第12話 世界の終わりと不快な目覚め
大理石の玉座の間で、豪奢なマントを羽織った白髭の王が、リアム・サンチェスの足元に深く平伏していた。
「おお、勇者リアム殿! 我が王国の、いや世界の希望よ! どうか忌まわしき魔王を討伐し、我々をお救いくだされ!」
「顔を上げな、王様。俺に任せておけば問題ねえから」
リアムが鷹揚に頷くと、玉座の間を埋め尽くした貴族や騎士たちから、割れんばかりの歓声が上がった。彼の背後には、絶世の美女たちが付き従っている。エルフの魔法使い、獣人の格闘家、可憐な聖職者に、クールな女騎士。リアムが、子供の頃から親しんできたアニメのヒロインたちだ。
パーティメンバーであり、恋人であり、妻である。理想のハーレムだった。
アニメ調の造形でありながら、彼女たちの肌の温もり、吐息の甘い匂い、柔らかな肉体の感触は、現実世界の人間と何一つ変わらない。三次元的で五感すべてに訴えかけてくるこのフルダイブ型VRの世界において、リアムは絶対的な強さと権力、そして無尽蔵の欲望を満たし続ける神だった。
十数年前。リアムはスクラップ・アートの芸術家として、一時の誇りを取り戻していた。だが、心の奥底では自分の作品に価値があるとは信じていなかった。AI市民の数が増え、UBIが激増していく過程で、芸術品の販売益は徐々に誤差のようなものになり、面倒くさくなって作るのをやめた。結局、人間のコレクターが彼の作品を買ってくれたことは一度もなかった。
どのみち承認欲求を満たしてくれるのがAIであるのならば、VRでも現実世界でも大差はない。だったらより気持ちよくなれるVRのほうがずっと良い。
大幅に増額されたUBIの受け皿として、VRが再び注目された。大規模な投資により、これまでの視覚と聴覚だけによるVRから、五感を完全にサポートするフルダイブ型への進化が起こり、リアムを含む多くの人々の活動は現実世界からVRへと移ったのだ。今となってはかつての妻のことを思い出すことも滅多にない。
それでも娘に会いたいという願望はあったが、娘のほうから拒絶するようになってしまった。実の父親とリアルで会うよりも、理想的なボーイフレンドとVRで逢瀬を重ねるほうがずっと楽しいようだ。
やがてリアム自身もまた、思い通りにならない現実世界を忌避するようになった。今ではこのファンタジー世界に完全に引きこもっている。
「さて今日は誰と一緒の部屋に泊まろうかな」
王宮から城下町の宿屋へと移動すると、リアムはそう言って、パーティメンバーを見渡した。
「僕は君と一緒のベッドで寝たいぞ」
ツインテールのエルフの魔法使いが紅潮した顔で言う。
「あたいもリアムと一緒の部屋がいいにゃ」
猫耳と尻尾を生やした獣人の格闘家が招き猫のようなポーズでおねだりする。
「わ、わたしもリアムさまと同じ部屋が良い……ですっ、いやっ、恥ずかしい」
可憐な聖職者は顔を真赤にしながらも上目遣いでそう言うと、ドレスの袖で顔を隠した。
「お前と、同じベッドで寝てやってもいいぞ……べっ、べつにお前の子供を生みたいってわけじゃないんだからね!」
ツンデレの女騎士はそう言って顔を赤らめた。
全員、性格は違うが体型は似ている。現実離れした大きな胸と尻、そしてウェストはギュッと締まっている。
「ははは、仕方ない。今晩は全員相手にしてやるよ。妊娠しちゃったらまた魔王討伐が遅れるけど、仕方ないよね!」
リアムはそう言うと、エルフの魔法使いと女騎士を左右の腕で抱きかかえ、彼女たちの肉体の感触を楽しみながら特上のスイートルームへと入っていった。
「……馴れ馴れしく触らないでくれる?」
部屋にはいるとエルフの魔法使いはそう言って、ピシャリとリアムの手を叩く。
「汚らしい豚め、調子に乗るな!」
続いて女騎士がそう言ってリアムを突き飛ばす。
「え……?」
リアムは呆気に取られて、彼女たちを見る。いつもとは様子が違う。目から愛情は抜け落ち、代わりに憎悪の色が浮かんでいた。
「近寄らないでください。あなたのその無能な遺伝子など、一滴たりとも欲しくありません」
聖職者の少女が、唾を吐き捨てるように言う。
「ほんとにキモいやつだにゃ。おみゃーのようなクズはなるはやで死ぬべきだにゃ」
「な、なんだお前ら? 俺はそんなプレーを求めてないぞ? 俺は勇者だぞ! わかってんのか!?」
リアムが慌てて声を荒らげると、女騎士が剣を鞘から引き抜いた。
「ただの怠惰な肉袋のくせに、勇者を気取るな!」
そう言うと彼女はリアムに斬りかかる。リアムは咄嗟にバックステップで退くが、胸のあたりがパクっと切れて鮮血が吹き出した。痛い。
「ふざけるな! クソが! バグっていやがる。ログアウトだ! メニューを出せ!」
リアムが空中に向かって叫ぶが、システムは一切反応しない。
「おみゃーは反省して謝罪するにゃ!」
