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気づいたのと同時に、影がこちらへ踏み込んできた。
私は反射で身を沈める。
細い銀の線が、さっきまで私の喉があった高さを音もなく薙いだ。遅れて、ひやりとした風が通った。
「ひぇ……」
目の前にいたのは、人ではなかった。
鎧を着ている。いや、着ていた、のほうが近い。肩当ては割れ、胸甲はひしゃげ、隙間から覗く体は皮膚を失って、骨に貼りついた革みたいに乾いていた。顔は半分崩れている。目のあるはずの窪みだけが、青白く光っていた。
片手には細身の剣。
もう片方の腕は肘から先がなく、代わりに黒い鎖が巻きついている。
『墓守ね』
ベルザリアが言った。
その声は、低く沈んでいた。
『封印に近づいたものを片付ける番人よ。祠の掃除係ね』
「掃除係は剣なんて持たないと思う」
『そういう意味の掃除係じゃないわ。馬鹿ね』
「分かってるよ、もう!」
文句を続けて言いたかった。でも、墓守は待ってくれなかった。
次の瞬間には、また剣が来ていた。
速い。
私は咄嗟に身をひねる。剣先が胸元をかすめた。もしまともに受けていたら、たぶん横に割れていた。
『焼きなさい』
「言われなくても!」
私は右手を振った。
赤い線が飛ぶ。墓守はそれを避けなかった。胸の中央に当たり、鎧の隙間がじゅっと焦げる。けれど倒れない。代わりに、焦げた奥から赤い紋が一瞬だけ浮かび上がった。
「効いてない!」
『効いてるわよ。浅いだけで』
墓守の剣が三度、来る。
今度は横じゃない。まっすぐ、私の喉を突きにくる。私は大きく下がって、距離を取った。
墓守は迷わず追ってきた。
剣の先だけが、青白い闇の中で細く光っている。
私は次の回避のため、体を低くした。
その拍子に、さっき拾った丸い金属片が服の内側からころりと転がり出た。
その瞬間だった。
墓守の動きが、止まった。
「……え」
剣先が宙で揺れる。青白い眼窩が、床の金属片へ向いた。
私はその隙を逃さなかった。
熱を右手へ流し込む。今度は線じゃなく、拳へ集めるイメージで。
『そう、それよ』
ベルザリアの声が近づいた。
『一点に集中なさい』
私は拳を握り、そのまま墓守の胸へ叩き込んだ。
赤い火花が爆ぜる。
鎧の中央で、さっき見えた紋が今度ははっきりと浮かび、ひび割れた。墓守の体が後ろへ吹き飛ぶ。石壁へ背中から叩きつけられ、古い鎧が鈍い音を立てた。
でも、まだ立ち上がる。
「しぶとい!」
『墓守だもの。簡単に壊れたら困るでしょう』
墓守は起き上がる前に、ぎこりと首を鳴らした。
青白い眼窩が、また私ではなく金属片へ向く。
私は急いでそれを拾った。
手のひらに収まる、小さな円盤。表の紋様は擦れて見えにくいけれど、裏に浅い刻みがある。円と線を重ねた、祠の壁と似た形だ。
『ああ』
ベルザリアが短く息を吐いた。
『通行書ね』
「通行書?」
『祠を作った側が使うものよ。全部じゃないけれど、門や墓守が反応するの』
墓守が剣を構え直す。
私は咄嗟に金属片をそっちへ向けた。
すると、ぴたりと止まった。
青白い光が揺れる。剣先がわずかに下がる。敵意が消えたわけではない。でも、今すぐ斬りかかる動きではなくなった。
「反応してる……?」
『完全な命令権じゃないわ。けれど、認識を鈍らせる程度には効果があるようね』
拾っておいてよかった。
私は金属片を左手に握ったまま、右手へまた熱を集めた。
墓守の核は胸だろう。さっきひびを入れた紋のところ。あそこをもう一度、今度は確実に叩き割る。
墓守が一歩踏み出す。
迷いがあった。
いまなら行ける。
私は地面を蹴った。
自分でも信じられないくらい軽く体が前へ飛ぶ。墓守の剣が遅れて振られた。でも、その軌道が見える。私は身を捻って避け、そのまま胸元へ右手を突き立てた。
赤い亀裂が、墓守の胸から走った。
鎧の下の紋が砕ける。青白い眼窩の光が、ぶつりと消えた。次の瞬間、乾いた体が糸の切れた人形みたいに崩れ落ちる。膝から落ち、剣が高い音を立てて転がった。
静かになった。
右手の熱はまだ残っている。左手の通行書は、汗ばむみたいにじっとり冷たい。
『……ほんとうに雑ね』
ベルザリアが呆れたように言った。
「勝てたんだからいいでしょ」
『苦戦しすぎよ。私なら一撃だったわ』
「うるさいなぁ」
『事実だもの』
ベルザリアと言い合いながら、墓守の残骸へ近づいた。
崩れた胸甲の下には、焼け焦げた小さな赤石が埋まっていた。核だろうか。その周りに巻かれていた黒い鎖は、ベルザリアを繋いでいたものとどこか似ている。
嫌な気分になって、私はすぐ目を逸らした。
そのとき、墓守が出てきた暗がりの奥で、何かが軋む音がした。
石扉だった。
さっきまで壁にしか見えなかった場所が、ゆっくりと横へずれていく。通行書に反応したのか、墓守が倒れたからか、それはわからない。けれど、細い隙間の向こうから、さっきまでより暖かい空気が流れてきた。
『ほら』
ベルザリアが偉そうに言った。
『拾っておいて正解だったでしょう』
「ベルザリアは拾うことに反対してなかった!?」
『何を言っているのよ。私は初めからそれが通行書だと分かっていたわよ』
その傲慢さに、笑いそうになった。
私は通行書を握り直し、開いた隙間を見た。まだ先は暗い。けれど、行き止まりじゃない。それだけで、胸の奥が軽くなる。
私は墓守の剣を拾い上げた。
思ったより軽い。細い刀身の根元に、さっきの紋と同じ刻印がある。使えるかどうかはわからない。でも、素手よりはましだ。
「行くよ」
『ええ』
「次は、もっと弱い敵がいいなぁ」
『私に祈れば叶うよう、前向きに善処するわ』
私は広間を振り返らず、開いた石扉の奥へ足を踏み入れた。
その先の闇は、少しだけ明るく見えた。




