第27話 ESCAPE
『人魚姫さん御代志町から電話してきてくれてます!!』
テレビで人魚姫がローカルのテレビ局に出演していた。
ライブをした事で町の好きな所などを訊いていた。このままテレビ進出で人気がうなぎ登りだろうと噂されていた。事実そうなのだろう。
アパートにはテレビの音とCDプレーヤーから流れる人魚姫の歌声。
イムが水浴びをする為に浴槽で沈んでいる。花に水を与えるようにシャワーでイムに水をかける廬。
佐那とのデートの日から一週間が経過した。この一週間、何か合ったかと言われたら頻繁に聡たちが現れるようになった。
その理由もどうやら憐から佐那の監視兼護衛を改めて命じられたとのことだ。
憐は研究所に籠って何かを調べているらしいが詳細までは分からない。かなり長い時間、資料室のコンピュータを操作しているのが資料室のログで残っていたことをさとるから聞かされた。
佐那と一緒に居られることを大喜びして聡は護衛に努めている。
真弥が廬に傷が完治した件を尋ねて来たが、廬もその事は分からなかった。
傷の治りが早いと思っていたが、まさか刺し傷まで治るなんて想像も出来ない。もっとも自ら刺されに行くわけにもいかない為、その日まで知らなかったのだ。
思い当たることもない為、廬自身も自分の身に何が起こっているのか不思議でならない。
それでも真弥は突き放すことなく「困ったら言ってくれよ!」と肩を叩いたのも三日ほど前の事だ。
「瑠美奈、ちょっといいか?」
人魚姫の特集を終えて天気予報を流すテレビを眺める瑠美奈はこちらを見て「なに?」と首を傾げる。
「えっと、憐のことを訊いてもいいか?」
「……うん」
瑠美奈の返答は少しだけ乗り気はしなかったが言わなければならないと言った雰囲気があった。廬も出来れば瑠美奈が言ってくれる日までと思ったが流石に此処まで関わってしまうと待つ日が惜しいと感じてしまう。
「憐は、きつねのしんせいぶつ」
互いに向い合せに座って話をする。満足に涼んだイムが瑠美奈の膝に乗った。
憐は狐の新生物。憐の親はまだ生きており研究所の最下層の危険区画に収容されているらしい。
憐の親が収容されている部屋に侵入した者はその美しい姿に心を奪われて二度と戻ってこないと噂されている為、食事以外で部屋に入るものはいない。
「憐のこういしょうは、あるけない」
「歩行が出来ないって事か? けどあいつは歩いていただろ?」
「ちがう。ちじょうを、じめんとかゆかをあるくことができない」
憐は地上を歩いてしまえば身体が燃え上がり焼け死んでしまう後遺症を持っていると言う。その為、生まれてから一度も地に足を付いて歩いたことがない。かつて研究者が赤ん坊だった憐を床に降ろそうとした時、火花が散ったのだ。
以来憐は何かの上に、なるべく地上から離れた場所に立っていなければいけない。
それでも廬は疑問は残っていた。研究所を案内していた時や廬を襲撃した際、地面を歩いていたことを瑠美奈に訊く。
「憐のとくいのうりょくは、ひとをだますことだから」
狐の妖術が憐には備わっている。
憐の別名は「万物をも騙す狐」と言われていた。
研究所での番号は「B型22号稲荷憐」通称「B22」である。
特異能力は、人の認識を歪ませる。それを本物だと思い込ませること。殴られてしまえば視覚情報が錯覚を生み痛みを感じる。憐を殴ろうとすれば殴ったと思わせるように手に感触を残す。
完璧に化かす。
その為、憐を見分ける方法と言えば高みの見物をしている時、文字通り高い所からこちらを見てるのが本物の憐。だから突然現れることも出来るし突然消えることも出来る。狐ゆえに佐那を洗脳術を施す事も出来る。かつては狐の祟りと恐れられていた存在の子。
憐は研究所の中で優秀個体の一体だった。特異能力を誰よりも熟知した存在で瑠美奈と違って便利だ。
憐を怒らせてしまえば、悪夢すら見せてしまうほど幻術は強力だ。憐が本気になれば研究所など簡単に制圧して思い通りにしてしまうがそうすると足場が無くなってしまう為、そうしない。地を歩くことが出来ないことが憐にとって枷となっている。
憐は情報の整理が付かなければ母親に会いに行く。
傲慢不遜の旧人類よりも力を持ちかつては全てを支配していた母親をリスペクトしていた。
「瑠美奈は憐と喧嘩したことがあるのか?」
「……ないよ。憐とわたしはたがいにきずつけられない」
「それはどう言う?」
傷つけられない。喧嘩と言う表現をしたが実際は殺し合いだ。
憐が短気なのは短い関係性でもよく理解出来た。だから瑠美奈相手でも容赦なく特異能力を使うと思っていたがそうじゃないようで瑠美奈は続きを言う。
「わたしと憐のあいだでどんなことがあってもたがいにかんしょうしないせいやくがある」
第三者を介してならば問題ないが、瑠美奈と憐が互いに対面をして特異能力を行使する事は出来ない。勿論、誓約と言っても口約束で実際は瑠美奈も憐も殺し合いをしても良いがそれでは口約束も守れないことになる。
親しいからこそ、どれだけ裏切り互いに心を傷つけあっていても物理行使は決してしない。
「じゃあ、憐がその事を忘れていなければ瑠美奈をどうこうすることは出来ない?」
「そう。わたしはぜったいに憐をこうげきしない。廬、もうしわけないけどこのやくそくだけはまもりたい」
「どの約束でも守れば良い。この世に破っていい約束なんてないんだ」
「うん」
憐と対峙した際、瑠美奈に相手して貰えば互いに攻撃しないで平和に事を終えることが出来るかもしれない。
「ところで、憐はどうしてお前の事をお嬢って呼んでるんだ?」
「いわない」
秘密なのだと瑠美奈は口元に指をやり微笑んだ。
言えないではない、言いたくないでもない。それは友だち同士の秘密事を親に言えない秘密。憐と共有する秘め事だ。
廬はそれ以上は口にする事はなく「そうか」とだけ言って笑った。
今日は雨。
蒸し暑いその日、水たまりを激しく揺らす。
真弥は駅で今日も御代志町に来る人を迎える。
駅近くの道端で困っている老婆に手を貸して笑顔を浮かべる。雨の中、帽子に付いた水滴を払いながら笑顔を絶やさない。
「いつもありがとうね。天宮司さん」
「いえいえ、これが俺の仕事ですから!!」
喜々と真弥は町の人の手助けをする。好青年と言われる真弥は今日も人助けに駆り出される。良い町を作る為に真弥は雨の中、走る。
ボランティアで、ビニール傘を差していない女性に差し出す。重い荷物を運んでいる老父の代わりに運ぶ。ボランティアを優先し過ぎて駅の仕事を放り出してしまう事もある。
「お前本当に駅員に憧れてたのかよ」
「憧れてましたよ! 何でも出来る駅員。制服だって格好いいじゃないですか!」
誰もが知っている真弥が駅員になった理由。迷子になったとき駅員に救われた。
自分も泣いている子供に手を差し伸べられる良い人間であろうとする。
その姿勢は誰もが頷けるものだ。
「最近、例の移住者と一緒にいるらしいな? なにしてるんだ?」
「ちょっと冒険ごっこですよー」
ちょっとした冒険ごっこをしている。真弥は特質して何かあるわけじゃない。本当に民間人だがきっと廬たちの力になれるだろうと信じている。
その為にもいまは真弥に出来ることは懸命に働くことだ。