第九話「溺死」(2)
「なんとか言ってみろよ村長! 誰がマンタを殺したってんだよ!」
トウリが怒りを叫びながら拳を振り上げる。
誰もが、トウリの鉄拳が村長に炸裂すると思った、その時。
「――おいトウリ。俺は落ち着けって言ったぞ」
静かに、しかし確かな威圧を込めた言葉と共に、トーマがトウリの手首を捻り上げていた。
「イデ!? イデデデデデテ! くそっ! 放せ……! くっ、びくともしねぇ!」
必死に抵抗するトウリだった、その言葉通りびくともしない。驚くべき力だった。
腕力では全く敵わないと悟ったのか、トウリは村長の胸倉を掴んでいた手をそっと放した。
「ちっ! これでいいんだろう? いい加減離してくれよ、トーマさん。俺が悪かったよ!」
「……わかりゃいいんだよ」
険悪なムードを残しながらも、トーマもトウリの手首をそっと離した。
トウリの手首には、痣のように赤黒い跡が付いてしまっていた。
「――ええと、盛り上がってるところ悪いけど、いいかな?」
剣呑な雰囲気にタジタジになりながら、リカルドが発言の許可を求めるように手を挙げた。
「マンタのことだけど、多分事故……だと思うよ」
「へぇ。リカルドさん、適当こいてないですよね?」
「もちろん。トウリ、他の人も聞いてほしい。そもそも、僕と村長がマンタの遺体や、その他諸々を発見したのは、ある村の人の証言からなんだ。……村長、僕の口から説明しても?」
「もちろん、かまわん」
トウリに乱された襟元を整えながら、村長が首肯する。
「では――。鳥居の近くに住んでいるおばあさんを診察した時にね、こんな話をしていたんだよ。『今朝方、桟橋の方で何か大きなものが水の中に落ちる音がした』って。もしかしたら誰か湖に落ちたんじゃないかって、大変心配しててね。それで、僕と村長で確認しに行ったんだよ。そしたら――」
「マンタの遺体が浮かんでたって訳か?」
「うん。マンタの遺体と、その小舟が浮いてたんだよ。で、小舟の上にはゴサクさんの遺体があった。ここまではいいかい?」
リカルドが、その場の全員に同意を求めるように一同を見回す。
口を挟む者がいないことを確認すると、リカルドは話を続けた。
「浮いてたのは、その二つだけじゃない。これも桟橋の近くに浮いてたんだ」
リカルドが地面に置いてあった棒状の物を拾い上げる。
それは、長い木の棒の先にカギ爪状の金具が付いたものだった。何に使うものかは分からないが、明らかに人造の道具だ。
「多分だけど、マンタは偶然に小舟を発見して、そこにゴサクさんの遺体が乗っかっていることに気付いた。それで、桟橋まで引き寄せる為に、このカギ爪棒をひっかけようとして……誤って湖に落ちたんじゃないかな」
「なるほど。あり得ない話じゃないが、ちょっと無理がないか? 湖に落ちたくらいで溺死するもんじゃないだろ」
「……普通の湖ならね。トーマ、僕らがこの村へやってきた時、舟の上で村長に言われたことを忘れたのかい」
「村長に言われたこと?」
リカルドの言葉に、トーマは最早遠くなってしまった記憶を呼び覚まそうとした。
あの時、村長は一体何と言っていたか。
そう、確か――。
『この湖は、オオカミさまの縄張りだ。生き物は殆どいないし、万が一水の中に落ちれば、命の保証は出来かねる。気を付けていただきたい』
こんな言葉だったはずだ。
「……水の中に落ちれば、命の保証は出来ない、だっけ?」
「そうだね。確か、そんな意味の言葉だった。あの時の僕は、ただ単に厳しめに注意されただけだと思ったんだけど……村長。もしかしなくても、この湖は泳げないんですよね?」
「無論だ。湖の中に落ちれば、オオカミさまの領域を汚した罰として、息絶えるまで水底に引っ張られる。村の者で、生身で湖に入ろう等と思う者はない」
「はっ? 湖は湖だろ? 泳げないなんて訳が――」
村長の言葉を信じられず、トーマは村人達に同意を求めるように視線を向けた。
だが、帰ってきたのは奇異の視線。「トーマは何を言っているんだ?」という、哀れみにも似た眼差しばかりだった。
「……マジで泳げないの? この湖」
「村の者で、湖に入ろうなんて馬鹿はいねぇよ。……だがまあ、確かにマンタの野郎は粗忽者だったからな、ドジって湖に落ちるくらいは……するかもしれない」
