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朝は、青い光で目が覚めた。
天井を走る細い線が脈を打つように揺れ、白い天井を淡く染めている。
神領ノエティア。大賢者。保護塔。
順番に思い出して、私は布団の中で息を吐いた。
考えることが増えた。
でも、手がかりも増えた。
増えたぶんだけ、頭の中が重い。
『朝から憂鬱そうな顔ね』
ベルザリアの声が、頭の奥でした。
「おはよう、神様」
『やめなさい』
「敬ってるのに」
『馬鹿にしている音がするわ』
ばれていた。
体を起こす。両腕を食べられた感覚は完全には消えていない。けれど、眠ったぶんだけ遠くなっていた。痛みの記憶が、ようやく昔のものになり始めている。
隣室への扉は、細く開いたままだった。
「イリス?」
声をかけると、すぐ返事があった。
「起きています。おはようございます」
扉の向こうから、イリスが顔を出した。黒い外套は脱いでいて、保護塔で用意されたらしい灰色の室内着を着ている。小さな角は隠れていなかった。隠さなくてもいい場所だと、思えたのかもしれない。
「おはよう。眠れた?」
「はい。それに夜中、なにも起きませんでした」
「よかったね」
「はい。すごく」
その顔が本気だったので、笑いかけて、やめた。
イリスにとっては、本当に大きなことなのだ。
扉の前には、朝食の台車が置かれていた。いつの間にか運ばれていたらしい。蓋を開けると、白い粥みたいなものと、焼いた肉、柔らかいパン、果物、それから温かい飲み物が並んでいる。
私の皿だけ、やっぱり肉が多かった。
「また肉多めだ」
『良い判断ね』
「ノエティアってもしかしていい神様なんじゃ」
『あまりにも安直で、ため息しか出ないわ』
「ベルザリアは悪い神様だと思う」
『いい神なんていないわよ』
ベルザリアはあっさりと言った。
朝食はイリスと一緒に食べた。粥は薄味だったけれど、体にやさしい味がした。肉はしっかり味がついていた。美味しく食べた。
食事を終えるころ、扉を叩く音がした。
リゼだった。
「おはようございます。体調を確認しに来ました」
「おはようございます」
イリスが慌てて姿勢を正す。
私は椅子に座ったまま、手を上げた。
「体調はたぶん大丈夫です」
「たぶん、で記録します」
「そこは普通に大丈夫で」
「自覚と事実が一致しない場合がありますので」
リゼは小さな板を取り出し、私の前にかざした。板の表面に青い線が浮かび、すぐ細く沈む。
「反応は昨夜より沈静。術式負荷も低下しています」
「それは、いいこと?」
「少なくとも、今すぐ横になる必要はありません」
「微妙な言い方だ」
「正確な言い方です」
次に、リゼはイリスを見る。
板の青い線が、今度は短く揺れた。
「魔物誘引反応、現時点では低。周辺破損、なし。夜間事故、なし」
イリスが背筋を伸ばした。
「何も壊しませんでした」
「良好です」
褒められたのか、検査結果なのか。でもイリスは嬉しそうだったので、それでいい。
「大賢者様から伝言です」
リゼが板を閉じた。
「初期解析は、早ければ四日目の朝に最低限の結果が出ます。それまでは、保護塔を拠点に滞在してください。街の移動は可能です。ただし、白塔区の地下と水路管理区、それから薬品保管区と南実験棟には近づかないでください」
「近づくなと言われる場所が多いね」
「危険ですので」
「私たちが?」
「相互に」
わざわざ危険なことはしたくない。気をつけよう。
「それと、マイ様」
「はい」
「血を流さないでください」
「昨日も言われたね」
「念のためです。鼻血、切り傷、転倒、喧嘩、料理中の事故、紙で指を切ることも含みます」
私は自分の指を見た。
紙で指を切ることまで警戒される血液。
『大事に扱われてよかったじゃない』
「あんまり嬉しくはないなぁ」
リゼは気にせず、二枚の白い札を差し出した。青い線が一本入っている。