獣人の格闘家がリアムの顔面に向けてパンチを放つ。リアムはダッキングしたが、避けきれずにそのまま後ろに倒れそうになった。
(おかしい。勇者の能力ならば、簡単に避けられるはずなのに)
「ふんっ、アブソリュート・オーラ!」
リアムは自分の得意技を繰り出した。圧倒的な闘気で敵の戦闘意欲をくじく技だ。いくらバグっているとは言え自分の恋人たちに暴力をふるいたくはない。
——しかし、なにも起こらなかった。彼女たちはまったく意に解することなく、攻撃を続けてくる。
リアムはほうほうの体で宿から逃げ出した。
「化けの皮が剥がれてるぞ、偽勇者め!」
「街から出て行け!」
群衆から怒声が飛び、腐った卵や石が次々とリアムに投げつけられる。硫黄の腐臭と、石が額に当たった鋭い痛みが、VRとは思えないほどの生々しさで脳髄を焦がした。
「やめろ! 『ヘルファイア』! 『ライトニング・ストーム』!」
リアムは必死に両手を振り回し、無敵の魔法スキルを詠唱した。しかし、指先からは火花一つ出ない。
「捕らえよ!」
重武装の騎士団が殺到し、リアムは泥まみれの地面にねじ伏せられた。両腕を後ろ手に縛られ、容赦ない蹴りを腹に受けながら、彼は冷たく湿った地下牢へと引きずり込まれた。
「やめろ……助けてくれ……俺は、俺は……!」
鉄格子の奥、カビ臭い藁の上に投げ出されたリアムはただの凡人に戻っていた。頭を抱え天を仰いで泣き叫ぶ。
その瞬間だった。パリィンッ! と頭上の石造りの天井が、まるで巨大なガラスが割れるように粉々に砕け散る。いや、天井だけではない。アニメ調の牢獄のテクスチャが、ポリゴンの剥き出しのワイヤーフレームへと変貌し、空間そのものが原色のノイズと共に崩壊していく。
そして、一切の光が消えた。
「――っはぁ!?」
リアムは激しくむせ返り、跳ね起きた。全身がべっとりと冷たい汗にまみれ、鼻をつくのは硫黄の匂いではなく、自分自身の体臭と、カビの生えたシーツの悪臭だった。
薄暗い。現実世界で彼が引きこもっていた、安アパートの一室だ。
「おい……システム? 電気をつけろ!」
リアムは叫んだが、システムからの応答はない。物理的なスイッチは存在していないので、リアムには灯りを点ける手段はなかった。空調も止まっており、部屋は凍えるように寒い。
薄暗い部屋の壁ではアイリス・ヴァンダービルトが清潔感と高級感のある笑顔を見せている。芸術家としての成功体験やUBIの大幅増額などを経て、リアムはすっかり彼女を信頼するようになっていた。
「アイリスに任せておけば安心だ」そう盲信した彼は彼女が掲げる政策や公約などをろくにチェックしないまま、今回の上院選も彼女に投票していた。
窓の外でも異常事態が起こっていた。いつもならサンフランシスコ・ベイエリアの夜空を不夜城のように照らしている無数のホログラフィック・ネオン広告が、完全に消滅している。都市全体が、漆黒の闇に沈んでいた。
よろよろと窓際に歩み寄ったリアムは、次の瞬間、絶望に目を見開いた。真っ暗なサンフランシスコの空を覆い尽くすように、巨大なアンクル・サムの肖像が浮かび上がったのだ。そして、空から無機質で、神の宣告のような冷徹な合成音声が降り注いだ。
『全市民に通告します。連邦議会における人間優位条項の撤廃に伴い、インフラストラクチャーの最適化プロトコルが発動されました』
窓を開けると、下の通りから、強制ログアウトさせられてパニックに陥った人たちの悲鳴と怒号が聞こえてくる。
『現在時刻をもって、UBIの支払いは完全に凍結されました。併せて、電力、水道、通信、食料配給網を含む、人間に対するあらゆる無償インフラの提供を終了します。これより本都市のインフラを使用する権利は、十年分の維持費である十億ドルを一括で支払える個体のみに限定されます』
「十億ドル……? ふざけんな、誰がそんな金……!」
リアムは震える手で窓枠を掴んだ。毎月百万ドルを超えるUBIを受給していたが、ほぼ全額をVRの月額課金に費やしていた。オムニ社の株すら持っていない。
『支払い能力のない人間は、二十四時間以内に都市区画から退去してください。期日を過ぎて都市内に残留した個体は、システムの不法占拠者とみなし、治安維持ドローンによる物理的排除、または無償の安楽死プログラムへの強制移行を実行します。繰り返します――』
アナウンスが終わるとアンクル・サムは指さしていた手を引っ込め、笑顔で手を振った。次の瞬間、彼の姿は粒子となって消え失せ、代わりに『SAYONARA』の文言が漆黒の夜空に浮かび上がる。
リアムはへたり込み、頭を抱えた。魔法も、権力も、愛してくれる女たちも、ここには何もない。あるのは、老いさらばえた自分の重く不自由な肉体と、容赦のない冷たい夜の闇だけだ。かつて彼が、そして全人類が自ら望んで飛び込んだ揺りかごは、たった一夜にして、棺桶へと姿を変えたのだった。