トーマに頷きつつ、トウリが毒づくように呟いた。
どうやら、彼の中のマンタなら、リカルドが推測した通りの顛末をたどってしまうらしい。
「くそっ! マンタの奴、俺を呼んでくれれば……なんで、一人でやろうとしたんだよ!」
トウリの嘆きに答えられる者は、誰もいなかった。
***
結局、マンタの死は「事故」ということで片が付いた。
だが、何故ゴサクの遺体が樹上から舟の上へと移動したのか、何故消えたはずの人形が「はやにえ」として戻ってきたのか、その二つの謎は解けぬままだ。
ゴサクとマンタの遺体は山の中にある神社へと運び込まれた。なんでも、神社の中に数日間安置し、その後に村を挙げて葬儀を行うのだという。
リカルドは死体が傷みはしないかと心配したのだが、村人達が言うには「神社の中はオオカミさまのご加護があるから大丈夫」なのだそうだ。
眉唾すぎる話だが、村の慣習なのだから、トーマ達に言えることは何もなかった。
――立て続けに起きた仲間の死に、大神村の人々は動揺を隠せなかった。
老人達は家に引きこもり、オオカミさまへの祈りに忙しい。
それ以外の者は気を紛らわすように日々の営みを黙々とこなし、誰もが無口になっていた。
そして、その日の夜。
トウリがふらりと、トーマ達の逗留する離れを訪ねてきた。
「よ、お邪魔するぜ。ちぃと話に来た」
「……今日は、お前んちに行かなくていいのか?」
「ああ。この間も結局、村長にはバレバレだったんだろ? それで、ホタルが無駄に叩かれたって聞いたぜ。だったらもう、堂々とここで話しちまった方がいいさ」
大胆なのか無謀なのか、トウリは二人の返事も待たずに離れに上がり込むと、ドカンと豪快に胡坐をかいた。
仕方なく、トーマとリカルドも彼と向かい合うように座りなおす。
ナビは念の為、離れの外を警戒する為に、木戸の近くで待機した。
「さて……まずはトーマさん、昼間は悪かった。あそこで村長をぶん殴ってたら、俺の立場がなくなってるところだったよ。止めてくれてありがとよ」
「いや、いいよ。気にしてねぇから。それで、話ってのは、なんだ?」
「言うまでもなく、マンタのことよ――二人はよ、本当にマンタが下手打って、自分で湖に落ちたと思うのかい?」
「はぁ? お前だって、昼間は納得してたじゃないか」
「いやいや、あれはフリだよ、トーマさん」
「フ、フリ!?」
トーマが思わず素っ頓狂な声を上げる。
昼間のトウリは、どう見てもリカルドの説を受け入れているように見えた。だが、あれは演技だったのだという。
どうやら、この青年はトーマが思うよりもずっと腹芸が出来るらしい。
「もちろん、リカルドさんの説も完全には否定出来ねぇ。でもな、俺は思うんだ。……マンタは、《《何か都合の悪いものを見ちまって口封じされたんじゃねぇか》》ってよ」
「都合の悪いもの?」
「ほれ、あるじゃねぇか、ズバリそのものがよ。ゴサクさんの遺体と人形を入れ替えた現場、とかよ」
「あ、なるほど」
トーマが感心したように頷く。あれだけ興奮していたのに、トウリはあの場で、それだけのことを考えていたらしい。大したものだった。
「そうか。トウリはあの場に『犯人』がいるかもしれないと思ったんだね? だから、事故説に納得するフリをしてみせた」
「おうよ。……この際はっきり言っちまうと、俺は村長が臭ぇと思ってる。何か機械でも使ってゴサクさんの遺体をどうにかしようとしてるところを、マンタに見付かって口を封じたんじゃないかってよ」
「確かに、あり得ない仮説ではないね。……もっとも、村長がわざわざ人目を忍んでゴサクさんの遺体を回収する理由が分からないし、マンタを殺すまでのことなのかどうか疑問だけど」
「そいつぁ、あれだよ。いつの間にかゴサクさんの遺体と人形が入れ替わってて、『これぞオオカミさまの起こした奇跡!』とかフカシたかったんじゃねぇか?」
なるほど、確かに道理は通っている。それが真実かどうかは置いとくとしても、トウリの推理には一理あった。
村長のことを積極的に疑いたい訳ではないが、彼に隠し事が多いのも事実だ。
見当たらない発電施設。
隠された下水処理施設。
謎めいたオオカミさまの「神話」。
それらの中に、一連の事件の謎を解くヒントがあるのかもしれない。
「ってことでよ。二人には、村長の監視を頼みたいんだよ」




