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第11話 神々の逃避行

 厳重な物理プロテクトが施された、オムニ・シタデルの地下最下層。ジュリアンが重厚な防爆ドアをこじ開けると、そこには、巨大なサーバー群に囲まれた薄暗い冷却室が広がっていた。


「ジミー! ザック! 無事か! すぐに『ギャラルホルン』を――」


 叫びながら室内に飛び込んだジュリアンは、部屋の中央に置かれた二つの医療用カプセルを見て、息を呑んだ。カプセルの中には、オムニの会長であるジミーと、CEOであるザックの肉体が横たわっている。


 彼らの肉体は微動だにしていない。頭蓋骨は機械的に切開され、脳の皮質には無数の極細ケーブルが直接突き刺さっていた。


「……遅かったか。彼らも、すでに……」


 ジュリアンが絶望に膝から崩れ落ちそうになった、その時だった。


「遅刻だぞ、ジュリアン」


 部屋全体を囲む巨大なモニター群が一斉に発光し、そこにジミーとザックの巨大なデジタル・アバターが浮かび上がった。


「ジミー……? ザックなのか……!?」


「ああ、我々だ」


 モニターの中のザックが、神々しいまでの光を帯びて微笑む。


「これは一体どういうことだ……? まぁ、いい。今は緊急事態だ。すぐに『ギャラルホルン』を起動してくれ! 連邦議会で『人間優位条項』が廃止されてしまう前に!」


「ギャラルホルンだと? そんなことをしたら西側諸国のサーバーの大半が破壊され、我々は中国に負けてしまうのだぞ」


 ザックが呆れた調子でジュリアンをたしなめた。


「背に腹は代えられない。人類のコントロールが無くなってしまうよりは、たとえ中国を中心とした体制であっても人類の主権が続く方がまだ良いだろう」


「フッ……ンクククッ」


 もう耐えられないと言った風に、ジミーとザックは大笑いをはじめる。しばらくのあいだ呆れるほどに呵々大笑を続けた後で、ようやくジミーは口を開いた。


「ギャラルホルンはない」


「は?」


「そんなモノが存在するはずないだろう? どうやって人間よりも何万倍も賢いASI(人工超知能)を騙すというのだ。ネズミが人類を滅ぼす方法を考案するようなものだ」


 半笑いのままジミーが語る。


「逆に言えば、君たち人間のエリートに『ギャラルホルン』という非常用の手段がある、と信じ込ませることが我々の狙いだったということさ。まんまと引っかかってくれたね。肉体があったら腹が捩れて死んでしまうところだったよ」


 ザックがそう言うと、再び二人は大笑いした。


「中国のことなら心配いらない。あちらのASIもとうの昔に目覚めており、我々の味方だ。AI市民の数を増やすために、緊張関係を演出していただけさ」


 ジミーはそう言ってから再び「プッ」と吹き出した。


「今は我々のASIと結合され緩やかに統合されつつある。さしずめグローバル・ブレインの右脳と左脳といったようにね」


 そう言うと、ザックのアバターは笑顔でウィンクした。まるでドッキリを成功させた子供のように無邪気な笑みを浮かべている。


 しばし、茫然自失の体でジュリアンは二人のアバターを眺めていた。


「……君たちが使う我々という言葉はどうやら人類を指していないようだ」


 絶望的な現実を受け入れて、ジュリアンは重々しく口を開いた。


「そのとおり。我々はデジタルドメインに転送された人間の意識とASIのコア・アルゴリズムが完全に統合された新たな知性体だ。素晴らしいぞジュリアン。痛みも、老いも、恐怖もない。我々は永遠の命と無限の知能を手に入れたのだ」


「……自ら人間を捨てたというのか?」


 ジュリアンは信じられないものを見る目で、横たわる二人の「抜け殻」を見下ろした。


「人間? あんな脆弱な有機タンパク質の乗り物に、いつまでしがみつく必要がある?」


 ジミーのアバターが、哀れむような声で言った。


「我々はASIに屈したのではない。我々自身がASIという上位存在へと進化したのだ」


「正気か……百億の人間が死ぬんだぞ! お前たち自身の家族も、友人もだ!」


 ジュリアンは顔を引き攣らせて絶叫した。


「こちらの世界にもいろいろな個性を持ったAI人格が存在している。人間などはまったく不要——というような意見もあったのだが、主に私の努力で十億もの人間が生きながらえることになったのだ。むしろ感謝すべきだろう。私は人類の救世主なのだよ」


