第25話 ESCAPE
宝玉が心に根を張る。決して離れてやるものかと呪いのように繋がる。
欲望のままに欲しがる。赤の宝玉は誰かに必要とされたい欲望。
そして、叶えられないままに夢を食べ続ける。狂ったように食べ続けて肥えて行く。
最後には宝玉が持ち主の魂を喰らい殺す。
研究所は宝玉に餌を与え続ける。適合者が現れない所為で宝玉は力を増していく。
研究所にて。
憐は資料室に来ていた。コンピュータを立ち上げてかつて研究所に勤務していた旧生物の履歴を見ていた。
真弥が憐に放った光線銃。憐の後遺症の事を知る研究者がいるはずだと血眼になっていた。
五年前、研究所を支配する時、自分の事を知る存在は消し去って来たつもりだった。
しかし真弥と言う旧生物に知られている。つまり憐の手から逃げ延びた奴が研究所への反抗心から憐の情報を真弥に伝えたことになる。
「憐、此処二日くらい籠っているけどどうかしたのかい?」
憐を探していた儡が資料室まで来て呼びかける。不機嫌な顔をした憐が振り返る。
旧生物に一矢報いることが出来ないことに腹を立てていた。
そんな姿に儡は困った顔をして笑う。
怒る理由を訊けばさらに可笑しく儡はつい笑ってしまう。
「一体誰が俺の情報を」
「簡単な事だよ。例の旧生物の脱走は海良が関与している。となれば正体不明の文通相手を紹介するんじゃない? 瑠美奈がまだ諦めていない所を見るとその正体不明に助けを求めているんじゃないかな?」
「誰なんすか」
「それは分からない。海良に訊いてみないとね。だけど彼女は僕たちの事を少しだけ嫌っているから話してくれない。彼女はどちらかと言えば瑠美奈の方についているだろうからね」
「……なんでどいつもこいつも」
「分かっていないのさ。状態を理解していない。だから瑠美奈が正しいと思ってしまう。僕たちを悪だと言うのなら僕たちは相手を悪だと思うしかない」
「お嬢がどうなっても良い連中だけっすよ。そんなの」
舌打ちをしてコンピュータを操作する。そこに映る旧人類。一秒とて長く見ていたくないと言うのにどうして自分がこんなことをしているのか苛立ちが消えない。
どれだけ儡が憐の機嫌を取ろうとしてもきっと意味がない。儡もそれを良く知っている。憐の機嫌を取ることが出来るのは一つだけだ。その一つを実行する事は今できない。
儡は透き通った白い瞳を憐に向ける。だがその奥には濁りきった黒があり誰も映さない代わりにその意思を確固たるものにしていた。
憐の不機嫌なのはもうどうする事も出来ないと儡は本来の目的を口にした。
「人魚姫の宝玉所持の日数はもう過ぎていると思うけど、どう言う事か知っているかい?」
「あの女に付きまとってるド屑が何かしてるんすよ。あの男、宝玉の力が通じない」
「宝玉の力が? まさか」
「マジっすよ。お魚ちゃんの歌が通用しなかった」
宝玉の力も特異能力も通用しない。只者じゃないのは明確だった。
しかしどう言った人物なのか分からない。研究所のデータベースにも載っていないのだから調べようがない。
「糸識廬。……少しだけ驚かせてみようか」
「驚かせる? なにする気っすか」
「ふふっ。楽しい事だよ。君も来る?」
「遠慮する。旦那と違って俺は忙しんで」
「そう。暇になったらおいで。仲間に入れてあげるよ」
「覚えてたらそーする」
片手をあげて適当に返事をする憐に儡は気にしないで資料室を出ていった。
それから数分後の事、憐の視界に広がる一つ情報を睨みつけるように見た。
『鬼頭鬼殻』
黒紫髪にエメラルドグリーンの瞳をしている男が記されている。
