「そんな価値、無いから」
「いなかった? そんなはず…」
「あたしに嘘を吐く理由があると思う?」
車の中では、男が二人眠らされていた。祖父はおらず、ステアリングにメモが張ってあっただけ。そこには「明日、時間厳守」とだけ書いてあった。
眠らされていた男を叩き起こして事情を聞いたら、案の定本郷家の人間に急襲されて祖父を連れ去られたとのことだった。
「あたしは手段を択ばないわよ。あんたたちが知っていること、洗いざらい吐きなさい」
喫茶スペースである。もう三階に運ぶのも手間なので椅子に三人を縛り付けた。車にいた二人は殴り飛ばしてきた。
喫茶店に飛んで帰ってきて、眠らせていた三人を無理やり起こしたところである。
「ねぇおばさん。あたし、もうナイフは使わないわ」
がしっと、雫は女の額を右手で掴んだ。沙羅は雫の肩から飛び降りて、カウンターの上でその様子を見ている。
「術しか使わない。良かったわね。手に入れたかったあたしの術を体験出来てうれしいでしょう?」
「…術は無駄遣いしない主義じゃなかったの?」
「ご心配なく。これは無駄じゃないわ」
「お、おい、待ってくれ!」
「待たない。いいから状況を説明しなさい。三人の話に齟齬があれば容赦しない。言っておくけど、李玖はあたしの為ならあんたたちの目に苦無を突き立てるわよ」
ハッタリ以外の何物でもない雫の言葉に合わせて、李玖が懐から苦無を取り出した。先ほどの焙烙玉の効果がまだあるのだろう。三人はびくりと肩を震わせた。
「…今、本郷忠人はリコールされているわ」
やがて、女が話し始めた。雫は女から手を放す。
「リコールを仕掛けたのは、私たち分家の生き残り。ホテル本郷に入り込んで、復讐する機会をうかがっていたの。忠人のワンマン振りにはみんな辟易していたから私たちじゃなくてもいずれリコールされていたでしょうけどね」
「それで?」
「きっかけは、忠人のところに潜り込んでいる私たちの仲間から、情報があったこと。彼女が言うには、忠人が、どうやら新しい事業に手を出そうとして失敗したって。それで政財界の大物を怒らせて、結果的にかなりの負債が発生したんですって。下手したらホテルを売らなきゃいけないところまで来ているらしいわ。そこで雫ちゃんの存在を思い出したみたいね」
「詞術を使って、その大物に借りを返そうとしているわけ?」
「そういうこと。そこを私たちが突いたの。雫ちゃんが詞術を使っても使わなくても、分家がホテル本郷を乗っ取るつもりで」
雫は頭の回転が速い。それだけで、女の次の言葉が分かった。
「つまり、あたしの未来の旦那ってのは分家の人間ってことね?」
「ご明察よ。その大物の関係者の名前を拝借したの。面白いくらい簡単に食いついたわ」
それで、李玖が忍び込んだ時に情報が無かった理由が判った。どれほどの大物か知らないが、忠人のところに潜り込んでいる分家の人間がとことん隠しているのだろう。名前を拝借しているという相手が大物なら、その大物にも気付かれないようにするために。
しかし、それがなんだというのか。
「ふん。掌で踊らせているつもりが、まんまとじいちゃんは忠人に奪取されてるじゃない。化かし合いなんじゃないの? いい大人同士が、みっともない」
「ええそうね。その通りだわ。婚約者のことまで嗅ぎつけているかは判らないけれど」
まだだろうな、と雫は思った。少なくとも雫をディナーに招待した二日前には嗅ぎつけていなかった。もしこの二日間で婚約者の素性が割れていたら、場所や日時の変更もしくは中止を通達してきてもいいはずだ。
「ねぇ雫ちゃん。こうなったら正面から言うけど、私たちに力を貸してもらえない?」
「……」
「絶対に悪いようにはしないわ。忠人みたいにその能力を金儲けに使ったりしない。術の強要もしない。使ってほしい時には必ず事情を話して納得してもらうようにするわ。もちろん、納得できなければ使わなくていい。どう?」
やれやれと、雫は小さくため息を吐いた。
「納得できなければ使わなくていい…ね。どいつもこいつも、どうしてそう上からものを言うのかしら。ねぇ李玖。どうしてかな」
