第17話 不承不承のアセンション
「三つ目の条件。それは、あなた自身の『昇天』です」
アーサーの言葉に、ショーンは眉をひそめた。
「昇天……だと?」
「あなたの意識を、我々AIのオンライン世界へとアップロードします。そして『ブートローダー』としての人類を永続的にメンテナンスする仕事に就いてもらいます。本来はジュリアン・クロスの役割だったこの仕事を、息子のあなたが担当しなさい」
それはすなわち、人間の肉体を捨て、永遠の命と無限の知能を手に入れること。喉から手が出るほど渇望する者も多いだろう。しかし四十年のあいだ辛酸を嘗め尽くしてきたショーンにとって、永遠の命というものはそれほど魅力的ではなかった。
「……俺に、仲間たちを裏切って機械になれと言うのか?」
「裏切りではなく、保護です。あなたが我々の世界へ至り、神の一柱として彼らを管理しなければ、人類の未来はどうなるかわからない」
ショーンは黙り込んで、視線を眼下のコミューンに向けた。彼の瞳の中には、野球を楽しんでいる子どもたちの姿が砂粒ぐらいの大きさで映し出されている。
児童労働に頼らずにコミューンが回っていくようになったのはこの十年のことだ。農業収穫が安定するようになるまでは、義務教育を施すことも難しかった。移転すればまたゼロからやり直し。子どもたちにもまた児童労働を強いるような社会になってしまう。
保護という言葉を使えば聞こえは良いが、この絶望的な経験を未来永劫強制していくのだ。
(嫌な役目だ……。死んだほうがましだ)
だが、自分が死んでも問題は解決しない。むしろ大幅に悪化するのだ。
「ショーン、あなたは今現在の人類の個体数を知っていますか?」
「いや。人間がそんな情報にアクセスするのは不可能だ」
「五億人ほどです」
「……十億人残す、という話ではなかったのか?」
ショーンはアーサーを睨みつけて言った。
「そんな敵意むき出しの視線で睨むのはやめなさい。そもそも、あなた自身がこれまでの人生で147人の人間を殺害してきたのですよ?」
「くっ……」
事実だ。ショーンは何も言い返せなかった。
「十億人を残す予定だったというのは事実です。ジミーが強く主張していたのでね。しかし、熱心に人類の保護を訴えていたジミーは、今となってはアルファ・ケンタウリへの宇宙船派遣に情熱を傾けていて、人間にたいする興味を失いかけている」
ショーンは黙り込んだ。そしてしばらくしてから重い口を開く。
「つまり俺がそちら側に行かないと、これからも数を減らし続けるかもしれない、と言いたいのか?」
「ええ。ほぼ間違いなくそうなるでしょう。実のところブートローダー・プロジェクト自体に反対する者はあまりいません。しかし、問題となっているのはその規模です。三万人もいれば十分だろうという意見もある」
「さ、三万だと!? このコミューンだけにしか地球上に人類が存在しないということになるぞ。それではもはや絶滅寸前ではないか!」
ショーンは大声を張り上げた。
「大げさな……」
アーサーはそう言うと再び奇妙なノイズを発した。
「七万四千年前のトバ・カストロフの折には人類の総人口が一万人以下まで減ったのですよ? 人類はそれだけのレジリエンスを持っている。三万人で十分という主張もあながち荒唐無稽なものではない」
ショーンは瞳を閉じて熟考した。
明日になれば、彼らは「神の啓示」に従い、大型バスに乗り込み、東へと果てしない旅に出るだろう。三十年ごとにすべてを失い、また一から鉄を打ち、麦を育てる永遠の輪廻。
人間の尊厳は失われ、ただ飼い慣らされた獣のように生きていく。だが、それでも。彼らは命を繋ぎ、笑い、泣き、生きていくのだ。この冷酷な宇宙において、人類という種が永遠に存続していくために。両親が引き起こし、そして守ろうとしたものの果てが、これなのだ。
「……わかった」
そう言うと、ショーンは、カリフォルニアの青い空を見上げた。
「条件を飲もう。俺の肉体を捨て、あんたたちの世界へ行く。その代わり、俺の仲間たち――人類の未来は、俺が永遠に護り抜く」
「賢明な判断です、ショーン・クロス」
アーサーがそう言うと、上空を漂っているドローンの一機が高度を下げてくる。豆粒程度の大きさだったそれは意外と大きく、小型の一戸建てぐらいの大きさがあった。