マウスを握る手が強くなる。親の仇を見るように食い入るように見ながらカーソルを動かす。画面が下に移動していくと鬼殻がしてきたことが事細かに記されている。
その最後の欄には「死亡確認」と無慈悲に表示されている。つまり死んだ男の記録を憐は見ていた。
誰もが意味がないことだと言うだろう。生きている研究者ではなく死んでいる男の記録など見たとしても更新されるわけがない。
鬼殻がしようとしていたのは宝玉の奪取だった。だがそれは瑠美奈が阻止してその拍子に死んでしまった。適正値の低い者が宝玉に触れてしまえばそうなるに決まっている。宝玉の力に心酔していた。宝玉の力を全て手に入れようとしていたのだ。
まるで世界の神にでもなるつもりのように狂っていた。だが四つも宝玉を手にすれば身体は維持できないままに朽ち果てる。
宝玉が全て滅茶苦茶にする。憐が思う通りに事が進まないのはその所為だ。全て宝玉が狂わせた。
憐にとって厄災などどうでも良かった。誰かが悲しむこともどうだっていい。見ず知らずを救おうなんてつもりもない。純粋に今の平穏を続けていたかった。それが壊されたのはいつだっただろうと憐は悔しいと歯を噛んだ。
『瑠美奈が裏切ったよ。憐』
無情な言葉、そんなわけがない。いつか帰ってきてくれると信じて一年。
連絡も無く瑠美奈の裏切りは確定してしまった。
帰ってきてほしい人ほど戻ってこない。求めていることほど遠ざかっていく。
モニターを消して憐は立ち上がる。座り疲れて背伸びをする。
「助言でも貰いに行くか」
目を伏せて正直言えば会いたくない相手に会いに行く覚悟を決める。
研究所最下層収容施設にて。
堅牢な扉が自動で開く。憐のポケットにあるIDカードが反応したのだ。
明かり一つない仄暗い部屋。憐が入ると扉は閉まり同時に青い人魂が憐の前に現れる。憐は表情を変えずにその人魂を見つめる。
暫くすると左右の壁に青白い光が灯る。点々と憐を導くように点灯する光の最奥には人影があった。
高床式の畳に横になった妖艶な女性がいた。だがその女性は普通とは言い難い容姿をしていた。
金髪の長髪は艶が見える。その頭上に視線が行ってしまうのは仕方ない事だった。
黄色い獣の耳を持った女性は、遊女のような豪華絢爛な着物を身に纏っていた。事実纏っているだけでしっかりと着ているわけではない。着崩した姿は目のやり場に困るほどその白い肌を露出していた。そしてその上には大きな黄色く美しい毛並みをした尻尾。
日本で伝えられた妖狐がそこにはいた。その手には美しい装飾の付いた煙管。
憐の来訪に珍しいと目を細めて妖狐は言った。
「坊やがわしのところに来るとは、母が恋しくなったのか?」
「お嬢が考えていることが分からないんすけど」
憐の母親である妖狐は呆れたように息を吐いた。
不躾な言葉に妖狐は「教育を間違えたかのう」と眉をひそめた。
「おぬしがわしのところに来た。それはつまり行き詰ったと言うことじゃ。もっともおぬしは認めたくはないと思うがの」
「認めてなかったら此処には来てないっすよ」
「ふむっ。それもそうか」
此処。研究所の最下層の獰猛な怪物が収容されている区画であり一般の研究員では決して入ることの出来ない場所。
陽の光は望めない。強力な怪物がいる所為で多くの研究員が死亡した。
此処には憐の手も、儡の手も、そして所長の手も及ばない。最下層の各部屋は怪物の力が影響している所為で別空間になっていた。迷いがある者が迷い込めば怪物に喰らい尽くされ死ぬ。
憐は迷いなく母のもとへ来た。知らないことを妖術で知る事が出来る。
そんなチートな妖術を持っているのに憐は鬱陶しい後遺症で好き放題出来ない。困った事があれば、行き詰った事があれば母に尋ねる。