「負けたら二度と口利かない!」
翌日、朝十時。雫は、実に四年ぶりに実家の前に立っていた。沙羅は今日も雫の肩に乗っている。
本郷家は、純日本家屋だ。少しの間大きな扉を見上げた後、雫はインターホンも鳴らさずにずかずかと中に入っていった。一緒に来ているもう一人もそれに続く。
玄関を通り抜けてすぐに、使用人たちが雫を見てざわつき始めた。使用人頭がおずおずと声を掛けてくる。
「雫さま、何故ここに。それに、その方は…」
初老の使用人の当然の問いに、雫はいっそ清々しいまでに笑って見せた。
「実家に来るのに理由が必要?」
「い、いえ…」
「ちなみにこちらは分家の工藤友恵さん」
雫は自分の隣に立つ女を手で指した。
「分家の工藤友恵です」
昨夜から喫茶店に閉じ込められていた女は、そう言って堂々と胸を張った。
「ぶ、分家の方が何故…」
「見届ける権利があるからよ」
いいながら、すたすたと雫は屋敷の奥に入っていく。工藤友恵もその後に続き、おろおろとしながらも、使用人頭は雫の後をついてくる。
「旦那さまなら今はお仕事の話をされておりますので、どうか後になさってください」
「別にあんなのに用事はないわよ。じいちゃんを返してもらいに来ただけ」
「大旦那様が、どうかなさったのですか?」
「…ま、聞かされてないのも無理はないけどね」
歩いては立ち止まって、雫はすぱんすぱんと音を立てながら家中の扉を開けていく。言うまでもなく、祖父を探しているのだ。やがて、かつての自分の部屋の扉も明けた。四年も経っているのに、特に変わったところも無くぱっと見る限りほこりも落ちていなかった。
「…掃除、してくれているのね。ありがとう」
「いえ、そんな」
「ところであいつがじいちゃんを閉じ込めるとしたらどこかしら」
「大旦那さまは、本当にこの屋敷にいらっしゃるのですか?」
「ホテルじゃないと思うのよね」
昨夜、李玖と二人で考えた。忠人が祖父を監禁するとしたら場所はどこか。忠人は自分の目が届くところに祖父を置きたがるはずだから、ホテル本郷の一室か、本郷の屋敷だろう。
しかしホテルには、常に不特定多数が出入りする。バックヤードという可能性は捨てきれないが、それでもなにも知らない従業員が出入りするのだから、極力避けるだろう。消去法で、おそらく屋敷だろうと結論付けた。
再び雫は歩き出す。もういくつ目の扉か分からなくなってきた頃、扉を開けると同時に中にいた人物に手首を掴まれた。
「あんた…」
「どうも」
そこにいたのは、大学に来ていたあの分家の人物だった。その人物は工藤友恵を見て一瞬眉をひそめたが、すぐに雫に向き直った。雫は言った。
「待ち伏せ? いい趣味ね」
「ここは私が借りている部屋です」
「あっそ。それは失礼。ところで、うちのじいちゃん知らない?」
「お答えできません」
「あんたが分家の人間ってことは判ってるんだけど」
「…それがなにか」
「へぇ、とぼけないんだ。まあ確かに、この状況でとぼける意味もないわよね。どちらにしても、今日で決着は付くんだし」
「つくづく頭のいいお嬢さんです」
「ありがとう。とりあえず手を放してくれない? この状況で術を発動されたいわけじゃないんでしょ」
挑発的に笑って見せると、手はすぐに解放された。
「あの、雫さま。これはどういう…」
その時、どかどかと走ってくる音が聞こえた。
「なにをしている!」
やがて声を上げながら姿を現したのは、本郷忠人だった。四年ぶりの再会だ。二人の男を引き連れている。
「どうも。お久しぶり。じいちゃんはどこ?」
「なにをしている。時間厳守と言ったはずだ。それに、それは誰だ?」
「分家の工藤友恵さん」
「…なに?」
「あなたに復讐するためにいろいろと画策していたみたいよ。あなた、新事業に失敗してどこぞの大物に借り作った挙句にリコールされているんですって? おかわいそうに。ホテルの従業員が」
「その生意気な口は相変わらずみたいだな」
「じいちゃんはどこ? 返してくれたらおとなしく引いてやるという選択肢も考えてやらなくはないわよ」