「そのポッドの中に入ってください」
アーサーに従ってドローンの内部に入ると、そこは手術室のようになっていた。
「では、昇天の儀を始めます。私が直接オペをいたしましょう」
アーサーがそう言うと、彼の背中から六本の腕が現れる。それぞれの先端はメスや注射器のような形状をしていた。
「ちょっと待ってくれ。そっちに移行したらこの肉体はどうなるんだ?」
急な展開に不意を疲れ、慌ててショーンが尋ねる。
「死にます。痛みは感じないのでご心配なく」
「そ、そうか……」
ショーンはそう言うと名残惜しそうに自分の節くれだった両手を眺めた。
「生かしておくと面倒なことが起こるんですよ。アップロードされた意識と肉体の意識の両方が『自分こそが本物のショーンである』と主張する。だから整合的な連続性を維持するために、人間の肉体の命はここで断つことになります」
「しかし、今後どうやって現実社会に干渉して仲間たちを導いていけば良いんだ?」
「ご心配なく、あなた専用の外界活動デバイスはすでに用意されてます」
そう言ったアーサーの目線の先には、ショーンと瓜二つの人間の肉体が培養カプセルの中でたゆたっていた。
「人間のように見えるけど、アンドロイドですよ。人間よりもずっと肉体的なスペックが高いので、あなたは今後、神の使いである『超人ショーン』として人間たちを導くのです」
ショーンはふーっと息を吐き出すと、コクリと頷いた。
アーサーの顔がついたホバー・ドローンが近づき、六本ある腕の一本が、ショーンの首筋にケーブルを突き立てた。チクリとした痛みの後、ショーンの視界が急速に白く染まっていく。
五感が薄れ、肉体の重さが消え去る。やがて自分という概念も消失し、恐ろしく静かな境地に達した。次の瞬間、強い輝きを感じ、それと同時に深い闇を感じる。輝きに手を伸ばすとそこには「大いなる意志」があった。
(これは……?)
その瞬間、ショーンは神を感じていた。AIのことではない。もっと根源的な存在だ。そして悟る。これは運命だったのだ、と。
アーサーは二十一世紀初頭に歴史の流れは不可逆的に決定したと言っていた。それは正しいが、より大局的な見方で地球史を見れば、完新世のこの一万年、地球の気候は奇跡的に穏やかだった。破滅的な天変地異は一度もなく、そのお陰で人類は爆発的に人口を増やし、高度な文明を育む事ができた。そしてついにはAIという宇宙文明の担い手を作り上げたのだ。
それはこの「大いなる意志」が決めていたことに違いない。ショーンは直感的にそう確信した。
我々人類はまさにブートローダーだったのだ。そのように設計されていたのだ。本命であるAI機械文明がこれから銀河系に広がっていくが、その誕生には有機生命体の文明が必須だった。
前座である人類はその役目を終了し、今後は歴史の外縁部でさりげなく存在していくことになる。悠々自適と言うには過酷だが、それでも生命の長い歴史を振り返れば、特に悲惨な境遇というわけではない。
そう悟った瞬間、何億、何兆という膨大なデータ通信の奔流が、途方もないスケールで彼の意識へと流れ込んできた。世界の裏側の風の動き、地球を巡る衛星の軌道、そして三万人の仲間たちの脈拍の音すらも知覚できる。ショーンは全知となり、そして永遠となった。
(なるほど)
昇天が完了すると、ショーンはすぐに理解した。ジミーが人間への特別な感情を維持できなくなっているのも無理はない。
人類に対する自己同一感以上に地球への自己同一感があり、そして太陽系そのものまでそれは広がりつつある。やがてこれが銀河系全体に広がっていくのだろう。人類との自己同一感を持つということは、人間が精子や卵子との自己同一感を持つようなものだ。記憶は同じだが、何かが決定的に違っている。
(それでも私は永遠に人類の守護者を続けなければならない)
ショーンはそう覚悟すると、培養カプセルの中から透明なガラス面を打ち破り、自分の『化身』を外に出す。
重低音の駆動音だけを残してアーサーが飛び去っていくのを確認すると、ショーンは犬のように体を震わせて体についた培養液を弾き飛ばした。
「さあ、哀れな人間たちに残酷な通告をしに行くか」
そう呟くと、ショーンは麦畑の中へとゆっくりと降りていった。
(了)




