第4話 準備運動かと思ったけど
夜の森。月明かりを背に受け、ノクティスの精鋭たちは闇に溶けるように潜んでいた。
乾いた車輪の音、鎧の軋み、そして荷馬車を守る聖教会の兵士たちの声が、静かな空気を切り裂く。
ユユが姿を消したまま、カイルの耳元に声を落とす。
「数は護衛二十一、荷馬車三台。……緊張感はねえな。欠伸してるやつもいる。だが、隊長だけは心臓バクバクだぜ。」
カイルは小さく笑みを浮かべる。
「ありがとう。崩すには十分だ。」
「行くぞ!」
イレーネの鋭い声が響いた。
合図と同時に、街道の分岐点、林の影の茂みに潜んでいたノクティスの戦闘員達が一斉に襲いかかる。
「敵襲だ!」
兵士たちが慌てふためく隙に、イレーネの冷静な号令が飛ぶ。
「散開して、混乱を広げろ!」
すぐさまライネルが炎の剣を振りかざし、退路へ回り込んだ。
「逃がすかよ! こっちだ、燃え尽きろ!」
轟々と燃え盛る炎が道を塞ぎ、兵士たちは退路を完全に断たれる。
その背後では、バルドがのっそりと歩き出す。
「ったく、面倒くせぇ……でもまあ、やるか。」
気だるげに剣を振り抜くだけで、複数の兵士をまとめて吹き飛ばす。巨体と膂力による一撃は、恐怖そのものだった。
混乱は一気に広がり、補給隊は乱れ始める。
その中心にいた隊長が声を張り上げた。
「落ち着け! 陣を組め! 神の名の下に我らは負けない!」
その瞬間、カイルが音もなく前に出る。
柔らかな笑みを浮かべながら、隊長のすぐ傍らに歩み寄った。
「神の名の下に? 随分と便利な言葉だね。」
隊長がハッと振り返る。
「貴様、どこから……!」
「でも君、心臓の音が速くなってる。怖いんだよね? 本当は、神の名なんて自分でも信じ切れてないんじゃない?」
穏やかな声。だが確実に、刃より鋭く心臓を抉る。隊長の顔から血の気が引き、次の命令が喉で凍りついた。
「……ち、違う……私は……!」
カイルは優雅に微笑む。
「大丈夫。君が信じられなくても、兵士たちはもう気づいてる。君が迷ったことに。」
隊長は怒りに顔を紅潮させ、剣を振りかぶった。
「黙れぇ! 神に背く者が!」
カイルは小さく微笑み、まるで舞踏会でダンスの一歩を踏み出すように軽やかに前へ出る。足音ひとつ立てずに、月明かりの中で影が揺れた。
鋭い一撃が振り下ろされる。だがカイルは少し身体をずらすだけで躱わす。
「……準備運動かと思ったけど、もしかして今ので本気だった?」
カイルの皮肉に、隊長は真っ赤になり、息を荒くする。
「……な、なんだと!?今すぐその口、二度と聞けないようにしてやる!」
「……俺を黙らせるのはいいけど、君自身が抱える恐怖からは逃げられないよ。」
カイルは冷静に隊長の攻撃を避けながら、観察を続ける。
(怒りの奥にある膨らみ続ける俺への恐れ。攻撃が当たらないことへの焦り。もう、この人は崩れる。)
「君の手、震えてるよ。」
穏やかな声で告げられた言葉に、隊長の顔がひきつる。
「ち、違う! これは…!」
ほんの一拍。
隊長が構えを取り直すより早く、カイルの手が隊長の剣を握る腕に伸びる。
「……力、入りすぎだよ。」
刹那、手首に鋭い衝撃が走った。
反射的に力が抜け、剣が手から離れた。乾いた音を立てて、剣が地面に落ちる。
カイルは隊長の腕を掴んで引き寄せ、耳元で囁く。
「もう、いいんだ。君は守るために剣を取ったはずだろう? 殺すためじゃない。」
まるで救いを告げるような声だった。隊長の体から抵抗の力が抜けていく。
瞳に宿っていた恐怖が、安堵と混ざり合い、揺らいだ。
周囲の兵士たちはその光景に言葉を失い、恐怖と動揺が一気に広がっていった。
「隊長……?」
「命令を……!」
隊長は黙ったまま立ち尽くしており、誰も従うことができない。
混乱の渦の中、カイルは振り返り、仲間たちに小さく頷いた。
「……今だよ。」
その合図に合わせ、ノクティスの戦闘員達が一斉に攻撃を仕掛ける。炎と怒号、そして崩れゆく信念の音が夜空に響き渡った。
こうしてカイルの初任務は、敵の指揮官の心を揺さぶり、勝利への決定打をもたらすものとなった。
◇◆◇◆
任務を終えたカイル達は、ノクティスの本拠地に戻った。
カイルは任務の疲れを引きずりながら、自室へと帰る。粗末な木のベッドと机が一つ。窓もなく、灯りは壁の燭台の火だけだ。
扉を閉めると、肩の上のユユがひょいと机の上に降り立った。
金色の瞳が炎に照らされ、わずかに揺れる。
「初めての任務、うまくいって良かったな。
他の連中のお前を見る目、明らかに変わったぜ。」
カイルはベッドに腰を下ろしながら頷く。
「教会からの転向者で籠絡士。彼らの疑いは正常な反応だよ。信頼は行動で、一つ一つ積み重ねていくしかない。」
「……本当、お前はいつでも冷静だな。怖いくらいだ。」
ユユの影が揺らめく。
「カイル。分かってるとは思うが、教会を離れた以上、もう隠れ蓑はねぇ。本家の奴らはこれまで以上に、お前を取り戻そうとするだろうな。」
カイルは黙って耳を傾ける。ユユは尻尾を一度だけ揺らし、声を低めた。
「そうなりゃ、オレも恰好の揺さぶり材料だ。生け捕りにされて、お前を縛る鎖にされるかもしれねぇ。……もしそうなった場合、その時は迷わずオレを捨てろ。」
ユユの目は真剣だった。
「お前がディルナの籠絡士に戻ったら……ディルナ式の、仕込みで相手を追い込む冷徹な籠絡とリリアナ式の優しい籠絡。両方を兼ね備えた最悪の籠絡士になる。どれだけの心が壊れるか、計り知れねぇ。」
その言葉を聞いても、カイルは微笑みを崩さない。しかしその青い瞳には、確かな決意が宿っていた。
「大丈夫、ユユ。もう誰にも……奪わせないよ。ディルナにも、教会にも。」
ユユは一瞬、息を詰め、それからフンと鼻を鳴らした。
「……はぁ。ほんと、そういうところお前はズルいんだよな。」
カイルはそっと、ユユを安心させるように撫でた。