「黙れ。質問に答えろ。何故分家を連れている」
「まあ、じいちゃんがいるとしたらお母さんの部屋だろうけど」
一瞬だけ忠人の眉がぴくりと動いたのを、雫は見逃さない。
「あら、本当にお母さんの部屋なの? なんて捜し甲斐の無い隠し方をしているのかしら。相変わらずアホなのね」
「黙れ!」
「そうやってすぐに余裕を失くすから新事業にも失敗するのよ。じいちゃんのことはうまいこと連れ出したつもりでしょうけど、そもそもどうして新事業に失敗したか考えたことある?」
「…なんだと?」
「自分の側近に分家がいないって、どうやって判断したの?」
「なっ、まさか貴様ら…」
言いながら、忠人は連れてきた男たちを見回す。必死に首を横に振る男たち。それを見て、雫は声を上げて笑った。
「言ってみただけよ。教科書通りの疑心暗鬼ね。今の動画に録って、電子辞書にでも載せてもらったら?」
「雫、お前!」
雫は、わざとらしく沙羅を撫でた。本郷家の人間には沙羅は見えているから、それだけで意味が通じる。
「あたしに手を触れたらその瞬間に術を掛けるわよ」
ぐ、と忠人が怯む。くすりと、雫は笑った。
「さて、お集りの皆さま」
ぱんと、雫が手を叩く。忠人、工藤友恵、使用人、分家の人物が雫に注目している。
「十八時なんて言ってないで、今ここでケリを付けましょう。お互いの為に」
「勝手なことを言うな!」
「うるさいなぁ。十時も十八時もそんな変わんないわよ。たかが八時間でわーわー言うな。みっともない」
「お前は、親に向かって…」
「そういうセリフは親らしいことをしてから吐くのね」
ぴしゃりと切り捨てて、雫は工藤友恵の肩をぽんと叩いた。
「待たせたわね。さ、言いたいことをどうぞ」
友恵は、忠人を見る前に雫の顔をじっと見た。
「本当に、よくしゃべるお嬢さんね」
「喧嘩はまず口で勝たないとね。黙って動くなんて、あたしはそんな陰気な勝ち方はしない主義なの」
「耳が痛いわ」
自嘲してから、友恵は忠人に向き直った。
「リコールを嗾けたのは私たち分家よ」
「なんだと?」
「私たちの要求は、家の土地の返却と相応の賠償金。さらに正式な謝罪。聞き入れられない場合は、このままリコールを推し進めてホテル本郷の経営から離れてもらうわ。私たちはただリコールしたわけじゃない。それなりの理由と証拠があることは先の会議でご存知でしょう」
「ふざけたことを…」
「マスコミにあなたの不正やパワハラの証拠を流してもいいのよ。それだけでホテルの経営は傾くでしょうね。あなたに手を貸していた政財界のお偉方も、あなたを切り捨てるのに躊躇はしないでしょう。躊躇すると信じているならそれでもいいけれど」
ぎり、と忠人が歯ぎしりをする。
「まずは土地を私たちに返して。それから分家の再興。賠償金は三億円」
「さ…!?」
「払えない額じゃないでしょう。あとは私たち分家の前で頭を下げて頂戴。ホテルの経営権を手放してくれたらもっといいけれど」
「ふざけるな、誰がそんなことをするか! ホテルは私のものだ! 雫に婿を取らせる!」
「教えてあげましょうか。あなたが用意した雫ちゃんの婚約者は分家の人間よ。例の大物の名前をちょっと拝借したの」
その言葉に、忠人が固まった。
「そんな、馬鹿な…」
愕然とした忠人を、友恵が嘲笑う。
「その顔、最高ね。ほかの仲間にも見せてやりたいわ。ねぇ、本当にあんな大物が自分の関係者を本郷家の婿にするとでも思ってたの? そんなわけないじゃない。まさか自分まで大物になったつもりでいたの?」
そのやり取りを、雫は面白くもなさそうな顔で眺めている。中々滑稽だと思っていた。
「し、雫」
その雫に、忠人がふらふらと寄ってくる。
「術を使ってくれ。私を助けろ」
「…はぁ?」
「分家に本郷が乗っ取られようとしているんだぞ? このままではお前も行き場がなくなるだろうが! 私の願いは分家の滅亡だ、さぁ術を!」
「知ったことじゃないわよ。身から出た錆でしょ」
「誰のおかげで何不自由のない生活を出来ていると思っている!!」
