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「まずは干し肉、探そう」
「干し肉ですか」
「次ミラに会うとき、持っていきたいし」
治療院を離れて通りを二本ほど曲がると、保存食を扱う店があった。白い木枠にはめ込まれた硝子戸の向こうに、燻製魚や腸詰め、豆の瓶詰めがきっちり並んでいた。
「すみません。干し肉ってありますか」
帳面をつけていた店主が顔を上げた。
「今日はもうないよ」
「え」
思わず声が漏れた。
「なくなるの、早いですね」
店主は、空になった棚を顎で示した。
「朝からやけに売れたんだ。硬い肉はないか、噛めるやつはないかって、みんな似たようなことを言ってね。こんな時間になくなるのは珍しいよ」
イリスの指先が、私の袖にそっと触れる。
「干し肉だけが売り切れたんですか」
イリスが訊くと、店主は肩をすくめた。
「そうなんだよ。他のものなら、まだたくさんあるぞ。買うかい」
「いえ、大丈夫です」
私はそれだけ返した。
店を出ると、イリスが小さく息を吐いた。
「干し肉、人気があるんですね」
「そうみたいだね」
「偶然でしょうか」
「……わからない」
けれど、放っておいていい気はしなかった。
念のため、もう一軒、保存食を置いていそうな店に寄った。そこにも干し肉はなかった。店の人は客が、昨日から急に増えたと言った。
ミラだけじゃない。
そう考えた瞬間、白い街の整った景色が、急に落ち着かないものに見えた。
「今日はもう戻ろう」
私が言うと、イリスはすぐに頷いた。
「はい」
「変な顔のまま歩いてても、答えは出ないだろうし」
そう言うと、イリスがこちらを覗き込んだ。
「変な顔をして歩いていたんですか」
「たぶん今日の私は、ずっと変な顔してる」
「言われてみれば、たしかにです」
「イーリースー!」
イリスのおかげで、張りつめていたものが少しだけ緩んだ。
そのあとも、道すがら街を見た。
白い道も、青い水路も、整った店先も、何も変わってはいなかった。
保護塔へ戻るころには、夕方になっていた。
部屋へ戻ると、ちょうど夕食が運ばれてきた。蓋つきの器には温かいスープが入り、皿にはパンと焼いた肉が載っている。私は隣の扉を軽く叩いた。
「イリス、一緒に食べよう」
「はい」
すぐに返事があった。
イリスは自分の夕食を持って、私の部屋へやってきた。机を挟んで向かい合う。
私は肉を切って口へ運んだ。温かさも、舌に残る脂も、ちゃんとわかる。それでも胸の奥につかえたものだけは、なくならなかった。
『そんな顔で食べたら、美味しくないわよ』
ベルザリアが言った。
「まだ変な顔してたかなぁ」
『あなたはいつも変な顔よ』
「ベルザリアの顔でもあるんだよ」
『そういえば、そうだったわ』
私が一人で言い返しているのを見て、イリスが笑った。
「私もベルザリア様とお話ししてみたいです。マイさんみたいに、楽しくて優しそうです」
「やめといたほうがいいよ。この子、すっごく性格悪いもん」
『イリスは見る目があるわ。そうだ、私の庇護下に入らないかしら。毎日一緒に暴れましょう。楽しいわよ』
「変な勧誘しないでよね」
イリスは、また小さく笑った。
そのあとは食べることに集中した。スープの湯気が上がり、ときどき食器の触れ合う音がする。
「明日、ノエティア様の解析が終わる日ですね」
イリスが言った。
「うん。何か分かるかもしれないけど、会うのは気が重いよ」
「……怖いです」
「私も」
ノエティアが何を考えているのか、私にはまるで分からない。それが怖かった。
「でも、行くしかない」
「はい」
イリスは頷き、パンをちぎった。
「そのあと、ミラのところにまた行こう」
「はい。干し肉は、ありませんでしたけど」
「別のものを持っていこう。お魚とか」
「いいですね」
食事を終えるころには、窓の外は暗くなっていた。白い塔の窓に灯りが並び、水路の青だけが夜の底をゆっくり流れていた。
机の上には空の皿と、言葉にならないものだけが残った。
イリスが自分の食器を持って立ち上がる。
「おやすみなさい、マイさん」
「おやすみ。歯はしっかり磨くんだよ。あと、一人で寂しかったら言ってね」
「ふふっ。そのときは頼らせてもらいます」
扉は閉めなかった。向こうの部屋にイリスの気配を感じるだけで、妙に安心できた。
私は寝台に入っても、なかなか眠れなかった。
ミラは、明日には立てるかもしれないと言われていた。
それは、いいことのはずだ。
折れた骨が早くつながり、痛みが引いて、寝台から起き上がれるようになったなら。また、パン屋に戻れたなら。
けれど、ミラは柔らかい白パンより、硬い肉を欲しがった。
保存食の店では、干し肉だけが売り切れていた。別の店でも干し肉はなく、昨日から急に、欲しがる客が増えたという。
ミラだけじゃない。
その言葉が、頭の中で何度も形を変えた。
ミラだけじゃないなら、誰が。
どこから。
何が変わったのか。
考えても、答えは出なかった。
私は暗い天井を見上げたまま、ゆっくり息を吐いた。
何も起きていないとは、どうしても思えなかった。




