第91話 ESCAPE
「単刀直入に訊くけど、あいつは宝玉の力を使いこなすことが出来るの?」
「出来るとも。宝玉自体は力の集合体でしかないからね。適合したのなら、あとは持ち主の好きに使えば良い。例えば佐那君は、かつては赤の宝玉を持っていた。赤の宝玉の特性としては愛されることだった。その魅惑の歌声で全てを魅了する力を持っていた。佐那君は簡単に使いこなしていたのは、彼女が歌を歌う行為は人に聴いて欲しいと言う意思を持っていたから。宝玉はそれに反応して力が発動する。廬君にも発動方法がある」
「まさか、あいつに歌えって言うんじゃないでしょう?」
「野郎の歌を聴いて嬉しいと思うのは二十代前半の若者だけさ!」
けらけらと笑う棉葉は、珈琲を一口飲む。
口内に広がる恐ろしくなる程の甘ったるい液体に顔を顰める。ガムシロップの入れ過ぎたとミルクを注ぎ足す。その所為で飲んで減ったはずの珈琲はまた本来の量に戻ってしまう。
「廬君の宝玉は何かをする事じゃない。目に見える事じゃない」
「目に見えないことをしろって?」
「そう。疑えばいいのさ」
「疑う?」
「初歩的なことさ! 廬君の周囲には終始宝玉による壁が展開されている。廬君に触れる事が出来るのは廬君の心の中で許されたものだけ。鬼殻は決して廬君に触れることはできないだろうね。廬君がその壁を厚くする方法と言えば、疑い続ければいい。と言っても相手に敵意を向けたら良いだけの話だね」
ミライはあくまでも味方。廬君を殺さない程度に魔術を発動するから、気が緩くなり廬を守る壁は薄くなる。
「本気で殺しに行けって事? 悪いけど、殺せと言われたら殺せる自信があるよ。あたしは甘くないからね」
もし本気で殺しに来ていると廬が気が付くことが出来れば、危機感を抱く。
その危機感が廬を守る。無意識に壁を厚くする。
疑うんじゃない。警戒をし続ければいいのだ。世界を拒絶する。世間を拒絶する。廬が今までして来た事だ。だから廬は今までどれだけ外部と関係を断ち切っていても生きていけた。恨みを買っても生きていた。
「廬君がその事に気が付けば、自分の心に正直になる事が出来れば、きっと化けるだろうね」
「……無理ね」
無理だ。廬は自分の心に正直になれない。短時間の関係でしかないミライでも分かる。廬は、優柔不断で事なかれ主義だ。と言っても事なかれ主義ももう辞めているかもしれない。
それは瑠美奈の為で、厄災を止める為に頑張っているからだ。もし波風立てないように生きているとしたら廬は今頃自殺でもして偽廬の為にその身分を返しているだろう。
それをしていないと言う事はまだ抗おうとしている。
世間には抗っているが自分には抗えない。
何の役にも立たない矜持の所為で廬は宝玉の力を使えない。
「だけど、受け入れなければ良いのよね。鬼殻も廬と敵対している奴を拒絶しているのなら、何も練習だとか訓練をする必要なんてない」
「そうかな? もしも廬君が納得してしまえば死ぬんじゃない?」
「納得?」
「そう。例えば偽廬君と呼ぶ彼は糸識廬として本物である。彼と対峙して廬君が受け入れてしまったら廬君は呆気なく死ぬだろうね」
それは宝玉の有無ではなく廬が自分を偽物だと受け入れてしまえば、廬は偽廬を殺せなくなる。偽廬がもしも厄災を起こす気が無ければ廬と偽廬は対峙する理由はない。そして、瑠美奈を守ると偽廬が言ってしまえば廬はもう役目を見失う。
甘い珈琲を少しずつ飲んでいく。甘さが緩和されるどころかどんどん甘くなり、色の濁ったガムシロップを飲んでいる気分になる。
「本物ね。何が違うんだろう。双子で良いじゃない。一卵性の双子なんてそんな珍しい事でもないでしょう?」
「珍しくはない。けど、彼らはそれを受け入れない。本物に固執しているんだから無理もないよね。君も、自分の偽物が現れたら驚いて疑うだろう?」
「もしあたしの偽物が現れても、殺して存在を証明するわよ」
「そう! その通り! だからこそ、廬君と偽廬君は互いにいがみ合って殺し合うんだ。君のように華麗かつ優雅にはいかないけどね」
ミライがもう一人現れて、その人が母を奪ったとしたらミライはきっと黙ってみているなんて事は絶対にない。
背後を取り容赦なく殺すだろう。それはきっとそのもう一人も同じことを思うはずだ。だからその背後を簡単には取らせてくれない。
互いに譲らない。母の隣は自分だけだと殺意を抱く。だから殺し合う。
廬もきっとそれは同じだ。
