10話 アイヴォリーの迷宮
あれから3日後――。
森の切れ目の先に、小さな祠が口を開けていた。
骨董品のように白い祠は、どことなく可愛らしい。だが、この先に広がるのは「アイヴォリーの迷宮」――比較的初心者向けの迷宮と言われているが、命を落とした冒険者も数知れず――。湧き出す魔物がたとえ弱くても、油断してはならない。
佳織は唾を飲みこみ、祠に一歩、歩みを進める。すると、祠の脇に座っていた男が立ち上がった。銀に輝く鎧を身に纏い、鋭い槍を構えている。彼は――迷宮の番人だろうか。佳織は心なしか、剣の柄に手を置き、恐る恐る近づいた。迷宮の番人は槍を構えたまま、にこやかな微笑みを浮かべ、そして――
「冒険者証の提示と、入場料の支払いをお願いします」
「えっ!?」
佳織は絶句した。
思わず、転びそうになるくらい。
「お金、取るんですか!?」
「えぇ、維持費がかかりますので」
「国管轄の公的迷宮だから、金くらいとるだろ。
まっ、ここはセブンスコードの一角が眠ると噂されているからな」
何食わぬ顔でルートは、銀貨を5枚も取り出した。ハリスも、財布の口を開けている。
恐らく、金を払うのは常識なのだろう。
「中の魔物を駆逐されつくされねぇように、調整するために維持費がかかるそうですよ」
「冒険者は、有事の際に戦ってくれますからね。しっかり育ってもらわないと」
番人とハリスは楽しそうに言葉を交わしていた。
国のための施設、ということは番人も一種の国家公務員という立場なのかもなーと、ぼんやり考える。宿代が銀貨3枚という相場を考えると、安いのか高いのか――よく分からない。佳織は、財布を開けた。冒険者として稼いだ金は銅貨数枚しかないので、最初に国から下賜された金で支払うことにする。
「はい、お金は御預かりしました。冒険者証を返します。
では――御武運を」
一瞬、番人の眼が佳織に向けられる。
敵意は感じない。むしろ、憧憬や崇拝に近い視線だった。どことなく、背中がかゆくなる。佳織は軽く会釈を返しただけで、あとは振り返らなかった。
「なんだ、アイツ……知り合いか?」
ルートが、こっそり耳打ちしてくる。佳織は、正直に首を横に振った。
「いいえ。まったく」
しかし、佳織は内心おおまかな推測を立てていた。
(たぶん、私が勇者だって分かったんだろうな)
アイヴォリーの迷宮に勇者が出向くと、既に国や神殿から連絡が行っていたとしても不思議ではない。あとは、冒険者証に書かれた名前と、国方伝えられた勇者の名前を照合すれば一目瞭然だ。別に隠す必要もないし、隠さなくても――いや、隠した方が良いのか。佳織は首を横に振るった。
「まっ、いっか。ほら、そろそろ敵さんのお出ましだぜ?」
ルートの声で、佳織は我に返る。
どことなく埃っぽい洞窟の奥の方から、幾つもの光る眼がこちらを睨んでいる。佳織は、剣の柄に手をかけた。隣に佇むハリスと視線を合わせる。ハリスは、帽子の端を軽くつかみ静かにうなずいた。
「承知しました。それでは、打ち合わせ通りに行きましょう。
ルートさんとカオリさんは、先に進んでい下さい」
ハリスの言葉に従い、佳織は前に、その後ろに控えるようにルートが前に出た。近づいてみると、光る眼の正体が分かった。緑色の身体をした怪物が、棍棒を持って整列していたのだ。――恐らく、ゴブリンだろう。数は6匹もいる。佳織は、ごくりとつばを飲み込む。いつでも剣を引き抜けるように、そして直ぐに攻撃へ移ることが出来るように、腰を落とした。ルートも、錬金銃を手に伸ばす。だが、銃を構えない。ただ――ハリスを待った。後ろに下がったハリスは、前に手をだし呪文を唱え始める。
「『運命の女神 フェイトリアの名のもとに―――」
先に動いたのは、ゴブリン達だった。
