第12話 八枚翅の魔法師
「本当にやるのか」
ダグラエンが腕を組んで、あたりを見渡した。
「王都全体に結界を張るなんて、並みの魔法師なら魔力が尽きて死ぬぞ」
満月が輝く深夜、アッシュルとダグラエンは天翅庁の中庭に立っていた。
「計算上、魔力量に問題はない」
「かーっ!さすが、八枚翅の魔法師様は言うことが違うねえ」
軽口に動じないアッシュルを見て、ダグラエンがため息を落とした。
「……引くわ、本当に。好きな女を探すためにここまでやる奴が存在するとは思わなかった」
「うるさい。始めるぞ」
アッシュルは目を閉じた。魔力を、解放する。普段は身のうちに抑え込んでいる、あの膨大な力を。少しずつ、丁寧に、解き放つ。
魔力が、王都全体へと広がっていく。建物の壁を、路地の石畳を、屋根の上を、川の流れを——すべてを薄い膜で包むように、結界が張られていく。広い海に一枚の布を広げるような作業だ。途方もない。内側から疼く痛みが、鋭くなった。しかしすぐに、収まる。ダグラエンが横で、回復魔法を発動させていた。
「……なんて奴だ」
ダグラエンが低く呟いた。
「本当に、王都全体を包んでやがる」
アッシュルは、自分にこれほどの魔力があることに、今日ほど感謝したことはなかった。誰かを探すために。ただそれだけのために、この力を使える日が来るとは思っていなかった。
結界が完成した瞬間、懐から蝶を取り出す。翅に口を寄せて、短く声を吹き込んだ。
「ベルン、君の気持ちが俺と同じで嬉しかった。だから、俺から離れようとしないで。どんな君でも、俺は君が好きだ」
蝶がふわりと浮き上がり、夜の空へ消えた。
アッシュルは即座に意識を結界へ向けた。広大な魔力の網の中で、蝶の気配を辿る。海でこぼした真水のありかを探すようなものだ。
……どこだ。出てこい。
汗が額を伝った。痛みが、じわりと戻ってくる。
あった。
微かな、しかし確かな気配。
あの独特の翅の紋様が放つ魔力の痕跡が、結界の中のある一点に滲んでいた。
「……やはりな」
「どこだ」とダグラエンが聞く。
「天翅庁だ」
ダグラエンの喉が静かに鳴った。
「灯台下暗し、ってやつかよ」
しかし、これではまだ広すぎる。天翅庁は、関係者も含めると二千人近い組織だ。ここから、さらに絞り込む必要がある。アッシュルは、結界を天翅庁に集中させ、増幅させた。
ベルン。
お願いだ。
蝶に、触れてくれ。
アッシュルは、ベルンの蝶に声を吹き込んだ時、自身の魔力の欠片を翅の奥深くに埋め込んだ。ベルンが蝶に触れた瞬間、魔力が発動し精確な位置を知らせるようになっている。
探知に全身を集中させていたそのとき。
わずかに魔力が跳ねる気配がした。
しかし、位置が掴めない。
深い霧に覆われているかのように。
何者かに、邪魔されている。
アッシュルは、さらに魔力を注ぎ込んだ。膨大な魔力の消耗が、じわりと体に響いてくる。何かをすくいあげるような感覚。やがて、見えてきたのは——
「寮だ」
「寮!? 天翅庁の寮か!?」
「ああ」
沈黙が落ちた。
ダグラエンが、派手にため息をついた。
「天翅庁の寮にいる若い女性。それだけわかれば——」
「十分だ」
アッシュルは目を開けた。夜空を見上げた。星が、静かに輝いている。
ベルン。
もうすぐ、お前に会える。
「今夜はここまでだ」
アッシュルは上着の袖を直した。魔力の消耗が、全身に重くのしかかっていた。痛みもひどい。しかし——胸の奥に灯ったものは、消えなかった。
「感謝する、ダグラエン」
「……珍しいな、お礼を言うなんて」
「言って損した。取り消す」
「はいはい」
ダグラエンが苦笑いしながら、夜の中庭を歩き出した。アッシュルは笑みを浮かべて、天翅庁の寮の方角を見つめていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
間違えて一瞬だけ、カテゴリを「完結済」に変更してしまっていました
完結だと思って読みに来てくださった方、すみません。
全20話すでに書き終わっているものを、順次公開しております。
もしよければ最後までお付き合いください。




