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 最初に動いたのは、護衛だった。


 前にいた男が槍を構え、後ろの男が弓を引く。

 御者は馬を落ち着かせようとしていたけれど、馬のほうが先に怯えていた。その音に、馬車の中の乗客たちがさらにざわめく。


「降りるな! 中にいろ!」


 護衛が叫ぶ。


 盗賊たちは待たなかった。


 矢が飛んで、馬車の側面に突き刺さる。

 木が裂ける音と、誰かの悲鳴が重なった。


 私は槍を掴んでいた。


『殺しなさい』


 ベルザリアの声は冷たかった。


『それが一番早いわ』


「相手も人間だよ」


『だから何?』


 答えられなかった。


「降りろ!」


 馬車に近づいていた、顔を布で覆った男が怒鳴った。


 乗客たちが押し合う。護衛の声と盗賊の怒号がぶつかり、馬車の中は混乱した。

 御者は片手を上げたまま、外へ出ろと促していた。抵抗すれば、馬ごと潰されると思ったのかもしれない。


 私はその流れに逆らわず、一番先に地面へ降りた。


 土の匂いと傾いた日差しと森の影。


 盗賊たちの視線が、私に集まるのを感じた。


 その中の一人が、ほかとは違う目をした。確認するような目だった。


「例の赤髪だ」


 小さな声が聞こえた。


 嫌な予感がした。


 この馬車が狙われたのは偶然じゃないと思えた。


 その瞬間、斧を持った男が踏み込んできた。私は槍を横に構える。柄で手首を打った。続けて膝を蹴る。男が崩れた。


 とどめは刺さない。


 次は後ろから来た別の男の剣を、穂先で弾く。肩を突ける距離だったし、喉も狙えた。そこを突けば、終わる。


 でも、槍はそちらへ行かなかった。


 柄で顎を打つ。肘で胸を押す。足を払う。


 倒せる。

 殺さなくても、止められる。


 そう思った。


『甘いわ』


 ベルザリアが吐き捨てた。

 私は返事をしなかった。


 護衛の一人が前の盗賊を押し返すのが見えた。乗客たちは馬車の陰に集まり、互いに肩を寄せて震えている。

 盗賊たちの動きはばらばらだ。私が前を崩せば、逃げ道は作れる。


 動こうとしたとき、短い悲鳴がした。


 振り向く。


 盗賊の一人が、乗客の子どもの首元に短剣を当てていた。小さな男の子だった。母親らしい女が口を押さえて震えている。子どもは泣き声すら出せずにいた。


 盗賊が笑う。


「動くな、赤髪」


 体が止まった。


 踏み込める距離じゃない。赤い熱を飛ばせば、盗賊だけを焼けるかもしれない。


 でも、外したら。熱が広がったら。子どもに当たったら。


『撃ちなさい』


「だめ」


『撃てるわ』


「絶対だめ」


 盗賊の笑みが深くなる。


 別の男が後ろから近づいてくる気配がした。分かっているのに、動けない。子どもの喉に短剣が当たっている。刃が動くだけで、すべてが終わってしまう。


「槍を捨てろ」


 言われた通りにした。

 槍が地面に落ちる音が、やけに大きかった。


『戦いなさい』


 ベルザリアの声が、低く沈む。


「ごめんね」


 次の瞬間、後ろから掴みかかられた。反射で振りほどこうとして、子どもが視界に入る。動けない。


 手首を前に合わせられたあと、冷たいものが触れた。


 黒い枷だった。


 深く黒く、触れたところから体温が奪われていく。輪の内側で、細い鎖みたいな模様が一瞬だけ赤く浮かんだ。


 がちり、と音がしたあと、体の奥で、何かが濁った。


 胸の奥にあった炉へ、濡れた布をかぶせられたみたいだった。熱が遠くなる。力が出ない。息が詰まる。


『……星喰いの鎖ね』


 ベルザリアの声が、硬くなった。


『どうして盗賊風情が、それを持っているのよ』


 私は膝をついた。


 地面が近い。盗賊が何かを言っていた。乗客の悲鳴、御者の怒鳴り声、護衛が倒れる音。


 全部が遠く聞こえた。

 私は動けなかった。


「傷をつけるな」


 誰かが言った。

 盗賊の声にしては、妙に落ち着いていた。


「赤髪は生かして運べ。ほかは縛って荷を奪え」


 護衛がまだ抵抗しようとしていたけれど、私が捕まったのを見て、動きが鈍る。その隙に、盗賊たちが押し込んだ。弓を奪われ、槍を弾かれ、御者も地面へ引き倒される。


『甘さを捨てなさい』


 ベルザリアが言った。


 その声は低く、でもいつもより近かった。


「人は殺したくないな」


『愚かね』


「わかってるよ」


 盗賊が私の肩を乱暴に掴み、立たせた。

 馬車とは別の方向へ引かれていく。


 連れて行かれた森の端に、もう一台の馬車が隠されていた。荷車に布をかぶせたような、粗末な馬車だ。後ろに鉄の格子がはまっている。


「入れ」


 背中を押される。


 私はよろめきながら、盗賊の馬車の中へ放り込まれた。中は暗く、湿った木と古い血の匂いがした。


 そこには、先客がいた。


 馬車の奥で、小さな影が膝を抱えている。


 私より幼く見える少女だった。白銀に近い淡い灰色の髪がぼさぼさに乱れて、古びた黒い外套の中に細い体を丸めている。髪の隙間から、小さな黒い角が二本、少しだけ覗いていた。


 薄紫の目が、怯えたようにこちらを見上げる。


 そんな彼女の周りだけ、空気が重かった。

 黒い、薄い靄みたいなものが、見えるような気がした。


「……あなたも」


 少女が小さく言った。


「捕まったんですか」


 声は、驚くほど頼りなかった。


 私は床に座り込んだまま、手首の黒い枷を見た。

 それから、少女を見る。


「捕まっちゃった」


 馬車の外で、盗賊たちの怒鳴り声が響く。扉が閉められ布で蓋され、光が細く消えた。


 暗闇の中で、少女の薄紫の目だけが、かすかに揺れていた。

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