第90話 ESCAPE
研究所にて。
激しい雷撃が廬を襲った。
「ほら、その程度? もっとよく見なさいよ」
ミライが指先から雷撃を放っていた。雷撃が向かう先には、既に傷だらけの廬。
これは廬がミライに頼んだ事だった。
廬には特異能力を防ぐ力があると言われて来た。それが廬が持つ宝玉の力ならば、その力を使いこなせるようになれば鬼殻を退ける事が出来るかもしれない。
ミライは特異能力者ではないが魔術だって未知な力だ。弾くことが出来るかもしれない。
だが意図して避けられるものではないようで廬は悪戦苦闘している。
ミライは容赦なく魔術を放ってくる。魔術も無限に放てるわけじゃない為、魔力消費が軽いものを放つ。しかしそれもやはり数を重ねたら大きく消費する。
研究所の中庭。新生物が暴れても壊れないように構築された庭は芝生が焦げている。
「佐那。お前が宝玉を使っていた頃は、どう言う感覚だった?」
見学をしている佐那に廬が尋ねた。
苛められているのを見ている事しか出来ない佐那は突然尋ねられて驚いた。
「え、えーっと……なんだろう。息するように簡単な事だったからよく覚えてない」
「今は?」
「いま……。宝玉を使うような大ごとがあるわけじゃないからね」
「じゃあ、使ってくれないか?」
「えっ!?」
「ごめん。突然なのはわかってる。だけど俺に必要な事なんだ」
「……そ、そんな事言われても」
緑の宝玉。その使い方。当然、佐那は宝玉を手にした瞬間に理解した。
少しだけ戸惑った様子で決意したのか佐那は「あー」と美しい声を発した。すると廬の周囲に緑が生い茂る。
「幻術!?」
今度はミライが驚いた。佐那が歌うことで周囲は森と化す。幻などではない。確かに存在している植物。
そして、廬の傷は癒えていった。
「佐那、これは」
「傷を治したわけじゃないの。傷を隠しただけ……痛みはあとから来るよ」
あくまでもその場しのぎの痛覚麻痺。
「これ、いつから?」
「宝玉は持つだけでその性質を理解出来るの。それが適合した新生物の特徴かな。あと多分、感情を左右する事も出来ると思うよ」
「感情?」
「怒り狂っている相手に使えば、心穏やかになる。森林効果的なね」
佐那の力で廬は怪我の痛みを感じることは無くなった。このまま重ねて怪我をしたらその痛みの許容を超えてしまい死んでしまうかもしれない。
「佐那、続けてくれ」
「えっ」
「このまま俺は宝玉の力を使いこなす」
「そ、そんなことしたら!」
「ああ、最悪力を止めてもらったら死ぬだろうな」
もしも力を支配出来なければ廬はミライに殺されるだろう。
しかし、力を支配出来た場合、廬は気絶するほどの激痛だけで足りてしまう。
気絶も嫌だが、覚悟は必要だ。
「ミライ、再開してくれ」
「本気?」
「ああ、殺さない程度に殺してくれ」
「変な言い方だけど、了解!」
ミライは、戸惑う素振りもなく呪文を唱えた。
幻影として現れた木々を利用して廬を仕留めようと魔術を発動する。
術を弾く為に意識を集中させてる。けれど力は発動してくれない。
身体がズタズタに引き裂かれていく。
「っ……」
「あんたの覚悟はその程度! それじゃあ誰も救えないわよ!」
瑠美奈を救うなど夢のまた夢。
宝玉を取り出すことも出来ないのなら、せめてその力を使えないか。
廬は擦り傷を作る。佐那は見てるのが辛いのか目を逸らして力を使い続けた。
そうして、約二時間後、廬はついに倒れてしまった。ミライは魔術を止めて廬を見る。
環境を利用した粗末な魔術で倒れてしまうようでは、仮に鬼殼が襲撃して来ても偶然の産物となり終える。
「今日はやめにしようよ」
「いや、続けてくれ」
佐那の提案を受け入れず廬は立ち上がるも佐那は少しずつ力を鎮める。
身体に響く痛みに廬は呻き起き上がろうとしたが片膝をついてしまう。
「俺が支配できれば守れる範囲が増える。今日出来ないなら明日だって出来ない。諦めたくない」
「糸識さん、もう無理だよ! 今日はもう休もう」
