第26話 ESCAPE
稲荷憐の母。妖狐は口元に弧を描き笑う。
憐は瑠美奈の事が知りたかった。一体何を考えて何をしようとしているのか。
憐自身では知る事が出来ない。
「坊やの頼みだ。母が手を貸してやっても構わぬが他人の手を借りて知った情報が正しいとは限らぬぞ」
「息子に嘘を言うんすか」
「息子以前にわしは狐じゃ。化かすことは大好きじゃぞ? おぬしだってそうじゃろ? 万物をも騙す狐の子よ。母に会いに来る為に化けなければ会えぬのだ。結果として変わらぬじゃろう?」
「不可抗力っすよ。会いたくねえって言うんすか? 可愛い一人息子に。つか、別に俺あんたとこんなくだらない世間話をしに来たわけじゃないんすけど」
「わしは世間話でも良いぞ? 数か月ぶりの対話じゃからの。わしを恐れて普通の人間は近寄らんて。坊やが来てくれたお陰で幾分は退屈もしのげると言うものじゃ」
隔離されている以上外に出ることは出来ない。外を知る方法も退屈を凌ぐ方法も妖狐ならば幾らでも持ち合わせているだろうと憐は思う。この狐ならば知らないことなどないと断言出来た。
「お嬢は何をしようとしてるんすか」
「はあ……親不孝な坊やじゃて。そうじゃのう。あの娘子は宝玉とか言うたか? それを全て支配しようと目論んでおるわ。無理な事を承知での」
「なんで」
「おぬしら新生物どもを生かそうとしとる。それで我が身滅びたとしても痛くも痒くもないのじゃろう」
妖狐は語る。瑠美奈の狙いは六つの宝玉を全て自分の手で支配すること、その際自分が死んだとしても問題はない。事実、流石の瑠美奈も六つを同時に支配するなんて事は不可能だ。
それでも瑠美奈は熟そうとしている。
「おぬしの生死を案じておるのじゃろう。相変わらず不器用な子じゃて」
ふぅと煙管の煙を憐に吹きかける。
「だからって出て行くこと無かったんじゃないんすか? 複製を作らなければ良いって話じゃないっすか」
「言ったじゃろ? 不器用な子じゃと、あの娘子にとって譲れないものがある」
「なんすかそれ」
「ふふっさての。わしが言うても構わんがそれじゃあ芸がないは思わんか?」
「芸。あんたと違ってこっちは命を懸けてるんすよ」
宝玉に関しては命を懸けなければいけない。好きで命を差し出しているわけじゃない。そう言う状況に置かれているのだ。いつか厄災がやって来る。やめて欲しいと言っても止めたくてもどうする事も出来ない。どうにかするのが新生物の役目だ。
「ならばヒント与えてやろうかの。愛する者は時に狂ってしまうと言うことじゃ」
「は? 意味わかんないんすけど」
「若造め。おぬしがそうじゃから誰も付いて来んのじゃ」
「……俺が悪いからお嬢が出て言ったって事すか」
「そうは言うとらん。……人形がいつか壊れるように人の心と言うのは不可視ゆえに脆く欠けやすい。友がいつまでも友のままとは限らんよ。娘が覚悟を決めたように、誰かが変わっておる」
「もし俺がお嬢の側についたら……それはやっぱり研究所への裏切り、旦那への裏切りになるんすか?」
「おぬしが何処についているか。もしも娘子の側に多くがいた場合、裏切りなど無かったことになる。違うか?」
「多く? どう言う意味っすか。あーもう訳わかんねえっ!!」
地団駄を踏む憐に妖狐は肩を震わせた。
息子が困っている姿を見ているのは愉快だと笑う。
「娘子は死ぬ気のようじゃが、男は娘子を生かすようじゃぞ」
「……は?」
「坊やが気に入っておらん男。名前は、なんじゃったか。風呂敷じゃったか糸車じゃったか」
「糸識廬」
「おーっ! そうじゃった。その男は娘子を生かそうと躍起になっとる」
憐が折角名前を教えても口にしないのなら意味がないだろうと肩をすくめながら聞き捨てならない言葉が聞こえて来ると眉間にしわを寄せた。
廬が瑠美奈を生かそうとする。
「娘子が死ぬと決めた以上止まらんのなら共に行動して、死を阻止する。死を覆す為に宝玉を集めておるわ。人間とは間抜けな事をしおるものじゃ」
「……宝玉を集めて死なないって確証があるんすか?」
「そこは流石のわしでも分からん」
「お嬢は間違ってないんすか?」
「間違いを間違いと認識しておらん状態では何とも言えんの。坊やだってそうじゃろ? おぬしがしていることを間違いではないと断言は出来んと思うが?」
「俺のしている事は間違ってないっすよ。だって今までそうしてきた」
「言い訳じゃな」
言い訳。今までそうしてきたと言う言い訳。前任を悪人にする常套句。
「ふんっ若造め。そんなんだからおぬしは気が短いんじゃ」
「……」
「悩める我が息子に、わしが教えてやらんこともないの」
妖狐は呆れたように溜息を吐いて遠回しに言っても意味がないと率直に、そして簡潔に言った。
「傀儡儡とか言う小僧は、もうこの世に存在しておらん」
「っ!?」
「はて? では、いまこの世におる小僧は何者かえ?」
「旦那が、旦那じゃない。それはいつからっすか?」
「いつからじゃろうなぁ。もっともその事にいち早く気が付いた者がおるようじゃ」
儡の事を近くで見ていた存在。一番近しい憐と同等など考える間でもない。
