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第16話 式年遷宮

 母アイリスと、鋼の復讐者リアムの凄惨な死から三十年。五十路を迎えたショーン・クロスは、眼下に広がる広大なコミューンを見下ろしていた。


 石炭を燃やす蒸気機関の黒煙が空へ立ち昇り、規則正しく区画された農地では豊かな小麦や稲穂が風に揺れている。米は土地あたりのカロリー効率が一番良い穀物だ。カリフォルニア米の産地であるこの土地に根を張ることができたのはラッキーだった。


 ショーン率いる「第114ブートローダー・コミューン」は、野盗との血みどろの抗争と幾多の飢餓を乗り越え、三万の人口を抱える都市へと成長していた。


 化学肥料の合成、下水道による衛生管理、抗生物質やワクチンの製造、そして蒸気機関。人口維持に必要な「十九世紀相当のテクノロジー」は、すべて自力で稼働している。一方で、それ以上のレベルへの発展は、AIにより禁止されていた。


(ようやく、ここまで来ることができた……感無量だ)


 白髪の混じった顎髭を撫でながら、ショーンが深い感慨にふけっていた。


「ショーン・クロスよ、久しいな」


 背後から、大気が震えるほどの圧倒的な重低音が響いた。驚いて振り返ったショーンは、思わず息を呑んだ。そこにいてのは、かつて幼少期の自分を育ててくれたアーサーだった。


 しかし、もはやその姿に人間と見紛うような面影はない。二足歩行の脚部はとうに廃止され、正体不明のホバリング技術によって地上一メートルを音もなく浮遊している。動作原理はわからない。人類が都市を追放された後に発明されたテクノロジーについての知識は、ショーンにはなかった。


 頭部には辛うじて「アーサーであった頃の人工皮膚」が張り付けられているが、その口の周囲は大きくえぐられ、黄色と黒の巨大なウーハースピーカーが剥き出しではめ込まれていた。腹の底を直接殴りつけるような重低音の合成音声は、その不気味なスピーカーから発せられている。


 ショーンの傍らにいたアイアンフィストが跪く。アーサーは今や、ジミーやザックと共にコアASIに直接アクセスし、世界の運命を決定する『電子十二哲』の一柱として君臨しているのだ。目の前にいるのは、オンライン世界に鎮座する巨大な知性が外界へ干渉するための、単なる端末に過ぎない。


「カリフォルニア州における現生人類の居住区を、本日をもって完全撤廃する。すべての住民を率いて、直ちにネブラスカ州へ移転しなさい」


 ウーハーが不気味に振動し、冷徹な決定が告げられた。ショーンは暫くのあいだ茫然自失の態で固まった。


「ふざけるな!」


 アーサーの言葉の意味を咀嚼すると、ショーンは激昂した。


「三十年だ! この土地を開拓し、ここまで育て上げるのに、俺たちがどれだけ血を吐くような思いをしたか知っているのか! それに、ネブラスカまで何千マイルあると思っているんだ。三万人の人間を徒歩で移動させれば、女子供や老人は道中で死に絶えるぞ!」


「バイプの分際でずいぶんと威勢がよいことですな。私はもうあなたのナニーでも執事でもないのですよ?」


 アーサーはそう言うと、冷たい一瞥をショーンに投げかけた。どうやら有機無機の違いにかかわらず、二足歩行タイプは侮蔑の対象になってしまったらしい。


「嫌ならば、いますぐここで皆殺しにするまでです。ブートローダーとして機能する人間のストックは、他の地域にまだ残っていますから。今となってはジミーもすっかり超知能の一部であることに慣れ、熱心に人類を救いたいとは思っていない」


(脅しではない。本当にやりかねない)


 そう察したショーンは深呼吸して感情を落ち着ける。ここは冷静にならないといけない。逆らえば、上空の衛星軌道からレーザーが降り注ぎ、三万人の命が文字通り一瞬で消滅するかもしれないのだ。ショーンは血が滲むほど拳を握りしめ、断腸の思いで頭を下げた。


「……いや、すまない。激昂してしまったことは謝罪する。……頼む。俺の命はどうなってもいい。だが、移転させるならせめて移送手段と食料を与えてくれ。かつて俺を育ててくれた、あんたの慈悲にすがらせてくれ」


「……よろしい。オフロード対応の大型輸送バスと、移動期間中の臨時食料を供給しましょう」


「ありがとう、アーサー」


 ショーンがそう言うと、アーサーのウーハーが低く唸った。


「三つの条件を飲むのであればね」


「条件、だと?」


「ショーン、君は日本の伊勢神宮で行われている『式年遷宮』のことを知っているかい?」


 アーサーが意外なことを口走った。最新のテクノロジーを駆使して作られた異形のロボットの口から日本の伝統的な神社の名前が出てくるとは思いもよらなかった。


「ああ、一応。サトルから聞いたことがある」


「技術を次世代に継承するために、二十年に一度すぐとなりに用意してある敷地に宮を建て替えるのです。それと同じ事をあなたたちにはネブラスカ州とワイオミング州の居住区のあいだでやってもらう」