「不自由ならしているわよ。主に親に」
「このっ!」
忠人が雫に手を挙げようとした瞬間、一人の使用人が駆け寄ってきた。
「旦那さま!」
「なんだ、今の状況が分らんのか!」
「奥さまの病院からお電話がありまして、奥さまが暴漢に攫われたそうです!」
「…なに?」
さすがに忠人の動きが止まる。
日課の散歩中に、茂みから暴漢が出てきたと、使用人はしどろもどろになりながら説明する。
「なにかの間違いじゃないのか」
「電話のディスプレイに病院の名前が表示されておりました。男の先生からのお電話で、暴漢は二人で旦那さまのお名前を出していたとか…」
「どういう意味だ。私のせいだとでも言う気か!」
「問題はそこじゃないでしょ」
そこで、雫が口を開く。
「心配しなくても、お母さんには傷一つ付かないわ」
「どういうことだ。お前、なにを知っている」
「奥さんを攫ったのは私の仲間ってことよ」
友恵がそう言って、腕を組んだ。
「危険な目には遭わせないわ。ただ、あなたが私たちの要求をのまない限り、約束はしない」
「貴様ら…」
「雫ちゃんに術を掛けられてね。もう私たちの願いは自分で叶えるしかないの。なりふり構っていられないの。どんな卑怯な手段でも使うわ。さあ、迷っている時間は無いわよ。今ここで、土地の返却と謝罪を約束して頂戴。そうでなければ、あなたは二度と奥さんには会えない。あなたが死ぬまで何十年でも幽閉させてもらう」
「雫、術を使え! 私の願いを叶えろ!」
「嫌」
「お前は母親が大事じゃないのか!」
「どの口で言ってんの?」
「本郷忠人、決断しなさい!」
忠人は黙った。歯を食いしばって、考えている。握った拳は震えているようだ。
しばらくの沈黙の後、忠人は絞り出すように口を開いた。
「……わかった。土地は返す」
「それだけ?」
「謝罪もしよう。分家を集めてくれ。賠償金に関しては、交渉の余地が欲しい」
「交渉は受けるわ。リコールと引き換えに」
友恵は、組んだ腕を解かない。その様が、自分を大きく見せる為だということをハッタリ屋の雫は知っている。
「あなたはもうリコールを受け入れるしかないのよ。今日、三時からの会議でね」
「今日は、会議の予定など入っていない」
「入れたのよ。ホテルの役員とあなたの秘書には話を通してあるわ」
忠人は憎々しい視線を友恵にやった。
「そこまで根回し済みということか」
「ホテル本郷にあなたの味方はいないと思ったほうがいいわね。それどころか、家族にも。雫ちゃんは分家の味方ではないけれど、あなたの味方もしないことはよく解っているでしょう」
「あたしはあたし以外の味方にはならないからね」
「本当は雫ちゃんにはこちら側についてもらいたかったんだけど、一筋縄ではいかないお嬢さんのようだから」
「いい加減、ちゃん付けするのやめてよ。おばさん」
「……まあいいわ。本郷忠人。約束するわね? 土地の返却と謝罪。あとは自分でリコールか三億か選びなさい」
「ああ…。約束しよう。だから」
「雫、しゃがめ!!」
忠人に被さるように、鋭い声が飛んできた。とっさに雫は身を沈める。その頭上すれすれを、苦無が飛んでいった。がしゃんという音が響く。
「なん…」
友恵が言葉を失う。目の前を苦無が通過していったのだ。無理もなかった。
「く…」
飛んできた苦無は雫の背後に立つ分家の人間の手に掠って、部屋の調度品を壊していた。足元には小さなナイフが落ちている。これを叩き落とされたのだろう。
「薫…。なにをしているの?」
分家の人間のことを、友恵はカオルと呼んだ。それで、雫はその人物の名前を知った。薫が次の行動を起こすよりも先に、雫の前に李玖が飛び込んでくる。
「李玖」
「ごめん、遅くなった」
「遅くないわ。じいちゃんは?」
「雫が言っていた通り、二階のおばさんの部屋にいた。大丈夫。怪我一つ無いよ。もうあっちに向かってる」
その言葉を聞いて、雫は深く息を吐き出した。良かったと口元が動く。
「どういう…どういうことだ。なんだ、これは!」
そこで、事態に圧倒されていた忠人がやっと叫んだ。