宝玉の影響で身体を酷使してしまうと使えるものも使えなくなってしまうではないのかと心配する。
廬の身体がもし使い物にならなくなったら瑠美奈に喰わせるのだろう。本人が嫌がっても瑠美奈を生かすために助力する。
無謀な様子にミライは呆れて『未来失楽』と唱えると廬はその場にバタリと倒れた。
「糸識さん! なにをしたの!!」
「ちょっと眠らせただけだって……いちいちキャンキャン吠えないでくれるかしら? それとも続けて欲しかったの? 傷だらけになったら男前が上がるから良いだろうけど」
廬の中には確かに宝玉がある。それはミライでも分かった。
ミライは倒れた廬を研究者が急いで部屋に連れて行くのを眺める。
(確かに魔力は弾かれている。だけど、全てじゃない)
感触、手触り、魔力を操る際に感じる違和感をミライは感じていた。薄い壁。
だが、堅いわけじゃない。柔らかく壊れやすいだから廬は傷つけられる。その壁を強固なものにするにはどうしたら良いのかミライは考える。
殺さない範疇でやっているから廬も気が緩んでしまっているのかと思ったがかといって力を強める事なんて出来ない。
(一筋縄ではいかないな)
師のように思うようには行かない。ミライの師ならば一晩で魔術を発動させるまで出来る。高望みは出来ない。いない人を望んでも仕方ないのだとミライは目を閉ざした。
ミライは研究所を後にしてヴェルギンロックに戻ろうとした時、棉葉が道を塞いだ。
「なに?」
「いや~。君は私に用が無いのかな~って思ってね。それに私は君に興味があるんだよ! 魔術師である君がどう言う風に生きてこの世界に現れたのかね」
「そう。悪いけどあたしはあんたに用はないから」
「それじゃ」と素っ気なく棉葉の横を通り抜けようとすると「もうじき君はこの世界から離脱する」と呟いた。
「……何故分かる」
「ふふ~んっ。私は何でも知っているんだぜ?」
「じゃあ、廬が何者なのか教えなさい」
「帰り方じゃなくていいのかい?」
「どうせあいつ。自分の事を二の次にしているんでしょう? あたしがあいつに言うわよ。言わなくても、あいつが宝玉の力を使えるようになる手掛かりにはなる。それに帰り方なんて、神のしもべとやらが勝手にあたしを見つけて引き上げてくれる」
ミライはとりあえず廬の宝玉をどうにかするしかない。事実、廬の周囲にはそう言った壁が張っているのだ。
ミライが死ぬ事は厄災を招くこと、それは別にミライが責任を感じる必要はない。
ミライは立ち話は嫌だとヴェルギンロックまで行くことになった。
その道すがら長い話をしているが、その話に意味なんてない。
「帰って来たのか。糸垂」
はたきで埃を払っていた店長が入店する見慣れた人物に声をかけた。
「はろー! 店長。元気してるかい? うん、相変わらず繁盛してない喫茶店だ! ……っと!」
そう茶化すと店長ははたきを棉葉に向ける。両手をあげて「コウケンします」と苦笑いをする。そして、言っていた通り珈琲を注文する。
「さて、準備は整ったね」
「……準備って珈琲を頼んだだけじゃない」
「しかし! 話をするには珈琲一杯が丁度いい。何事も、人と話をする時は珈琲一杯飲み切るまでで良い。それ以上は無駄話が過ぎるからね~」
「珈琲一杯で終わる話なのかしら」
「終わらなかったら追加を注文するさ! 珈琲の数ほど話は尽きないってことだ。それにアイスとホットの量には違いがある。だから、私はホットではなく、アイスを注文するのさ。そして、かさ増しする」
アイス珈琲にガムシロップとミルクを入れる。甘ったるい液体をくるくるとストローで混ぜる。焦茶色から香色になる。
「これで、実質珈琲一杯分だ」
「……どんな理論なのよ」
どれだけガムシロップを入れても、どれだけミルクを入れても、それは珈琲の味を変える為にしていることでかさ増ししているわけじゃない。
棉葉はグラスから溢れるほどミルクを注いだ。
これから話すことはとても長くなると言いたげに鼻歌をする。