違う。」
彼は軽く間を置き、ふっと笑って三人を見回した。
「恋なら『君は綺麗だ』とか『かわいいね』って言う。相手の魅力を認める言葉をかけて、互いの距離を縮めようとするんだ。」
まるで自分がその言葉をカイルに言われたかのように、三人は頬を赤く染める。
「でも、籠絡なら必ずしもその言葉は必要ない。例えば、『君の価値は、誰よりも俺が一番知ってる。』って囁くんだ。この言葉、どこに落とし穴があるか、わかる?」
一瞬の沈黙。
「一見、優しい言葉に聞こえるわ。でも……よく考えれば、他者を切り離して自分に依存させようとする意図を読み取ることもできるわね。」
マリナが答えると、カイルは正解だ、というように頷く。
「恐怖でも、恋愛感情でも何でもいい。感情を揺らす言葉で、相手に思考の停止点を植え付けるんだ。
例えば、さっき出した言葉を使って、『この人だけが自分の価値を理解してくれる』という考えを相手に持たせて、本当はそうじゃないかもしれない、という思考を相手から奪う。
そして、俺の隣だけが君の居場所だと信じ込ませる。」
セイラ達三人は誰も言葉を続けられなかった。そんな少女達の反応を真っ直ぐに受け止めたうえで、カイルは微笑む。
「……でも、俺は違う。俺が籠絡を使うのは、その人を縛っている信念を壊して、その人を救うためなんだ。」
セイラは頬を赤らめ、グレイスはカイルを見つめたまま固まり、マリナはふっと笑った。三人とも、カイルの笑顔から目を離せなくなっていた。
その瞬間――。
「ぎゃああああああぁぁ!!!」
耳をつんざくような叫び声が広間に響き渡った。
「で、出たぁぁ!モテ男の必殺『自然な微笑み返し』!羨ましいィ〜〜〜!羨ましいィィィ〜〜〜〜!!」
声の主は、カイルに噛み付かんばかりの勢いで睨んでいるライネルだった。
「爆ぜろォォォ!カイルゥゥゥ!その女たらしスマイル、爆死しろぉぉ!!!」
セイラがぎょっとして振り返る。
「ちょ、ちょっとライネル!?いきなり何なのよ!」
「何なのじゃない!!お前ら、さっきからず〜っといちゃついてるだろ!?俺の目の前でだぞ!?氷姫だっておっとり姉さんだって……みんなカイルにデレデレじゃねぇかあぁぁ!!」
マリナは苦笑しつつ、落ち着きなさいなと手をひらひらさせる。
グレイスは顔を真っ赤にして「べ、別に私は……」と小声で抗議する。
ユユがカイルの肩の上でため息をつき、尾をぱたぱたと揺らした。
「……おいライネル。お前さ、カイルがモテてるって騒ぐたびに自分が余計に惨めになってるの、気づいてんのか?」
「う、うるせぇぇぇぇッ!俺だって!俺だっていつか……!」
ライネルは顔を真っ赤にしながら剣を引き抜き、意味もなく素振りを始めた。
カイルはライネルに向かって、いつもの柔らかな笑顔を向けた。
「ライネル。いつか君の魅力に気がつく女性も現れるよ。少なくとも、オレはライネルが前に出て戦ってくれるおかげで安心できる。」
「~~~~ッ!!」
ライネルは真っ赤になり、剣を振る手が止まった。
「そ、そういうことを……さらっと言うな! 余計に嫉妬するだろうがぁぁぁ!!」
広間に笑いが広がる中、カイルはただ微笑みを崩さずにいた。