それぞれ棍棒を握りしめ、突撃してくる。視た限り、ゴブリン達は数で勝てると踏んだのだろう。佳織とルートめがけて棍棒を振り下ろそうとする。しかし――
「『敵を放心させよ―アクア・スタン!!』」
ハリスの呪文詠唱の方が、一歩はやかった。
掌から放たれた高圧的な水流は、ゴブリンを吹き飛ばし壁に打ち付けた。突然激しい水に当てられたゴブリン達は、放心してしまう。動きを止めたその瞬間を、ルートは見逃さない。
「いけ、嬢ちゃん!」
「言われなくても分かってます!!」
剣を振りかざし、ゴブリンを両断する。
さほど力を籠めなくても、ゴブリンの胴を切り裂くことが出来た。オークと戦った時もそうだったが、練習試合の時と剣の研ぎ澄まされ具合が違う。
まるで、剣が意志を持っているかのような――不思議な感覚がした。
「もう一匹っ!!」
放心状態のゴブリンを、また一匹、また一匹と斬る。
だが、ゴブリンもいつまでも放心しているわけではない。佳織が3匹目のゴブリンに剣を振りかざした時、ゴブリン達は既に身体の自由を取り戻していたのだ。3匹目のゴブリンは棍棒で佳織に殴りかかり、残りの2匹も後ろから襲いかかろうとする。
「振り返るな、嬢ちゃん!! そのまま行け!!」
ルートが銃を構える。
放たれた、銃弾は佳織に襲い掛かろうとしていたゴブリン2匹の頭を打ちぬいた。佳織も、剣を振り下ろし3匹目のゴブリンの緑色の返り血を浴びる。服の袖で血を拭いながら、5匹のゴブリンの死体の中央に佇む。
「僕が水魔術で敵をいち早く放心させ、カオリさんが切りかかる。カオリさんが取りこぼした敵をルートさんが射撃する。
確かに方法としてはいいですが、最初からルートさんが狙撃した方が楽なのでは?」
ハリスは、血の臭いに顔を歪めながら呟いた。
ルートは、静かに首を横に振る。だが、それだけだった。何も言わないルートの代わりに、佳織は代わりに答えた。
「私が頼んだんです。少しでも多く敵を倒した方が、経験を積むことが出来るからって」
この迷宮を出た後も、このメンバーで旅を続けるとは楽観的に考え過ぎだ。それならば、安全なうちに――出来るだけ1匹でも多くの魔物を倒し、魔物に対する恐れの感情を無くした方が良い。そう考えた佳織は、進んで前に出るようにしていた。
「どっちにしろ、俺はこの迷宮を出たらお前らと別れるつもりだからな。
いつまでも子守は御免なんだよ。ほら、先に進むぜ」
隊列を崩さずに、埃っぽい洞窟を進んでいく。
岩壁には苔のようなものがびっしりと生えており、ぼぅっと淡い輝きを放っていた。松明を焚かなくても、前に進むことが出来る。
(まぁ、迷宮で松明なんか焚いた日には、煙に巻かれて死ぬよね)
火とは異なる冷たい光を頼りに、一歩また一歩と進んでいく。
かつん、かつんとブーツの足音が、低く響き渡っていた。先の見えない暗闇に足を勧めるのは、冷たい手で背中を撫でられるような恐怖感を覚えてしまう。佳織は、剣の柄から手を離さず、慎重に――どことなくルートから離れないように歩みを進めていた。
「ったく、嬢ちゃん先に進めよ。俺が前に出てどうすんだ!?」
「わ、分かっていますよ!!」
ルートに低い声で注意され、駆けるように前に出る。
言われなくても分かっている。でも、勇者であるという以前に新米冒険者の佳織には、怖いモノだらけなのだ。少しくらい怯えても仕方ないではないか、と佳織は文句を垂れそうになる。そんな時だ。
『――ずっと、』
「何?」
そよ風のような囁き声が、空気を伝わる。
どこか懐かしいような、落ち着いた声に、佳織は思わず足を止めた。
だけれども、暗い洞窟が広がるばかり。
前に道は1つしかなく、後ろにも入口に続く道が1つしかない。そう――佳織たち以外に誰か人がいる気配何て、まったくなかった。
「どうしましたか、カオリさん・」
「……いえ、何でもないです」
あの声は、なんなのだろうか?