↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/61

59

 行くと決めたら、体がようやく動いた。


 何をすればいいのかは、まだわからない。ノエティアを止める方法も、あの子を元に戻す方法も、ミラの中に混じった私の何かが、この先どうなるのかも、何ひとつはっきりしていない。


 それでも、座ったままでは何も変わらない。


 私は立ち上がった。


「とりあえずミラに、しょっぱいものを買う」


 イリスが瞬きをした。


「今からですか」


「うん。約束したから」


『律儀ね』


 保護塔の受付で特別滞在札を見せると、職員は札を確認し、外出時刻を帳面に記した。


 保護塔を出ると、昼前の光が白い街を照らしていた。朝より人通りは増えている。水路のそばで子どもが板に文字を書き、向かいの薬店では人々が小瓶を箱に詰めていた。


 全部がいつも通りに動いている。

 その中で、私たちだけが置いていかれている気がした。


 パン屋の前には、昨日と同じようにミラの母親が立っていた。私たちに気づくと、向こうから頭を下げた。


「これから見舞いかい」


「はい」


「なら、これを持っていっておくれ」


 差し出された紙袋の中には、小さなパンがいくつか入っていた。


「あの子、パンが好きだからね。今朝焼いたやつだよ」


「ありがとうございます」


 袋を受け取る。温かくはない。でも、匂いはちゃんと残っていた。


 それから、通りの端にある保存食店へ寄った。白い木枠の奥、硝子戸の内側に、燻製や干し肉がと並んでいる。前に来たときは昼前にはほとんど空になっていた棚に、今日はまだいくつか残っていた。


 迷って、私が一番好きなものを選ぶ。


「それ、かなり噛みごたえあるよ」


 店の男が言った。


「たぶん、そのほうがいいので」


「自分用じゃないの?」


「お見舞い用です」


 男は眉を上げた。


「変わった見舞いだ」


「私もそう思います」


 包んでもらう前に、特別滞在札を出した。


「これでお願いします」


 男は札を見ると、慣れた様子で頷いた。


「ああ、特別滞在札ね。保護塔付けで通しておくよ」


 ノエティアの眠そうな顔が頭に浮かんだ。


「じゃあ、同じものをもう少しください」


 イリスがこちらを見る。


「マイさん?」


『小さい仕返しね』


「小さくていいの」


 男は不思議そうな顔をしながらも、干し肉をいくつか追加で包んでくれた。


 重くなった包みを抱えながら、治療院までゆっくりと向かった。


「ミラの面会に来ました」


 受付でそう言うと、女性は帳面を確認した。


「短時間なら可能です。ただし、患者さんを不安にさせる話題は避けてください」


「気をつけます」


 案内されたのは、昨日までとは違う小さな個室だった。壁には青い文字の輪がゆっくり回っている。


 ミラは寝台に腰かけていた。


 足首に巻かれていた布はもう外れていた。両足を床につけて、こっちを向いている。顔色もいい。いいというより、良すぎた。


「マイ、イリス」


 ミラが笑った。


「来たよ。約束したから」


「嬉しいなぁ」


 ミラらしい顔を見て、少しだけ安心する。


「これ、ミラのお母さんから」


 パンの袋を渡すと、ミラの顔が明るくなった。


「うちのパンだ」


「食べられそう?」


「うん。あとで食べる」


 次に干し肉の包みを出すと、ミラの目がさらに輝いた。


「これだ!」


「食べたいだろうと思って」


 ミラは受け取ると、私がよく知っている顔になった。


「なんか、すごく嬉しい。変だね。ちょっと前ならパンのほうが嬉しかったのに」


「……変じゃないよ」


 言いながら、追加の包みも机に置くと、ミラが目を丸くした。


「なんか多くない?」


「ちょっとした仕返しなんだ」


「仕返し?」


「特別滞在札で買ったんだ。ノエティアにいっぱい払わせてやろうと思って」


 ミラは干し肉の包みと私の顔を交互に見た。


「それ、たぶん大賢者様のお金じゃなくて、神領の管理費から出るやつだよ」


「管理費?」


「うん。税みたいなものじゃないかな」


 手が止まった。


「待って。じゃあ、これ、街の人のお金から?」


「たぶんね」


 ノエティアへの仕返しのつもりだった包みが、想像以上に重くなった。


『小さい仕返しのつもりが、失敗しているわね』


「うるさい」


 小声で返すと、ミラが首を傾げた。


 誤魔化すように干し肉の包みを開ける。


「食べようか。もう買っちゃったし」


「うん。貰っちゃったし」


 ミラは頷いた。

 イリスにも渡して三人並んで干し肉をかじる。ミラは目を細めた。


「おいしいね」


 その言い方に、胸が痛くなった。


「それで足の調子はどう?」


 訊くと、ミラは自分の足首を見下ろした。


「ほとんど平気。さっき歩かされたよ」


「もう治ったんだね」


「うん。流石に早すぎると思うけどね」


 笑いながら言っているのに、どこか違和感が拭えない表情だった。


「あと、治ってはいるけれどしばらくは、退院できないみたいなんだ。変な感じ」


 予想はしていた。ミラはおそらく実験の観察対象とされている。


「それにね、昨日から頭の中に知らない部屋みたいなのがあるの」


「部屋?」


「扉は開かないんだけど、向こうに誰かいる気がするんだ。怖いってほどじゃないけど」


 ベルザリアが黙った。

 イリスも何も言わない。


「その誰かってどんな人なの」


「わかんない。ただ、気配だけあるんだ。あ、でもさっき干し肉を見たら、向こうがちょっと騒いだ気がしたかも」


 言葉を探した。


 そのとき、扉の向こうで足音が止まった。


 治療衣の人の足取りじゃない。もう少し軽くて、でも迷いのない音。


 扉が開く。


 入ってきたのは、見覚えのある人だった。


 黒いセーラー服。

 黒い髪。

 私の顔。


 ノエティアに一号と呼ばれた子だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。