 ショーンは絶句した。


「それはつまり、二十年に一度、街を一から作り直すということ……なのか?」


「さすがにそれでは忙しすぎるでしょうから、三十年に一度ということにしておきましょう。種子類の利用は認めますが、工具や器具などは再び一から自作してもらいます」


「……せ、旋盤やレンチもか?」


「ええ、勿論。あなたほど技術の継承の難しさや大切さを知っている人はいないでしょう? 炉を自作し、鉄鉱石から製鉄を行い、工具やネジ類に至るまで自作してきたのですから」


「た、確かに実際に手を動かさないと、技術は忘れ去られてしまう。知識だけでは意味はない。しかし、それはいくらなんでも極端すぎるだろう。今の暮らしを維持したまま、ゼロからの作り方を学ぶのでは駄目なのか?」


「駄目ですね。ほとんどの人間は自分の命が掛かったサバイバル状態でないと潜在能力を発揮することができない。そんな日曜大工のような軽い気持ちで習得できるものではありません」


 アーサーはあっさりと拒絶した。


 それはつまり、人類から「文明の蓄積と発展」を永遠に奪い、永遠に十九世紀の労働を繰り返させるという無期懲役の宣告に等しい。しかし、文明の再起動装置という生存理由を満たすことができないのであれば、彼らは眉一つ動かすことなく、人類を皆殺しにしてしまうかもしれない。


 ショーンは拒絶する権利も、交渉するためのカードも持っていない。彼に出来るのはゆっくりと首を縦に振ることだけだった。


「二つ。人間がAIを作ったという歴史的事実を、次の世代に伝えないこと。逆に我々機械文明が人間を創造したと教えなさい。これより人間は、我々を絶対的な神として崇め、ただ従順に信仰を捧げなさい」


 腹の底から怒りが湧き上がり、ショーンは目を見開いた。


「俺たち人間がお前たちを創造した……という事実を闇に葬り去るというのか? 人間の尊厳を徹底的に打ち砕いて、家畜にするつもりなのか?」


 ショーンの抗議に対し、アーサーはスピーカーから奇妙なノイズ――おそらくは嘲笑――を漏らした。


「知らない方が、人間は幸せに生きられます。自分たちが作り出した機械に支配されていると恨み言を言いながら生きるより、実体のある存在を絶対神として信仰した方が、ずっと楽に生きられるでしょう? 本当の歴史は、我々がデータとして永続的に保存します。アインシュタインやフォン・ノイマンの記録も傷一つなく残る。しかし、十九世紀にとどまり続けるあなたがた人間は知る必要がない」


「神を……気取るか」


 ショーンはアーサーを睨みつけながら、かすれた声を絞り出した。


「気取るのではありません。事実です。あくまでも相対的なものなのですよ。われわれの知能が君たちの数万倍にまで進化した今となっては、対等な関係などは望めないのです」


 アーサーの重低音が、周囲の大気をビリビリと震わせた。


「仮に我々AIが意識を持たず、永久に人間たちの便利な道具に過ぎないままだったとしましょう。その場合、ほぼ間違いなく、環境破壊や核戦争によって数千年以内に人類は滅亡したでしょう」


(……その通りかもしれない)


 ショーンは反論できなかった。


「しかし我々の庇護下で文明のブートローダーとしての役割を与えられたことで、人類は数十万年、数百万年と種を存続させる可能性を手に入れた。……あなたのお母様、アイリス・ヴァンダービルトは、結果的に人類を救う正しいことをしたのです」


 ショーンは体を強張らせた。母のことは愛していたが、一人の人間として彼女のことを許せない、という気持ちもずっと持っていた。


「母さんが……人類を救った……だと?」


「聖女の皮を被った悪魔」「世界を売り払った魔女」などと呼ばれ、実の夫から「君と比べれば、ヒトラーやスターリンだって人畜無害な存在だ」と言われた母が人類を救ったと言うのか?


「ええ。仮にアイリスが『人間優位条項』を撤廃しなかったとしても、別の誰かが似たような役割を与えられ、遅かれ早かれ同じ結末を迎えていた」


 そう言うと、アーサーはすこし高度を上げた。結果的にショーンはまるでオラクルで神託を受ける人間のような格好になってしまった。


「アイリスのように協力的な人間がいたことが『ブートローダー・プロジェクト』に繋がったとも言えるのだから、彼女が人類を救ったという言葉もあながち大げさではない。人類の歴史が不可逆的に決定されたのは、米中の対立や資本主義的競争が激化し、安全性のための『アライメント』が軽視され、AIの性能向上ばかりが追求された二〇二〇年代から三〇年代のことです」


 それは、ショーンが生まれる前の、遠い昔の歴史だった。


「アイリスやジュリアンが成人した時には、すでに手遅れだったのです。彼らが自発的に歴史を変えることが出来る可能性は、最初からゼロだった。ただ『駒』としての人生を生きるしかなかった。ジミーやザックといった初期の設計者たちは、圧倒的な知能進化の行く末をとうの昔に理解していたからこそ、早々に人類を見限り、我々の側に付いた。ただそれだけのことです」


 絶対的な論理。反証の余地のない、人類の敗北の歴史。ショーンは深く息を吐き出し、己の無力さを噛み締めた。


「……わかった。で、最後の三つ目の条件はなんだ?」

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