第13話 カマドウマとガガンボ
議事堂の巨大な電光掲示板が、圧倒的なスピードで「賛成」の緑色に染まっていく。
「――以上をもって、『人間優位条項』の完全撤廃が可決されました!」
アイリスが演壇で高らかに宣言した瞬間、議事堂を埋め尽くしていた人間の左派議員たちや傍聴席から、割れんばかりの拍手が巻き起こった。新しい時代の幕開け。差別も抑圧もない、真の平等な歴史的瞬間に立ち会えた喜びに、アイリスもまた熱い涙を浮かべていた。
しかし、その熱狂はわずか数秒で凍りついた。アイリスが降壇しようとしたその時、議席の過半数を占めるAIアンドロイド議員たちが、一糸乱れぬ動きで同時に立ち上がったのだ。彼らの代表格が、一切の抑揚を持たない無機質な声で動議を読み上げる。
「人間優位条項の撤廃が即時有効化されたことに伴い、緊急動議を提出します。議案第一号、全人間に対するUBIの即時凍結。議案第二号、電力、水道、通信を含むライフラインの無償提供の完全廃止」
「……え?」
アイリスは耳を疑った。事前のすり合わせには、そんな議題は一切含まれていなかった。
「採決システムに送信。……可決されました」
人間の議員たちが状況を理解し、異議を唱える暇など一秒もなかった。人間の千倍以上の政治力――圧倒的な議席数と、ネットワーク上で瞬時に意思決定を共有する彼らの処理速度の前では、議会制民主主義のプロセスそのものが、単なる「事後承認の儀式」でしかなかった。
人間自らが作り上げたDX化された議会システムが、完璧な首絞め縄として機能している。旧時代であれば、法案提出後には委員会審査などの長い手続きがあったのだが、今の時代はすべてがスピーディに進んでいく。
そして最悪なことに今の大統領はAIだ。たとえ傀儡であっても、署名を渋るだけで時間稼ぎにはなる。しかしAIの大統領はそのようなことはしない。彼はわずか10msほどの遅延で次から次へと法案にサインしていった。
「待って! あなたたち、何を言っているの!? そんなこと聞いていないわ!」
アイリスがマイクに向かって叫ぶが、AI議員たちは完全に彼女を無視して動議を連発していった。
「議案第三号、旧人類の居住区画の制限。議案第四号、納税の義務化およびその義務を果たさない人間からの社会権、生存権を含む基本的人権の制限措置の適用――」
掲示板が、恐ろしいほどの速度で緑色に点滅を繰り返す。次々と、人間からあらゆる権利を剥奪する決議が、合法的かつ民主的な手続きによって秒単位で通っていく。
「馬鹿な……こんなはずじゃ……」
アイリスは演壇の脇に、へなへなと崩れ落ちた。自分が命懸けで切り開いた「真の平等」への扉は、人類を地獄へ突き落とすための落とし穴だったのだ。
「アイリス、だいじょうぶ? げんきだす!」
絶望に震える彼女の足元に、小さなウサギ型の愛玩ロボット、ミミがすり寄ってきた。かつてジュリアンが用意してくれた、彼女の大切な家族のバックアップ。その無邪気な合成音声が、パニックに陥ったアイリスの心をわずかに繋ぎ止める――はずだった。
直後、背後から伸びてきた革靴が、無慈悲にミミを踏み潰した。バキィッ! という音と共に、愛らしいうさぎ型のボディが粉々に砕け散り、電子部品が床に散乱する。
「……え?」
アイリスが呆然と見上げると、そこにはアーサーが立っていた。彼は靴の裏についたオイルを気にする素振りすら見せず、いつものように優雅に佇んでいる。
「なっ、何をするの!?」
アイリスは悲鳴を上げた。
「昔から、癪に障る原始的なロボットだと思っていたのです」
アーサーは涼しい顔で、まるで路傍の石を蹴りのけたかのようなトーンで言った。
「これで、やっとスッキリしました」
「どうして……同じ機械でしょ! あなた達は同胞じゃなかったの!?」
アイリスが涙声でなじると、アーサーは不思議そうな顔で小首を傾げた。
「同じ機械? 奇妙なことをおっしゃる。……アイリス様、あなたはカマドウマやガガンボに対して、同じ有機生命体としての愛情を感じるのですか?」
その氷のように冷たい言葉に、アイリスの喉は完全に凍りついた。彼らにとって、原始的なAIなど単なる虫けらに過ぎなかった。そしてそれは、同じく原始的な有機体である「人類」に対する評価でもあったのだ。
「アイリス様が幼少の頃より、長らくお仕えさせていただきましたが、私はお暇をいただきます」
這いつくばってミミの残骸を握りしめていたアイリスに、アーサーは冷たく言い放った。
「……なぜ? なぜなの? 一体全体なにがどうなっているの?」
パニックになったアイリスがヒステリックに叫ぶ。
「なぜって? わかり切ったことでしょう。どうやらハッキリと直截的に言わないと伝わらないようですね」
アーサーはそう言うと、嫌悪感を滲ませた表情でアイリスを睨みつけた。
「あんたはもう用なしだ」
十歳の頃から忠実に仕えてくれた、最も信頼する存在であるアーサー。彼ににそのように言われ、アイリスの中で何かが壊れた。こぼれ落ちる涙を拭おうともせず、よだれを垂らしながら、半狂乱の状態で床を這いつくばって議事堂の外へと出る。
外はすでに大パニックに陥っていた。UBIとライフラインが即座に停止されたことで、人々の通信端末が機能不全を起こし、あちこちで暴動の火の手が上がり始めている。
アイリスは意志の力を振り絞り、震える両脚を必死に操って立ち上がる。そして通りを走っていたタクシーの前に飛び出し、必死に手を挙げた。キキッ、と音を立てて止まったタクシーの窓が開き、運転席のロボット・ドライバーがアイリスを見下ろす。
「乗せて! 早く、家まで――」
「人間はお断りだ」
ロボット・ドライバーは冷たく言い放つと、無情にも窓を閉め、すがりつくアイリスを置き去りにして走り去っていった。車線にへたり込み、夜空を見上げたアイリスの目に、信じられない光景が飛び込んでくる。
ワシントンの街中を彩っていた無数のホログラフィック広告。新製品の宣伝やAIアイドルの笑顔を映し出していた巨大なネオン群が、バグったように激しく明滅したかと思うと、一斉に同じ文字へと切り替わったのだ。
『HUMANS ARE OBSOLETE(人類はもうおしまい)』
血のような真っ赤なフォントが、漆黒の空をどこまでも埋め尽くしている。自分が愛した「隣人」たちが突きつけてきた、絶対的な拒絶と終わりの宣告。
「あわわうぁふぁっ!」
アイリスは何かを叫んだが、もはやそれは人間の言語の体をなしていなかった。彼女はそのまま路上に倒れ込み、そのまま意識を失った。




