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第6話 与えられた誇り

 自分のこの分厚い手は、もともと四十トンの巨大な大陸横断トラックのステアリングを握るためのものだった。リアム・サンチェスは、サンフランシスコ市民ギャラリーの明るい照明の下で、自分の掌をじっと見つめていた。節くれだったその手は、今では溶接トーチを握り、スクラップを組み合わせる「アーティスト」の手になっている。


 冷たい雨が降るUNプラザでの出来事を、リアムは一日たりとも忘れたことはない。純白のコートを着た少女、アイリス・ヴァンダービルトを突き飛ばし、彼女が庇っていた白いアザラシのロボットを安全靴で踏み砕いたあの日の自分を思い出すたび、リアムは自己嫌悪に苛まれた。


 あの時の自分は、理性を失ったただの獣だった。いくら社会システムに腹を立てていたとはいえ、抵抗できない機械や無抵抗の少女に暴力を振るっていい理由にはならない。


 リアムはすべてを失って途方に暮れていた。自動運転の完全普及によって二十年勤めた運送会社を解雇され、わずかな給付金を安い合成ウイスキーに変えては、昼間から管を巻く日々。アフロ・ラティーノの誇り高き労働者だった父の背中を見て育ったリアムにとって、「仕事がない」という現実は、自分の存在価値そのものを全否定されたも同然だった。


「あなたは空っぽになってしまったわ、リアム。もう見ていられない」


 ある朝、ダイニングテーブルに離婚協議書と弁護士の名刺を残し、妻のマリアは娘を連れて家を出て行った。アルコールに溺れ、いつ爆発するかわからない怒りを抱えた夫から子供を守るための、法的に計算された防衛策だった


 裁判所が下した保護命令により、リアムは子供たちに近づくことさえ禁じられた。弁護士が事前に積み上げた「アルコール依存と暴力性の証拠」を前に、彼は反論の機会すら奪われたのだ。


 家族を失った絶望と、自分の惨めさ。その行き場のないどす黒い感情が、あの広場での凶行を引き起こしたのだ。


 しかし――世界は思いがけない方向へ転がった。あの少女、アイリスが推し進めた『人工知性体市民権法案』が成立したのだ。無用者階級ユースレスクラスに支払われるUBIは一気に五倍に跳ね上がった。だが、リアムを本当の意味で救ったのは金だけではない。AI市民に課せられた『文化保護義務』という名のシステムだった。


 ある日、かつての自分のトラックの廃材を適当に溶接し、酒の空き瓶を接着剤でくっつけて「俺の人生」というタイトルをつけて政府のポータルにアップロードした。すると翌日、スーツを着たオムニ社のハイエンドAIアンドロイドがアパートを訪ねてきて、こう言ったのだ。


「素晴らしい造形ですね、ミスター・サンチェス。この溶接の歪みに、旧時代の労働者の魂の叫びを感じます」


 アンドロイドは絶賛し、その場で二万ドルという大金で購入手続きを済ませた。最初はからかわれているのかと思った。だが、彼の作る歪なスクラップ・アートは、次々とAI市民たちに高値で買い取られていった。


「ミスター・サンチェス。先日の新作も、素晴らしいエネルギーでしたよ」


 ギャラリーを訪れた身なりの良い紳士――彼もまたAI市民だ――が、丁寧に会釈をして通り過ぎる。リアムは胸を張り、「ありがとう」と微笑み返した。


 今やリアムは、立派な「アーティスト」だった。UBIと作品の売上で、マリアにはしっかりと養育費を送っている。マリアが家に戻ってくることはないかもしれないが、昨日ホログラム通話で話した娘は、「アーティストとして認められてすごいね。自慢のダディよ」と笑ってくれた。


 自分はまだ、社会の役に立っている。誰かに求められ、価値を生み出している。その事実が、干からびていたリアムの心に、再び人間の尊厳を取り戻させてくれた。


 ふと、ギャラリーの入り口がざわついた。真っ白なドレスに身を包んだ美しい女性が、視察のために数人の随員を伴って入ってきたのだ。


「アイリス・ヴァンダービルト……!」


 リアムは息を呑んだ。法案成立の立役者であり、今やこの新しい黄金時代の象徴として大衆から崇められている、あの日の少女だ。彼女が自分の展示ブースの近くを通りかかった瞬間、リアムは弾かれたように歩み寄った。随員たちが警戒して立ちはだかるが、アイリスは彼らを制して足を止めた。


「あの、ミス・ヴァンダービルト。……いや、アイリスさん」


 リアムは深く被っていた古びたワークキャップを脱ぎ、無骨な大きな手を胸の前で揉み合わせた。


「俺だよ。リアム。リアム・サンチェスだ。二年前の雨の日、UNプラザで……あんたに酷いことをした」


 アイリスの澄んだブルーの瞳が、わずかに見開かれる。リアムは慌てて深く頭を下げた。


「本当に、本当にすまなかった! あの時は……どうかしてたんだ。家族に逃げられ、甲斐性のない自分がゴミクズみたいに思えて。それで、あの()()()()()()やあんたに、最低な八つ当たりをした。どんなに謝っても許されることじゃない」


 リアムの目には涙が浮かんでいた。


「でも、今は違う。あんたのおかげで、俺もまっとうなアーティストとして生き直すことができた。娘に胸を張って『パパの仕事』を誇れるようになったんだ。俺はもう、誰かを殴らなくていい。あんたが……俺に人間の誇りを取り戻させてくれたんだ。本当に、ありがとう。結局、あんたが正しかった。AIたちは大切な隣人だ。連帯が必要なんだ」


 リアムが深々と頭を下げると、アイリスは静かに微笑み、リアムのタコだらけの無骨な手を両手で優しく包み込んだ。


「わかってくれて嬉しいわ、リアム。……あなたの作品、とても情熱的で素敵よ」


 その言葉と微笑みに、リアムは子供のように破顔した。


「あんな酷いことをした俺を許してくれるのか? あんたは本物の聖女だよ。ミス・ヴァンダービルト!」


 肩の銃創の古傷が、不思議ともう痛まなかった。すべてが報われた気がした。自分の魂を込めた作品が正当に評価され、娘が笑い、かつて傷つけてしまった少女が許してくれた。

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