↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/61

47

「とはいっても、もう知っているのだけれど」


 ノエティアは、何でもないことみたいに続けた。


 私は口を開きかけて、閉じた。

 私の名前も、ベルザリアのことも知られていた。ここへ来ることまで、すでに分かっていたらしい。

 警戒しないほうが難しかった。


「知っているなら、聞かなくてもいいんじゃないの」


「本人の口から聞くことに意味があるわ」


 ノエティアは机の上の紙束を一枚どけた。下から別の紙が出てくる。そこにも文字がびっしり並んでいた。


「記録と本人の認識が一致するとは限らないもの」


「それ、私を試してる?」


「確認しているの」


 彼女は眠そうな顔で言った。


『相変わらず、人を紙束みたいに扱う女ね』


 ベルザリアが頭の奥で鼻を鳴らす。


「紙束のほうが素直よ、ベルザリア」


『生意気ね、燃やすわよ』


「私は燃えないわ。知っているでしょ」


 私は思わず、ノエティアの顔と自分の胸元を交互に見た。


「待って。今、会話しているよね」


「しているわね」


「ベルザリアの声、聞こえるの?」


「声というより、揺れね」


 ノエティアは指先で空中をなぞった。


 彼女の背後に浮かんでいた青い文字の輪が、ほどけるように形を変えた。細い線がばらけ、別の記号へ組み上がっていく。意味は読めないけれど、何かを写しているのだと分かった。


