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34

 馬車の中は、思っていたより狭かった。


 向かい合わせの木の座席に、知らない人たちが肩を寄せて座っている。

 揺れるたびに木枠がぎしぎし鳴った。


 私は端の席で、旅袋を膝に抱えた。


 隣にネアはいない。

 前にロランの背中もない。

 ユーノの長い説明も聞こえない。


 馬車の揺れが大きくなった気がした。


『寂しいの?』


 ベルザリアが言った。


「寂しい」


『お腹いっぱい食べれば寂しさなんて薄れるわ。ほら、食べ物を出しなさい』


「ベルザリアさん、まだ出発して間もないんですけど」


 声を小さくしたつもりだったけれど、向かいの女がちらりと私を見た。私は何でもない顔をして、外へ視線を逃がす。


 独り言は小さめに。


 ネアの声を思い出して、私は口を閉じた。


 馬車は畑の間を進んでいた。

 風に揺れる麦の穂と、ところどころに立つ細い木と、遠くの森が見えた。


 それからしばらく、車輪の音だけを聞いていた。


 やることもないので、目的地について考えてみる。


 神領ノエティア。


 そこへ行けと言ったのは、ベルザリアだった。


「ねえ」


『なによ』


「神領ノエティアに、何があるの」


 今度はちゃんと声を落とした。向かいの女はこちらを見ない。隣の男も目を閉じている。聞こえていない、と思う。


 ベルザリアはすぐには答えなかった。

 珍しく、言葉を選んでいる気配がした。


『大賢者と呼ばれているあいつがいるわ』


「大賢者?」


『ええ。知識を集めることが好きな女よ。人間たちは大賢者とも、知恵の神とも呼んでいたわ』


「知り合いなの?」


『腐れ縁よ』


 ベルザリアは酷く嫌そうに言った。


『神領ノエティアは、あいつの領域よ。できることなら会いたくないわ。でも、癪だけれどあいつを頼る他ないわ』


「その人なら、ベルザリアを戻す方法も、私が元の世界に帰る方法も知っているかもしれないの?」


『そうよ。あいつなら何かしらの手がかりを、見つけられると信じているわ』


 ベルザリアにここまで言わせるなんて、一体どんな人なのだろう。


「大賢者って、そんなにすごい人なんだ」


『人、ね』


 ベルザリアが鼻で笑った。


『小娘』


「なに」


『油断はしないことね。あいつはとびっきり性格が悪いわよ』


「ベルザリアより?」


『まあ、私には負けるわね』


 笑いそうになった。そんなところで張り合わなくてもいいのに。


 馬車は休みなく進み、昼前に水場で止まった。御者が馬に水を飲ませ、乗客たちも外へ出て脚を伸ばす。

 私は人の流れに合わせて降りた。地面に足をつけると、まだ体が馬車の揺れを覚えていて、ふらついた。


 干し肉を一切れ齧る。


 かたい。

 おいしい。


 休憩が終わると、馬車はまた動き出した。


 午後は眠くなるくらい穏やかだった。


 車輪の音は単調で、乗客の何人かはうとうとしている。私も何度か目を閉じかけた。馬車の揺れは思ったよりしつこく眠気を連れてくる。


 最初の宿場まで、あと少しだと御者が言ったころだった。


 馬車の中の空気が緩んだ。誰かが荷物を直し、別の誰かが外を見て、今日の寝床の話をする。


 道は、ちょうど森へ差しかかっていた。


 日は傾き、木々の影が長く伸びている。風は少し冷たい。護衛らしい二人の男が馬車の前後を歩いていて、槍と弓を持ったまま、時々森のほうを見る。


 ふと、馬車が大きく揺れた。


 前のほうで御者が声を上げる。

 車輪が石を踏んだのかと思った。馬車が止まる。

 乗客たちがざわめいて、護衛が短く何かを叫んだ。


 私は旅袋を掴んだまま、上体を起こす。


 外を見ると、道の先に倒木があった。


 太い木が一本、道を塞ぐように横たわっている。

 御者が手綱を引き、護衛が前に出た。


『罠ね』


 ベルザリアが言うより早く、森の影から人が出てきた。


 一人。

 二人。

 もっといる。


 布で顔を隠した男たちだった。剣、短弓、斧。装備はまばらだった。

 前を塞ぎ、後ろを押さえ、馬車の横へ回る。


 乗客の誰かが言った。

 盗賊だ、と。

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