6
闇の奥へ進むほど、空気はひどく冷えていった。
息を吸うたび、肺の奥まで石の冷たさが入り込んでくる。湿っているのに、長いあいだ空気だけが淀んでいたような古さがあった。
歩きながら、自分の右手を何度も見た。爪の先にはまだ熱が燻っている気がする。
「……あれ、何だったの」
『何って?』
「さっきの赤いの」
『あれは私の力よ』
それだけ言ってベルザリアは黙った。
「……もしかして説明する気ない感じ?」
『答えてもらえるだけ、ありがたく思いなさい』
なんて偉そうなんだろう。
でも、頭の中でベルザリアが喋っているあいだは、完全に一人きりじゃない。孤独感は薄れていた。
通路はしばらく真っ直ぐ続いていたが、やがて不意に開けた。
私は思わず足を止める。
ここは、神殿の中みたいな場所だった。
広く、天井は高く、ところどころ崩れているのに、それでも圧がある。太い石柱が何本も並んでいて、その半分は折れ、他半分はひびを走らせながら立ち続けていた。床には砕けた石像の腕や頭が転がり、奥へ向かって石段が伸びている。
壁の意匠は磨耗して見えにくいけれど、円と線を重ねた紋が何層も刻まれている。ただの飾りじゃない。意味がある形だとわかった。
「なに、ここ凄い」
『祠ね』
ベルザリアが淡々と言った。
「祠って、神様を祀るやつ?」
『そう。神を閉じ込めておくには、それなりの体裁が必要なのよ』
その言い方はあまりにも他人事で、興味が一切ないように感じられた。
『閉じ込めたものが漏れないように、近づいたものが、生きて帰れないように。そういう綺麗な言い訳を石で固めた場所がここよ』
広間を吹き抜ける冷たい風が、急に別のものに思えてくる。ここはただ古びた地下遺跡なんかじゃない。最初から誰かを閉じ込めるために作られた場所なのだ。
「……すごく嫌な場所だね」
『ええ。あいつは昔からこういうのを創るのだけは上手いの』
ベルザリアは呆れたように言った。
石段はまっすぐ上へ続いていた。けれど途中で崩れている。折れた柱が斜めに倒れ込んで、先へ道を作っていた。伝っていけば進めそうだ。
けれど、一歩間違えれば下へ転がり落ちる。
私は折れた柱の手前でしゃがみ込んだ。
『ここから上へ行きなさい』
ベルザリアが言った。
『出れば、迷宮の通路に繋がるわ。あいつならそう造る』
「外に出られる?」
『知らないわ』
「知らないの?」
『私はしばらく出ていないもの』
それもそうか、と納得する。封じられていた人に案内を期待するほうが間違っている。
『でも、そのうち出口には繋がるでしょうね』
その一言だけで十分だった。
こんな地下の底みたいな場所にも、人工物がある。だったらどこかに、外へ続く道があるはずだ。
私は折れた柱へ足をかけた。
ゆっくり慎重に柱を渡る。ベルザリアの体はよく動くけれど、油断はできない。
途中、折れた柱の真ん中に、何か白いものが見えた。
布だ。
その下に骨があった。柱にぶら下がったまま、乾ききった人骨が崩れず残っている。腕の骨のそばに、金具が散っていた。鎧かなにかだったのだろう。
「ここまで来た人、いるんだ」
『ええ。でも、運はそこで尽きたみたいね』
ベルザリアはあっさりしていた。
私はその骨を見つめた。
「……この人、私みたいに急にここに来たわけじゃないんだよね」
『見る限り冒険者かなにかでしょう』
そういう人間がいる世界なんだと、納得するよりも前に、異世界に来てしまったことを嫌でも思い知らされる。
気を紛らわせるためバランスを取りながら、骨を観察し続けていると、手のひらに乗るほどの丸い金属片が、引っかかっているのが見えた。手を伸ばして拾い上げる。錆びているけれど、完全には朽ちていない。表面に、小さな紋が刻まれていた。
「これ、なんだろう」
『捨てなさい』
ベルザリアが即座に言った。
「なんでさ」
『死体のそばのものなんて、だいたい碌でもないからよ』
「でも、使えるかもしれないし」
『その発想が小娘なのよね』
私は少し迷ってから、それを服の内側へしまった。ベルザリアが頭の中で嫌そうに息を吐く。
『あとで後悔しても知らないわよ』
「もうだいぶしてるから、今さら」
『私は忠告したわよ』
折れた柱をつたい終えて、石段をさらに上ると、細い通路が続いていた。崩落した瓦礫が道を作り、その両脇に砕けた神像の破片が積もっている。顔のない像。折れた腕。潰れた冠。どれも人を模した形なのに、冷たく見えた。
そのとき、奥でなにかの音がした。
さっきのスライムみたいに這う音じゃない。
もっと乾いている。
石を打つ、細い足音。
私は足を止めた。
暗がりの向こうで、何かが一瞬光る。
目じゃない。
刃だ。




