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 意識が浮かび上がる。


 何度も繰り返した、沈んでいく感覚のあとに来る、どうしようもなく嫌な目覚めだった。

 もうわかっている。目を開けた先にあるのは、また知らない体だ。


 けれど今回は、最初から何かが違っていた。


 ひどく重い。けれど、巨人みたいな鈍さはない。目を閉じていても分かる。細い四肢の先まで、思った通りに力が通る。息を吸えば胸が上下して、髪が頬にかかる感触までわかった。


 私は恐る恐る目を開けた。


 最初に視界へ飛び込んできたのは、床に散った血の赤だった。


 さっきまで一緒に歩いていた群れの残骸、狼だったものが、部屋のあちこちに散らばっている。


 喉の奥がひきつった。口の中は鉄の味がした。


 ゆっくりと体を起こす。腰まで流れ落ちる長い髪が、さらりと肩を滑った。目の前に垂れたのは、炎のような紅だった。


 心臓がどくんと跳ねるのが分かった。


 次に震える手を持ち上げた。白くて細い。

 血に汚れてはいるけれど、人間の手だ。狼でも、巨人でもない。もちろん、私の手でもない。


「……うそ」


 声が出た。


 ちゃんと、人間の声だった。

 澄んだ、甘い少女の声だった。


 ふと、砕けた燭台の金具が視界に入った。磨かれた表面にぼんやり映った顔を見て、確信する。


 白い肌。

 赤い髪。

 赤い瞳。

 少しつり上がった目元。


 さっきまで私を見下ろしていた、あの顔。


 ベルザリアだ。


 私は震える指で頬に触れた。柔らかい。あたたかい。生きている。

 目を閉じて深呼吸する。体は軽いのに、胸の奥には巨大な炉みたいな熱が渦巻いていた。


『きゃあきゃあ騒がしいわね』


 唐突に頭の奥で、女の子の声がした。


 私は飛び上がりそうになった。

 思わず周りを見渡す。部屋には誰もいない。狼たちは死んでいる。ふたつある扉は開いたまま。赤い布も、黒い柱も、さっきと同じようにそこにある。


『上よ、上。いえ、外? ……違うわね。中かしら』


 くすくす笑う声に、背筋が冷えた。


 外から聞こえたんじゃない。

 耳から聞こえたんじゃない。


 声は、頭の中に直接響いている。


「だ、誰……」


『それを聞くの?』


 呆れた沈黙が落ちたあと、声は心底嫌そうに言った。


『私の体で、声で顔で、目覚めておいて、誰とはずいぶんなご挨拶ね』


 体の内側まで冷えが染み込んでくる。


「……ベルザリア」


『正解。褒めてあげる』


 私はその場にへたり込んだ。脚から力が抜ける。心がついてこなかった。


 食べられた。

 また食べられた。

 なのに生きてる。

 私を食べたものになっている。


 ここまでは、嫌でも理解していた。


 だけど今度は、ベルザリアが中にいる。


「なんで……」


『それは私が聞きたいわよ!』


 さっきまでの余裕が、いきなり怒声に変わった。


『食べたのよ、私は! たしかに食べた! それでどうして、指一本も動かす権利がないのよ! ふざけてるの!?』


「知らないよ! こっちだって訳が分からないし!」


『神の体を乗っ取るだなんて、そんな気持ち悪い真似、普通はできないの!』


「できるほうが困るよ!」


 叫んでから、はっとした。


 静かな部屋に、ベルザリアの声だけが響く。いや、違う。この口を使って怒鳴っているのは私だ。私の声なのに、ベルザリアの声だ。


 混乱している私をよそに、ベルザリアが頭の中で息を大きく吐いた気がした。


『……最悪だわ』


「それはこっちの台詞なんだけど」


『私のほうが酷いわ。数百年ぶりに封が解けたと思ったら、わけのわからない小娘に体を奪われているのよ?』


「私だって、いきなり変な世界で、巨人に食べられて、狼にも食べられて、あなたにだって食べられたんだけど」


『あら大変。可哀想ね』


 言葉とは裏腹に、声には嘲笑(ちょうしょう)が混じっていた。腹が立つ。

 けれど、それ以上に混乱が勝っていた。


 私は自分の胸元を見下ろす。布地の下で胸が上下している。腕を曲げる。指を握る。脚に力を入れて立ち上がる。全部、私の命令で動く。


 まるで、私の体のように。


『……今だけよ』


 声の温度が、すっと下がった。


『返してもらうから』


 寒さは感じないのに、肌が震えた。


『ここから出たら、方法はいくらでもあるわ。小娘、せいぜい今のうちに私の体を堪能することね』


 私は部屋の反対側の扉を見た。

 暗い通路が続いている。


 この部屋に残る理由はない。狼たちの残骸と、砕けた鎖と、赤く染まった燭台だけがあった。


 ここにいたって、何もわからない。


「……出る」


『ええ、出なさい。そっちは上に繋がっているわ』


「さっさと出て、あなたとも別れる。目的は一緒だし、ちょっとは協力してよね」


『ふん』


 頭の奥で、ベルザリアが少しだけ黙ったあと、言った。


『小娘』


「なに」


『その体はあなたの玩具(おもちゃ)じゃないわ』


 私は目を瞬いた。


『大事に扱いなさい』


 その言い方が、妙に真剣で、息がしやすくなった。


 一人ではない。

 体の持ち主が中にいて、しかも今すぐ私を追い出せるわけでもないらしい。


 私は散らばった狼たちへ一度だけ目を向け、それから開いた扉の外へ踏み出した。


 赤い髪が、背中で揺れる。


 私じゃない脚で、先へ進み始めたのだと、そのときようやく実感した。

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