30
朝食は、薄いスープと固いパンだった。
温かかった。私は黙って食べた。ロランは水を飲みながら、詰所で聞かれそうなことを短く並べる。
「名前、年齢、出身、体調、どこで見つかったか」
「それだけ?」
「わからない」
ユーノがパンを噛みながら、不安そうに言った。
「本当に何を聞かれるか分からないんですよね」
「仕方ない」
ネアが続ける。
「聞く側が何を気にするかは、行ってみないとわからない」
私は借りた上着の袖を引いた。生成りのシャツも、茶色の上着も、昨日までの服よりずっと地味だ。
『やっぱりみすぼらしいわ』
「そんなことないってば」
『私の美しさは隠せていないけれど』
「うわ、すごい自信だ」
小さく返すと、ユーノがこっちを見そうになって、すぐパンへ視線を戻した。聞かない努力をしている顔だった。
食べ終わると、四人で古鍋亭を出た。
朝の迷宮都市は、もう動いていた。荷車が石畳を鳴らし、店先で桶の水が跳ねる。冒険者らしい人たちが、まだ眠そうな顔で迷宮のほうへ歩いていく。
昨日まで私がいた場所へ、今日は誰かが普通に入っていく。
変な感じだった。
詰所は、昨日と同じように迷宮の口を塞いでいた。
低い柵。
槍立て。
その向こうに兵士が二人。
年かさの兵士は机のそばに立ち、若い兵士は入口側で槍を持っていた。机の上には帳面と紙束が置かれている。昨日より紙の量が多い気がして、それだけで息が詰まった。
「来たか」
年かさの兵士が言った。
「時間通り来た」
ロランが返す。
「保証人と証言者も一緒に聞く」
ネアが言葉を足した。
「わかった。座れ」
柵の内側へ通された。
詰所の中は広くなかった。入口から机まで、数歩しかない。奥まった部屋ではなく、迷宮の出入りを見張るための小さな受付みたいな場所だった。
机の前に椅子を出され、私はそこへ座った。
兵士の前に座らされるだけで、背中が固くなった。
年かさの兵士が帳面を開き、ペンを取る。
「名前は」
「マイ・ワタナベです」
「年齢は」
詰まった。
この体の年齢なんて知らない。
「……十六、くらい」
私が答えた後、ユーノが咳をした。
助け舟か、単にむせただけかはわからない。
年かさの兵士は眉を寄せたけれど、そのまま書いた。
「迷宮内で発見された場所は」
ロランが答える。
「上層寄りの回廊。崩れた宿直室の近くだ」
「発見時の状態は」
今度はネアが答えた。
「疲労していた。怪我はしていなかった。会話は可能」
「それで、どこから来た」
ユーノは一拍も置かなかった。
「迷宮内で保護されたばかりです。本人も混乱しています。今ここで正確な出身を答えさせるのは無理があります」
「本人に訊いている」
年かさの兵士が私を見る。
「どこの生まれだ」
日本。
そう答えたところで、通じるはずがない。
「……遠いところです」
兵士のペンが止まる。
「王国外か」
「……たぶん」
声が掠れた。
嘘はつき慣れていない。気づかれたかもしれない。
『へたくそね』
黙ってて。
今度は、ちゃんと口の中だけで言った。
年かさの兵士は、私を見たまま次の質問をした。
「では、迷宮へ入った経路は」
それを知りたいのは、私のほうだった。
気づいたときには、あの暗い場所にいた。
どこから入ったのかも、どうしてあそこにいたのかも、説明できない。
答えられるはずがない。
私が大きく息を吸った瞬間、入口側から別の足音がした。
黒い上着を着た細い男が、詰所に入ってくる。兵士ではなさそうだ。若い兵士がすぐに姿勢を正した。
「管理官」
男は短く頷き、封のされた紙を年かさの兵士へ差し出した。
「この件は、こちらで預かる」
その一言で、場の空気が変わった。
年かさの兵士が封を開ける。中を見た。表情はほとんど動かないけれど、ペンを置いた。
ネアが目を細める。私にもわかった。
何かが、急に決まった。
「処理を変更する」
年かさの兵士が言った。
「マイ・ワタナベ。記録外帰還者。迷宮都市での滞在および王国内の通行を認める」
若い兵士が机の脇から別の紙を取る。
「正式証明書を発行する」
昨日、あれだけ怪しまれた。
今も、何も説明できていない。
なのにもう、私の扱いが決まっていた。
「正式証明書?」
ユーノが驚いたような声を出した。
「仮じゃなくて?」
管理官はユーノを見た。
「問題がないと判断された」
「誰が」
ネアの声は静かだった。
管理官は答えなかった。
「必要な確認は済んでいる。もう帰っていいぞ」
それだけだった。
誰が確認したのか。
何を確認したのか。
聞ける空気ではなかった。
『泳がされているわね』
ベルザリアが低く言った。
「……誰に」
今度は小さく声に出てしまった。
ユーノがこちらを見た。
でも、なにも聞かなかった。
若い兵士が、薄い金属板を差し出してくる。縁に簡単な刻みがあり、中央には、見覚えのない文字が彫られていた。
それでも、読めた。
マイ・ワタナベ。
「正式証明書です」
若い兵士が言った。
「なくさないでください。門、宿、商会、冒険者協会等で身分確認に使えます」
私はそれを受け取る。
薄いけれど、手に乗せると妙に重かった。
続けて、年かさの兵士が説明を並べた。
「騒ぎは起こすな」
「迷宮への再入場は、冒険者協会で登録を済ませてからだ」
「都市外へ出るなら門で提示しろ」
「……はい」
私の返事を聞いて、ロランが横で頷く。
それで終わりだった。
詰所を出ると、太陽はもう上まで昇っており、光がまぶしかった。
ネアが言った。
「妙だった」
「だよね」
ユーノが声を潜める。
「正式証明書って、普通あんなに早く出ないよ」
「だろうな」
ロランが続ける。
「でも、なんとかなった。腹も減った」
「また飯?」
「大事だろ。古鍋亭に戻って、昼の仕込みだ」
私は手の中の金属板を見下ろした。
証明書。
私がここにいていいという、正式な許可証。
でも、その裏側で何かがあったと考えてしまう。
手の中の金属板が、私をどこかへ繋いでいるように思えてならなかった。