廬と偽廬の性格は違う。思考パターンが異なる。何よりも廬が新生物であると言う事を考慮したら当然の事だ。別の誰かがその人になれるわけがない。
「なに。問題なのは、廬君が死ぬ事なんだよ。廬君が死ねば廬君が持つ宝玉が消失する。また誰かの中に出現する。その人が宝玉を悪用しないとも限らない。だから今が好機とも言える」
廬と偽廬の論争は正直、茶番劇でしかない。劇的だと思うのは廬たちだけで部外者からしたら廬が死ぬ事は宝玉の消失を意味して再び探しだすのが一苦労だから、廬を応援しているだけだ。
偽廬が本物と証明された時、廬が死んだとしても偽廬に宝玉が宿るわけじゃない。
「出来る事なら政府は鬼殻と廬君は手を繋いで仲良しこよしを望んでいるだろうね」
「それが無理だって言うのは承知しているのよね?」
「さあ。他力本願の総本山だからね。期待はしていると思うよ? 相手はただの能天気な責任放棄者どもだ。きっとただの喧嘩だと思っている。その喧嘩が世界存亡がかかっているなんて微塵も自覚していないだろうね~」
早く仲直りして厄災を阻止しろと阿保みたいな意見を振り翳して大きな椅子にふんぞり返っている。
「どこも上の人間は何もしないのね」
「だから私たちは生きられているんだぜ? 仕事をまともにされてしまえば今頃新生物は容赦なく宝玉の適合として皆殺し、君だって魔術師であることを密告されているかもしれない。私のような変人にね!」
ひと目見た瞬間に魔術師であることは見抜いていた。
これから起こることも棉葉なら容易に分かる。
昨日今日の事だけじゃない遠い未来ですら見据えてしまう。
そして、来年になればその見据えたことを忘れる。
「結論から言えば、廬は死んでいた方が良いわけ? それとも生き続けた方が良い?」
「結果的に言えば、廬君は生きていて欲しいと私は思っている。それは勿論、友人と言う私情もあるけれど、宝玉を持っているのは廬君だからね。出来る事ならこれほどまで近くに最後の宝玉があるなら私は廬君を生かして、本物である偽物の廬君を殺すだろうね」
幸いにも二人の間で廬を殺すと言う結論には至らなかった。
廬を殺せばどの道、厄災はやって来る。
珈琲は既に四分の一減っていた。その甘さに文句を言う棉葉は飲み続ける。
ミライの手元にあるホット珈琲は既に空っぽだ。
「さて、此処までは良いだろう。互いに廬君は生かすし、彼の力は彼の心持ちである。君がどう頑張っても彼は意図して宝玉の力を支配出来ないと言う事だ。そして、次の問題だ。君はこれからどうするつもりなのかな?」
廬の力は制御する云々ではない事が分かった。
では、それを知った以上、ミライが廬の手伝いをする必要が無くなったと言うわけだがミライはこれから一体何をするのか。
「筥宮に行くわ。勿論、あたし一人じゃなくて、廬と所長さんを連れてね」
「鬼殻の思う壺だとしても?」
「構わないわよ。……あの研究所の所長さん。前任が死んじゃって善意で据えているらしいわね。そして、あんたは廬に言われて彼女を守る為に研究所にいる。つまりあんたも来るのよ?」
佐那を死なせてしまえば、棉葉は仕事放棄と見なされて命を狙われる。
勿論、そんな理不尽な事があっていいわけがない。棉葉が一言言えば廬だって納得せざるを得ないだろう。
しかし、棉葉だって海良の願いを聞き届けるがために断ることもしない。
何よりも面白いからだ。棉葉は命の危険を身に受けたい。
死なない程度の距離で鬱陶しい野次馬をするのが愉快だと思っているのだから、廬たちが筥宮に行くのなら棉葉もやぶさかではない。
棉葉が筥宮に行ったら何が起こるか。身構える事など何も起こったりしない。
棉葉が宝玉を持っていた場合、特別な事が起こる可能性はあるが生憎と棉葉は超次元的な事は出来ないし、ただ佐那を守る為だけに来る。
しかしながら一抹の不安は当然ある。
それは、棉葉が鬼殻といまだ繋がっていた場合だ。
双方、厄災を阻止する為とは言えやり方が違う。その為に棉葉が何処に身を置くのか分からない。
「そして、あんたが万が一鬼殻に情報を流した瞬間、あたしはあんたを殺す」
棉葉は幾度となく廬の情報を偽廬や鬼殻に提供してきた。もう鬼殻からしたら必要ない事だ。ミライがそう言いだすには少しばかり遅すぎた。寧ろ、周囲の人々は是非殺してくれと思っている事だろう。
「心配しなくとも! 佐那君を守るしか能がない私がするべきことは決まっているとも! わざわざ君に忠告されるまでもない!」
だから、心配しないでくれ。と棉葉は笑った。