「滞在札です。保護塔の出入り、食事処、資料閲覧所の一部で使えます。なくさないでください」
「お金代わりにもなるの?」
「一部は。利用記録も残ります」
「まあ、記録されるよね」
「神領ノエティアですので」
理由になっているようで、なっていない。
けれど、札はありがたかった。懐事情はもう心もとなかった。
リゼが去ったあと、私は札を手の中で転がした。
「四日目の朝か」
短いような、長いような。
イリスが窓の外を見る。
「街へ、行きますか」
「行こうか。ずっとここにいると、観察されている気がして落ち着かないし」
『外でも観察されているわよ』
「言わないで」
私たちは保護塔を出た。
朝の神領ノエティアは、昨日より明るい。白い石が光を反射し、水路が青くきらめいている。道端では、子どもたちが小さな板を持って、先生らしい人の前に並んでいた。
薬瓶を積んだ荷車が通る。車輪には青い輪がついていて、石畳の上を、ほとんど音を立てずに進んでいた。
通りを曲がると、昨日の食事処とは別の通りに出た。朝の店先には、焼き菓子や果物、紙包みの軽食が並び始めている。
その中で、ひときわ温かい匂いを出している小さな店があった。
籠には丸いパン、細長いパン、木の実を混ぜたパンが並び、焼き立ての湯気が薄く上がっている。
私は足を止めた。
「マイさん」
「見るだけ」
「本当ですか」
「……」
『離れなさい』
「見るだけ」
店の奥から、粉まみれの女の子が顔を出した。
年は私より下くらい。麦色の髪を三つ編みにして、頬にはそばかすがある。前掛けは粉だらけで、袖をまくっていた。
「旅の人? 札、使えるよ」
彼女はにこっと笑った。
「現金でも大丈夫だよ。朝の残りでよければ、安くするけど」
「安くなるなら買うしかない」
割引とは、いい言葉だった。
イリスが横で笑った。
「札で支払うんですから、値段は気にしなくていいと思いますよ」
「イリス、割引っていうのはね、見つけた時点で半分勝負が始まってるんだよ」
「マイさんがいつになく真剣です」
私は丸いパンを五つ買った。
パン屋の女の子は、札を小さな板にかざす。板が青く光って、何かが記録されたらしい。
「はい、どうぞ。私はミラ。ここの手伝い」
「マイ。こっちはイリス」
イリスが頭を下げる。
ミラは角を見て目を丸くしたけれど、それだけだった。
「魔族の子、初めて見た。食べられないものとかある?」
「たぶん、ないです。でも硬いものは苦手です」
「じゃあ柔らかいの一個おまけする。初めて記念」
「いいんですか」
「いいよ。今日、焼きすぎたし」
彼女はそう言って、白い布に包んだ柔らかいパンをひとつ足してくれた。
イリスが困ったように、それでも嬉しそうに受け取る。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。外から来た人は、だいたい疲れているからね。いっぱい食べて元気出してね」
「ねえミラ、私もおまけ食べたいかも……」
私が言うと、ミラは笑った。
「しょうがないなぁ」
パンは温かかった。
朝食を食べたばかりなのに、私はその場で齧った。香ばしくて、優しくて、柔らかい。
「すごくおいしい」
「当然。うちのパンだから」
ミラは胸を張った。
整いすぎた白い街の中で、ここはちゃんと匂いがした。
「また来ていい?」
「もちろん。ちなみに甘いパンは午後だよ」
「午後。甘いパン」
私は脳の一番大切な場所に記憶した。
『あなた、目的を忘れていない?』
「忘れてない。甘いパンは午後」
『手遅れね』
ベルザリアが呆れた声を出した。
イリスが柔らかいパンを両手で持ち、嬉しそうに目を細める。ミラはそれを見て、満足そうに頷いた。
そのとき、通りの向こうで鐘が鳴った。
「今のは?」
「治療院の開門の合図だよ。朝はいつも鳴るの」
「へえ」
ミラは店の奥から次の籠を持ってきて、何でもないことみたいにパンを並べ始めた。