「……お嬢が気が付いていた。気が付いて危害が増える前に自分に矛先を向けた? けどどうして変わったって見抜けたんすか」
「おぬし、宝玉の数を、その所有者をしかと確認したことはあるのか?」
言われて憐は考える素振りをする。
「赤と緑が手元にある」
「では、宝玉は全てで幾つじゃ?」
「六つだろ? 見たことないっすけど黄色と青に……それと研究所には黒か白のどちらかがあるはずっす。残りの二つがどこにあるか知ってるんすか?」
「ああ、知っているぞ。わしは物知りじゃからの。白と黒。娘子がどちらを持っていたかまではわしはしらん。だがあの女より知っとるじゃろうて」
瑠美奈が白と黒の宝玉のどちらかを持っている。
しかし瑠美奈はどちらを与えられたのか、どちらに選ばれたのか一度も言わなかった。
妖狐が言った人物に思い当たる人は該当せず尋ねる。
「女? 誰っすか?」
「なんじゃったか。糸垂……棉葉じゃったかの」
「糸垂? 知らないんすけど」
「そうじゃろうな。なんて言ってもあの女はAシリーズの生き残りじゃ」
「ッ!?」
その言葉を聞いて憐は自分の中で許してはならない存在が聞こえた。
それも実の母親から聞かされるには冗談にも笑えない。
「生きてるんすか。その生き残り」
「生きておるんじゃろ? その場所におると言うことは」
「ッ……」
「一応言っておくぞ。小僧、その者を殺すでない」
「なんでだ! Aシリーズの生き残りなんてこの世に存在して良いわけないんすよ!! ただそこにいるだけの害悪の蟲どもじゃないっすか!」
Aシリーズが何を意味しているか憐がよく知っている。だからこそ、嫌いで仕方なかった。旧人類も嫌いだがAシリーズも嫌いだった。
妖狐は何度も息子の態度に呆れてしまう。少しは情緒を抑える術を学ぶべきだと内心思う。
「その者を殺せばおぬしがもっとも殺したがっとる男に辿り着かんからじゃ。わしはそれでも構わぬぞ? おぬしが今の心根のまま女に会いに行きかの者を殺せぬと自暴自棄になるのもまた一興じゃ」
「……っ」
「今重要なのは娘子の考えていることを知る事じゃ。そしておぬしの友たる傀儡坊が何故存在せんのか。その調査をするのが最優先というもの」
「旦那の事を知れば、お嬢がしたい事もおのずとわかる。そう言う事っすか?」
「さあの。じゃがわしはそう思う」
宝玉の行方も棉葉が知っている。棉葉に今会えば憐は衝動のままに殺してしまうかもしれない。
「今おぬしがする事は一つ。傀儡坊の素性を調査する事じゃ。それ以外は気にも留めるでない」
「旧生物どもを野放しにしろって事っすか? ド屑と天狗を放置しろって」
「そうじゃ。でなければ全てから手を引け。おぬしでは荷が重いでな」
全てを放棄する。そんな事を憐がするわけがないと知っている。
もしも研究所の誰かがそんな事を口走ってしまえば一瞬で壁と同化してしまう程の一撃を受けると言うのに生みの親ゆえに強気だった。何よりも憐は妖狐に敵わない。
何度も寝首を掻こうとして恥をかいた。母は強しとはよく言ったものだ。
「おぬしの情報処理能力では、こんがらがってしまっておる。一度すべてをリセットして目的を一つに絞れ」
「旦那の素性の調査っすか。あんたの言ってる事が間違ったら?」
「良い歳じゃろ? 責任を押し付けようとするでない。愚か者」
(お嬢の事もド屑や天狗の事も放置して旦那を調べる。そんなのどんな意味がある。お魚ちゃんの回収だってまだ済んでない。いつ壊れても可笑しくないってのに放置するなんてどうかしてるんじゃないんすか。ド屑に宝玉を奪われるのも嫌だってのに……)
頭の中で渦巻く葛藤に憐は苛立ちが抑えられない。
その様子に見かねた妖狐は一つ提案をした。
「ならばこうするのじゃ。魚娘のもとに誰かおぬしがまだ信用出来る者を使わせ。監視させるのじゃ。逐一報告が来るようにの。知りたいときに知れるようにじゃ。何も四六時中娘子の事を考えているわけではあるまい」
「……」
「……おぬし、よもやそこまでか」
「煩いっすよ」
今度は声に出して深い溜息を吐いた。
「おぬし。娘子のこと好き過ぎじゃろ」
「そんなの今関係ないじゃないっすか」
そっぽ向いた憐に妖狐は起き上がりこほんと咳払いをする。
「まあ良い。娘子はまだ死なぬ。監視を付けずとも平気じゃ。何よりもおぬしは癪かもしれんが娘子の近くにいる男が娘子を守るじゃろうて。ゆえにおぬしが気にするべきは魚娘じゃ。結論から言えば魚娘が死ぬ事で娘子はおのれを悔やみ何をしでかすかわかったものではないでな」
「お魚ちゃんを生かせって?」
「そう言う事じゃ。監視を魚娘に付けて死なせないようにする。その間、おぬしは傀儡坊の調査をする」
瑠美奈が無事ならば憐はそれで良い。瑠美奈は佐那を大切な友だちとして見ているのならもしも死んでしまえば自分を責めて宝玉をがむしゃらに集め始めてそれこそ壊れてしまう。
「……あんた重要な事を口走っといて全部は言わないっすよね」
「わしには関係ないことじゃからな。事場合によってわしは娘子の味方になり敵になる。おぬしだってそうじゃろ? 今は娘子の敵である以上、牙を剥くことがある。誓いがあろうと所詮は口約束じゃ」




