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 出発までの二日は、思っていたより早く過ぎた。


 服を買った。

 靴を買った。

 旅袋を買った。

 保存のきく食べ物と、水袋と、雨避けも買った。


 ひとつひとつは小さな用事なのに、私には全部が大ごとだった。

 どれが必要なのか、何を買うべきなのか、何もわからない。


 だからロランが値段を見て、ネアが必要なものを選び、ユーノが余計なものを戻してくれた。


 私は途中から、ただ頷く係になった。


 旅支度のためのお金は、ほとんどロランに預けていた。けれど、気になる食べ物を見つけたときに買えるように、結構な額を手元に分けてもらっていた。


 本当は焼き菓子とか、串焼きとか、そういうものを買うためのお金だった。

 でも、出発が近づくにつれて、それより先に買いたいものができた。


 出発の前夜、古鍋亭ではいつも通りに客が騒いでいた。

 私は二階の部屋で荷物を並べ、忘れものがないか確かめる。

 服、雨避けの外套、証明書、馬車札、お金、水袋。


 そして、干し肉の包み。

 干し肉の包みだけ、妙に厚かった。


 夜は、あまり眠れないかと思った。

 でも、横になったらすぐ眠っていた。


 朝、早めに着いた南門の前には、もう馬車が並んでいた。


 空気は冷たい。石畳は朝露で濡れていて、馬の息が白く見える。門の外へ続く道は、町の中よりずっと広かった。家並みが途切れ、その先に畑と低い丘が見える。


 私はそこで、立ち止まった。


 迷宮都市の外。


 迷宮都市で過ごした時間はそれほど長くはなかった。

 それでも、すごく名残り惜しかった。


 御者が馬車札を確認し、私の証明書を見る。名前を帳面に写し、荷物を載せる場所を指した。


「神領ノエティア行き、一名」


「はい」


 返事をして、寂しさが増した。

 一名。その言葉が、重かった。


 ロランが私の荷物を馬車に載せる。ネアは外套の留め具を直してくれて、ユーノは私に旅の注意をつらつら並べていた。


「もういい」


「でも」


「もういい」


「はい……」


 あまりにも並べすぎていたので、見かねたロランが止めていて、その姿がおかしくて、つい笑ってしまった。

 笑うと、泣きそうになった。もうこのやりとりを見られるのは、最後かもしれない。


 別れる前に、渡さなきゃいけないものがあった。


「あのさ」


 三人がこちらを見る。

 私は旅袋の奥から、包みを三つ取り出した。


「お世話になったから。大したものじゃないけど」


 まず、ロランへ大きな袋を渡す。

 ロランは受け取る前から、嫌そうな顔をした。


「旅の金にしろ」


「高くなかったよ。たぶん」


 値札は見た。見たけれど、高いのか安いのかはよく分からなかった。


「たぶんで買うな」


「籠手(こて)。前衛の要なロランに似合いそうだったから」


 ロランは黙った。


 受け取らないつもりなのかと思ったけれど、最後には短く息を吐いて、手を出した。


「毎日使う」


「うん」


 次に、ネアへ青い石の髪留めを渡した。

 派手なものではない。小さくて、曇っていて、光に当てると青白く見える。


「ネアにはこれ」


 ネアは手のひらに乗せて、目を細めた。


「きれい」


「ネアの魔法みたいだったから買っちゃった」


 言ってから、急に恥ずかしくなった。


 ネアはすぐには答えなかった。髪留めを指先で撫でて、それから静かに言った。


「大事にする」


 ちゃんと渡せてよかったと思った。


 最後に、ユーノへ方位盤を渡す。


 手のひらに収まるくらいの、道具だった。丸い蓋つきで、中には細い針が揺れている。迷宮でも使える魔道具と聞いて選んだ。高級品らしいが正直私には、詳しい価値や使い方まではわからない。


「ユーノにはこれ」


「え」


 ユーノは両手で受け取って、蓋を開けた。中の針が揺れる。


「方位盤……ですか?」


「道に迷わないように」


「これ、どちらかというとマイさんに必要では?」


「痛いところつかれた」


 ユーノは呆れたように口を開け、それから方位盤を大事そうに閉じた。


「ありがとうございます」


 贈り物を渡し終えて、荷物は軽くなるはずだったのに、気持ちはひどく重かった。私はちゃんと別れる準備をしてしまったのだと、気づいたからだった。


「ここまで、ありがとう」


 言うと、三人がこちらを見る。


 ロランは頷いた。


「無事に行け」


「うん」


「飯は食え」


「任せて」


 ネアが言った。


「困ったら、まず人の多い場所へ行って」


「うん」


「それと、独り言は小さめに」


「気をつけます」


 ユーノは迷ってから、頭を下げた。


「助けてくれて、ほんとうにありがとうございました。また、会いましょう」


 さようなら、ではなかった。


「うん。また会おうね」


 掠れた声しか出なかった。それでも、ちゃんと声が出てよかった。


『ずいぶん懐かれたものね』


 ベルザリアが頭の奥で言った。


「私も懐いたからね」


 うっかり声に出していた。


 ユーノが目を瞬く。ネアが目元を緩める。ロランは何も言わず、私の頭にぽんと手を置いた。


「行ってこい」


 その手はすぐ離れた。


 馬車に乗る。


 木の座席は硬く、席は小さい。荷物を膝元に寄せると、干し肉の匂いがした。御者の声が上がり、馬車がゆっくり動き出した。


 石畳の音が、土の道の音に変わる。


 私は振り返った。


 三人はまだ門の前にいた。ロランが片手を上げ、ユーノが大きく手を振り、ネアは小さく手を上げている。


 その姿が、小さくなる。


 古鍋亭。

 迷宮都市。

 地上で初めて眠れた場所。


 忘れられない優しい人たち。


 全部が遠ざかっていく。


 私は膝の上で手を握った。


「進もう」


『ええ』


 ベルザリアの声が、頭の奥で静かに響いた。


『神領ノエティアへ』


 馬車は揺れながら、道を進んでいく。


 私は外を見た。畑の向こうに、知らない森が広がっている。その先に、まだ見たことのない場所がある。


 干し肉の包みをそっと押さえて、私は前を向いた。

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