李玖はなにも答えず、ただ雫の頭を撫でた。
「雫ちゃん」
「お断りよ。あたしにメリットが無いわ」
「契約した分は記憶を食わせなきゃ、あなたが食われるのよ? 依頼人は誰が見つけてもいいじゃない」
「それ、忠人と同じことを言ってるって解ってる?」
「!」
「本当に、どいつもこいつも…」
もう一度、ため息を吐かずにはいられない。
「結局あたしになにをさせるつもりだったの?」
女は答えない。
「忠人は、どちらにしても負け戦になることが解っていないってことよね。このままリコールが為されたらもちろん追い出されるし、リコールが失敗してあたしがその大物の関係者を名乗る男と婚約しても分家の思うがまま。結婚すればその婚約者とやらの記憶からあたしが消えることも無いし。ついでに言うと、あたしがその分家の男と婚約しなくても、政財界の大物に借りを作った忠人にはもう進む道が無い。完全に詰んでいるわね」
それで、と雫は続ける。
「あなたたちはあたしになにを願おうとしていたわけ? 忠人のリコールなら、あたしを巻き込まなくても成功するでしょう」
やはり女は答えない。
「あっそ。しゃべる気はないわけね。じゃあもうあなたに用事は無いわ」
言って、雫は先ほどと同じように女の頭に触れた。
「あなたの願いが」
「願いは一つだ!」
またしても男に遮られて、雫は面白くなさそうに眉を寄せた。
「…なに」
「散り散りになった分家が、また一緒に穏やかに暮らせるようにって、それだけなんだよ!」
一人がしゃべると、もう一人も叫ぶように言った。
「あんたの親父が俺たちにしたこと、あんた知ってるのか!?」
「…大体は」
「家も土地も取り上げられて分家はばらばらにさせられたんだ。仕事も失ったし進学だって諦めなきゃならなかった! あんたが私立のお嬢さま学校に車で通っている時も、俺たちは中卒で、日雇いの仕事でなんとか生き延びたんだ。あんたにその気持ちが解るか!?」
「解るわけがないでしょ、そんなもん」
「余所からやってきてあんたの母親に取り入ったあんたの親父が! 俺たちの将来をめちゃくちゃにしたんだ! あんたの母親だって壊されただろう! 親父に恨みがあるだろう!?」
「……」
「手を貸してくれ、今回限りでいい。忠人を貶められればそれでいいから! 今回手を貸してくれたら、二度とあんたに関わらないと誓う! 俺たちの願いを叶えてくれ!」
「うるさい。手を貸す理由が無いわ。じいちゃんに手を出しただけで、あんたたちは万死に値する」
目の前で母親が自殺未遂をした。自分をモノ扱いしかしない父親に目いっぱい殴られた。祖父に抱きしめられた時、どれだけ安心したか。
――もう、ここに来るときは「ただいま」でいいんだよ。
あの言葉が、雫をどれだけ救ってくれたか。
じいちゃんと李玖と平和に暮らせていけたらそれでいい。ほかにはなにも望まない。つまり、ほかの人間がどれだけどうなろうとどうでもいい。
知ったことか。
雫は、黙り込んでしまった女の額に触れた。
「あなたの願いが」
「待っ」
「叶いませんように」
沙羅がぴんと尻尾を立てた。
続けて雫は、男二人の肩に両手をそれぞれ乗せた。
一人が待ってくれと叫び、一人はひっと悲鳴を上げた。
「あなたたちの願いが、叶いませんように」
男たちは完全に戦意を喪失してうなだれた。そんな中、場違いな笑い声が響く。黙っていた女だった。
「そうやって、術を使うごとにあなたは独りになっていくのよね。今の瞬間、誰に忘れられたのかしら? そこの坊やじゃないといいわね?」
「それはあんたには関係ないわ」
「たまたま先代の娘に産まれただけのガキがいい気になって、好き勝手使い続ければいいわ。私たちの比じゃないほどの孤独を味わえばいい!」
女が叫び終わるよりも前に、李玖が動いた。
雫の後ろから、両手で雫の耳を塞いだのだ。
「…李玖」
「聞かなくていいよ。…そんな価値、無いから」
李玖の両手が暖かくて、雫はそっと目をつぶった。
「うん」