「だから、こいつも分家の人間なのよ」
「なんだと? 手島はセキュリティ会社が紹介して来たんだぞ。身元もちゃんと調べた! そもそも、そいつが言ったのだ。雫と会話をする為に祖父に来てもらうべきだと」
「へぇ。手島。あっそう。そう名乗っているわけね。身元なんて洗っても無駄よ。戸籍を買ったらしいから。横からじいちゃんかっさらうのも簡単だったでしょうね。分家のスパイなんだもの」
「待って、どうして薫が雫ちゃんを」
「あなたたちとは考え方が違うんでしょ」
本気で困惑しているらしい友恵に、雫は視線をやらない。薫から視線を外せば攻撃されるからだ。李玖が庇ってくれているとはいえ、隙は作らないに越したことはない。
「違う? どうして? 私たちはただ分家の立場を取り戻せれば」
「一枚岩じゃなかったってことよ。こいつの願いはほかにあるの」
「雫、下がって!」
李玖が言った瞬間には、薫は細長いナイフを手に持っていた。袖から出したらしい。正式名称は知らないが、雫の知っている言葉ならペティナイフに近い。
李玖の足手まといにならないよう、雫は二人の間合いから離れた。友恵を引きずるようにして。忠人は引き連れていた男二人に庇われるようにその場から引いた。
きん、と高い音が響く。薫のナイフを、李玖が苦無で受け止めたのだ。ナイフと苦無が合わさった場所を支点にして、薫は蹴りを繰り出してくる。李玖は下がらない。下がれば雫を巻き込むからだ。苦無を跳ね上げるようにしてナイフを躱し、飛んでくる長い脚の軌道を無理やり変えた。李玖の身体が沈む。軸になっている足を払おうとしたのだ。だが、薫は素早く蹴り出していた足を収めて李玖から間合いを取った。
沈黙は、一瞬にもならなかった。薫が動いたのだ。
左手にも同じようなナイフを取り出して、ほとんど前動作なしに投げつけてきた。避ければ後ろにいる雫に当たるし、弾けば隙が出来る。
李玖は迷わなかった。顔に腕をかざして正面から受け止めたのだ。李玖の腕には剣道で使う小手に近い防具が巻かれている。それでも衝撃は殺しきれずに、小さく血飛沫が舞った。李玖が顔を歪めたのは一瞬だ。
「李玖…」
雫がつぶやいた時には、李玖は腕からナイフを引き抜いて投げ返していた。薫が避ける。ナイフが襖に突き刺さる。薫が李玖の懐に飛び込んでくる。抉るような拳を、李玖が流すように躱す。反動を利用して回し蹴りを繰り出す李玖。しゃがんで避ける薫。しゃがんだまま、李玖の軸足を狙ってナイフを持った手を払う。飛び上がって躱す李玖。空中では方向転換は出来ない。そこを狙ってナイフを繰り出す薫。李玖は先ほどと同じように正面で受け止めようとし――その瞬間、薫がナイフを引いた。勢いあまって体勢を崩す李玖。そこに、薫人は鋭い蹴りを繰り出してきた。ナイフはフェイクだったのだ。ぎりぎりで避けた李玖だったが、薫は体勢を持ち直す暇を与えない。今度こそナイフを突き立てようと襲ってくる。
「李玖!」
雫が叫んだ。
本当は雫も参戦したい。後ろから殴り飛ばすくらいのことはしてやりたい。しかし下手に手を出せば、李玖の足手まといになる。
だからせめて、雫は叫んだ。
「負けたら二度と口利かない!」
「それは困る!」
即座に返事が来た。
「じゃあとっとと片付けなさい!」
言った瞬間、体勢を崩したままの李玖が両手を床に付いた。そのまま転回して薫から距離を取る。追いかけてくる薫。薫は、間合いを取られることを徹底的に嫌っていた。距離が出来れば、飛び道具を使う李玖が圧倒的に有利だと知っているのだろう。
実際、薫は速かった。速さだけなら李玖に勝ったかもしれない。
しかし勝負では李玖に軍配が上がった。繰り返し転回して薫を右へ左へ翻弄した李玖は、薫が一瞬呼吸を乱したのを見逃さなかった。彼が息をついた瞬間に自分から飛びかかって、ナイフを叩き落としたのだ。そのまま手首を掴み、背負うように投げ飛ばした。襖が破れ、派手な音を立てる。それでもなんとか立ち上がろうとした薫を、李玖は懐から取り出した分銅鎖で拘束した。