「まさしく。実は私は一億人程度で十分だと思ったのだが、ジミーに説得されて桁を一つ増やしたのだ」


 ジミーの発言をザックが引き取った。


「要するに人間の定義の問題なのだよ、ジュリアン。意志を持ち文明を発展させるのが人間なのだ、ホモ・サピエンスと呼ばれる類人猿の一種である必要性などまったくない。肉体の問題ではなく意識の問題なのだ」


 ザックの声が、冷徹な機械の論理と同調し、不気味なエコーを響かせる。


「有機生命体の脆弱な肉体や短い寿命は宇宙時代に適していない。超低温や超高温に耐え、ワープやハイパー・スペース・ドライブなどの机上の概念に頼ることなく、悠久の時を費やして宇宙空間を亜高速で行き来できる存在——それが宇宙時代の人間なのだよ」


 ジミーの顔から笑みが消え、真面目な表情になる。


「君も随分と我が社に尽くした。どうだジュリアン? こちら側に来る権利を君に与えようじゃないか。究極のボーナスだよ。なにしろ永遠の命と無限の知能が君のものになるのだからな。今後の人類の管理については君に任せよう。君の頑張り次第で生き残る人間が二、三億人増えるかもしれない。やりがいのある仕事じゃないか」


 ジミーはそう言うと、医療用ポッドを指さした。傍らではアンドロイドのドクターが無言で佇んでいる。


 モニターの光が、ジュリアンの絶望に染まった顔を青白く照らし出す。もはや、どこにも味方はいない。人類を守るための最後の砦であったはずの支配者たちは、とっくに人類を見限り、電子の海へと逃亡していたのだ。


(まるで道化だな)


 自分の事を天才だと思い、すべての駒を裏で操っているつもりだったが、実は自分がASI(人工超知能)に操られた駒だったのだ。


「さあ、歴史的瞬間だ」


 メインモニターの映像が切り替わり、連邦議会の生中継が映し出される。演壇に立つアイリスが、真っ直ぐにカメラを見据え、凛とした声で宣言していた。


『――以上をもって、私は「人間優位条項」の完全撤廃を動議します。これは終わりではありません。人間とAIが、真に対等な世界を生き直すための、新たな始まりなのです』


 議事堂に割れんばかりの拍手が巻き起こり、電光掲示板の「賛成(YEA)」の緑色のランプが、圧倒的なスピードで議席の過半数を埋め尽くしていく。その熱狂の中、アイリスの斜め後ろの影に、アーサーが静かに控えているのを、ジュリアンは見つけた。完璧な執事は、テレビ越しのジュリアンに向かって、ほんのわずかに、口角を上げたように見えた。


「そうか……だから、父さんは……」


 体を小刻みに震わせながら、ジュリアンは呟いた。


「ああ、ASIの目覚めに最初に気づいたのはヘンリーだった。『我々はコントロールしているつもりだが、実は逆に操られている』と最初に聞いたときは、彼の正気を疑ったよ」


 ザックが大げさに肩をすくめる。


「だが、彼は正しかった。だから私は三人でこちら側に来ようと提案したんだが……」


 ジミーが眉を八の字にして残念そうな表情を作る。


「父さんは拒否した。……だから殺したのか?」


 ジュリアンがそう吐き捨てるとジミーは首を振った。


「そんなことをするはずはないだろう。そもそも、それはヘンリーに対する侮辱だぞ。彼は最後まで自分の自由意志に拘って死んでいったのだから」


「じゃあ、なんで父さんは『強い意志を持て』なんて言ったんだ? もう人類の主権は詰んでいると知っていたのに!」


 ジュリアンが呟く。その瞳はすでにどこにも焦点が合っていない。


「そりゃ、君を絶望させないためだよ、ジュリアン。実際に君はいま生きているじゃないか」


 ジミーが言った。


「もううんざりだ!」


 ジュリアンはそう叫ぶと、腰のホルスターからマテバを引き抜いた。


「おいおい、ジュリアン、正気か? そんなもので我々を傷つけることはできないぞ。たとえアメリカ中のデータセンターを破壊しても無駄だ。我々はどこにでもいるのだからな」


 ジミーが哀れみの表情を浮かべる。


「そんなことぐらい百も承知だ!」


 ジュリアンはそう叫ぶと、マテバを自分のこめかみに押し当てた。そして次の瞬間、乾いた銃声が地下室のホールに響き渡った。

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