「ベルザリアは神格を持ったまま、あなたの内側にいるの。声帯を使わなくても、神気の揺れとして表に出ているわ」


「そんなの、分かるものなの?」


「普通は分からないわ。けれど、私なら読める」


『人の心を覗き見る趣味は相変わらずね』


「あなたの大声は嫌でも届くわ」


『黙っていても拾うくせに』


 ノエティアは優しい笑顔だけを返した。


「じゃあ、私の考えてることも全部分かったりするの?」


 心を読むのが趣味っぽいので、恐る恐る訊いてみた。


「全部ではないわ。分かるというより、ほかの情報と合わせて予想するだけよ」


 ノエティアは机の上の紙を指先で軽く叩いた。


「あなたは異世界由来の反応を持っている。王国の証明書を持ち、迷宮都市から神領まで来た。内側にはベルザリアがいる。ベルザリアの肉体を動かす主導権を握っている」


「……」


「その状態で、私に会いに来た。候補は多くないわ」


「候補って」


「あなたが知りたいことなら、元の世界へ戻る方法、元の体へ戻る方法、ベルザリアとの接続をどうするか。このあたりでしょうね」


 言い当てられて、喉の奥が詰まった。

 イリスは完全に置いていかれた顔をしていた。


「そこまで分かっているなら、もう聞かなくてもいいんじゃないの」


「いいえ」


 ノエティアは首を横へ振った。


「それは私が並べた予想よ。あなたが本当は何のためにここへ来たのか、直接聞く必要があるわ」


 ノエティアは頬杖をついた。


「あなたは、何のためにここへ来たの。聞かせてちょうだい」


 すぐには答えられなかった。

 でも、ずっと思っていたことだった。


「……帰りたい」


 私は声に出して、ゆっくりと言った。


「元の世界へ帰りたい。元の体にも戻りたい。そのための方法を、教えてほしい」


 そしてもう一つ、気になっていることがある。


「あと……ベルザリアを、巻き込んだままでいいのか分からない」


『巻き込んだ、ね』


 ベルザリアが頭の奥で鼻を鳴らした。


「言ってみたけど、分からないことが多すぎるよね」


「いいえ」


 ノエティアは静かに首を振った。


「目的は一つよ。故郷に戻ること。元の体へ戻ることも、ベルザリアとの接続も、帰還を成立させるための前提だわ」


 ノエティアが机に指を置くと、青い線が三本浮かび上がった。


 一本はまっすぐ伸びて、もう一本は輪を描き、残った線だけが、そのあいだを頼りなく揺れていた。


「道、器、中身」


 ノエティアは一本ずつ指で示した。


「元の世界へ渡る道。あなたが戻るための器。そして、今ここにいるあなた自身」


「それが全部必要なの?」


「ええ。どれか一つでも欠けたら、帰還と呼べないわ」


 ノエティアは眠たげな目のまま、三本の線を見た。


「帰る道を定めるには、帰還先を示す座標がいる。座標だけあっても、世界を渡る道がなければ戻れない。そこへ今のあなたを移せなければ、意味がない」


 青い三本の線が、机の上でゆっくり寄り合った。


「すべて揃って、初めて帰還になるわ」


 分かったような、分からないような。

 でも、一つだけ分かった。


 簡単じゃない。


「召喚された肉体には、どの世界から呼ばれたのか、その痕跡が残るものなの」


「元の体が、帰る場所を教えてくれるの?」


「正確には、座標になるの。元の体を正しく再現できれば、帰る先を示す座標になり、あなたが戻るための器にもなるわ」


「元の体を作り直すの?」


「そう。召喚される前のあなたと同じ肉体を、この世界で再現する」


 ノエティアは輪を描いていた線に触れた。


 青い線が形を変え、薄い人影になった。


「いわゆる再現体よ」


 人の形をした青い線が、机の上で揺れていた。


「それを作れば、帰れる?」


「そこは、まだ答えを出せないわ」


 ノエティアはあっさり言った。


「そっか」


 期待していたぶん、胸の奥が沈んだ。

 ノエティアはそんな私を微笑みながら見つめていた。

 

 心の沈み方まで見ているようだった。


「再現できるだけの情報が残っているのか、その体が座標として働くのか、そこへあなたを移せるのか。どれも、調べてみなければ分からないわね」


「ベルザリアとは、分けられるの?」


「それも調べる必要があるわ」


 ノエティアは人の形をした線を指で弾いた。


「あなたがベルザリアの肉体と、どんなふうに繋がっているのか、分けられる状態なのか。外から見ただけでは判断できないわ」


『随分と曖昧な話ね』


「あなたたちをまだ調べていないもの」


 ベルザリアが頭の奥で苛立っているのが分かった。


「それで、私とベルザリアを、元どおりに分ける方法はあるのかな」


「現時点では分からないわ」


 即答したノエティアに対して、ベルザリアが身を乗り出したのを感じた。


『なによ、知らないことばかりじゃない』


「知らないことを知っているふりはしないわ」


 嘘をついているようには見えない。


「だから、知るために調べるの」


 ノエティアは机の引き出しを開けた。


 中から、先端に銀の針がついた細い硝子管を取り出した。管には、青い文字の刻まれた留め具が嵌められている。


 どうみても、採血するための道具だった。


「答えを出すには、あなたの血が必要よ」


「血から分かるの?」


 ノエティアは硝子管を指先で回した。


「どこから来たのか、今の肉体とどう繋がっているのか、元の肉体の情報がどれだけ残っているのか。そういうものは、血に濃く残るわ」


「髪とかじゃだめ?」


「精度が落ちるわ」


「爪とか」


「もっと落ちるわ」


「唾液」


「使えなくはないけれど、やっぱり血がいいわ」


 逃げ道がどんどん塞がっていった。

 私、注射嫌いなんだけど。


「まずは血を見ないと、何も答えられないわ」


『……量を決めなさい』


 ベルザリアが言った。警戒している声だった。


『その女に好きなだけ渡しては駄目よ。必要最低限にしなさい』


「警告してくれるんだ」


『当然でしょう。私の体の血でもあるのよ。好き勝手させないわ』


 私は自分の手を見た。

 この体は私のものじゃない。

 ベルザリアの体だ。


 この体の血を渡すことが、本当に帰るための一歩なのか。

 それは、分からない。


 でも、ここまで来て、何も差し出さずに答えが出るとは思えなかった。


「少しだけ」


 私は言った。


「本当に少しだけにしてね」


 ノエティアの口元が、わずかに緩んだ。


「ええ。最低限で始めましょう」


「ちなみに、最低限ってどれくらいなの」


「では、採るわ」


「答えになってない!」


 リゼは机の横に器具を並べてから、椅子を引いた。

 座るしかない空気だった。


 私が腰を下ろすと、イリスがそばに立った。


 ノエティアが私の手を取る。


 指先は冷たかった。

 触れ方は丁寧だった。


 手首を押さえる位置も、指を支える角度も、無駄がなかった。


 ゆっくりと、銀の針が腕に浅く刺さる。


 そして赤い血が、硝子管の中へ吸い込まれていった。

 その瞬間だった。部屋の青い文字が一斉に、揺れた。


 紙束がかすかに浮き、机の上の硝子器具が細く鳴る。背後の文字の輪が、三つに増えていた。


 ノエティアに視線を移すと、眠そうな目がはっきり開いていくのが、見えた。


「……へえ」


 彼女の声は、さっきまでと違っていた。


 楽しそうだった。


「今の、何」


 ノエティアは硝子管の中の血を見つめたまま、静かに笑った。


「思っていたより、ずっと面白いわ」


 彼女の手物にある硝子管の中で、私の血が赤く光った。


『この顔は、まずいわね』


 ベルザリアが、ひどく不機嫌な声で言った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。