↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/61

19

 腰を下ろした瞬間、部屋の空気がさらに緩んだ。


 それでも、注意深い視線は私に注がれていた。


 壁際、窪みの縁、積んだ毛皮の上。あちこちにいるゴブリンたちが、じっとこっちを見ている。

 飛びかかってくる気配はない。まず見て、考えて、それから決める。そういう目だった。


 私を連れてきたゴブリンが、横に座った。


 私の様子が一番わかる位置だった。


 奥の一人が、膝を立てたまま私を見る。


「それで、何があったの」


 予想していた質問だった。


 私は唇を湿らせた。


「食べられた」


 部屋の空気が、わずかに動く。


「だよね」

「そうなるよね」

「その体に食べられたの?」


 口々に言う。その反応の軽さが、ありがたかった。


「前は?」


 別の一人が訊く。


「狼」


「その前」


「緑色した巨人」


「その前」


 私は黙った。


 黄土色の目がいくつもこっちを見る。私の答えを皆が待っていた。


「人間」


 その一言で、今度はさっきより大きく空気が揺れた。


「やっぱり」

「それはそう」

「今となっては懐かしい」


 そこで、頭の奥でベルザリアが鼻を鳴らした。


『うるさい連中ね』


 私は思わず顔をしかめる。


「あなたも割とうるさいほうだと思うよ」


 口に出してから、しまったと思った。


 ゴブリンたちの視線が一斉に集まる。


「今のなに」

「独り言ではなさそうだ」

「変だと思ってた」


 私は息を吐いた。

 誤魔化しても仕方がない。


「この体の持ち主と話してた」


 部屋の空気が、変わる。


「持ち主?」

「中にいるの?」

「それ、残ってるってこと?」


 質問が重なる。


 私は頷いた。


「うん。ベルザリアっていう……まあ、すごく偉そうで、食べるのが好きで、性格の悪い女の子」


『ずいぶんな紹介ね』


「間違ってないでしょ」


『食べるのが好きなのは否定しないわ』


 そこまで言って、私はふと気づく。

 目の前のゴブリンたちが、揃って変な顔をしていた。


「……何?」


 奥にいた一人が、慎重に口を開く。


「私たちにはいないよ」


「うん」

「声とかしない」

「そういう誰かは残っていない」


 別の一人も頷く。


「たぶん君だけだよ」


 私は瞬きをした。


「ほんとに?」


「ほんと」

「食べた相手の知識とか、癖みたいなのは混ざる」

「でも、喋ったりはしない」

「中に誰かいる感じはない」


 私は思わず黙り込んだ。


 違うのだ。

 この子たちは、私と同じようでいて、大きく違う。

 みんな私だけど、頭の中に別の誰かを抱えたままではない。


 最初に私を連れてきたゴブリンが、小さく言う。


「かなり変」


「変だよね」


「うん。とびっきり、変」


 その言い方に、笑いそうになる。


 奥の一体が、今度は肘を膝に乗せて訊いた。


「ベルザリアって、君を食べたやつ?」


「そう」


「強かった?」


「強かったなんてもんじゃないよ」


 言ってから、赤い部屋での出来事を思い出す。狼の残骸。あの動きにあの熱にあの声。


「多分この洞窟の中で一番強いよ」


「うわ」

「最悪」

「それで性格が悪いのか。納得だ」


 全員、素直に嫌そうな顔をした。


『礼儀を知らない連中ね』


 ベルザリアが言った。


 私はわざとらしく肩を落とす。


「今怒ってるっぽい」


「わあ」

「いやだ」

「めちゃくちゃ怖いね」


「でしょう?」


 思わず笑うと、部屋の空気がかなりゆるんだ。


 最初に服へ反応した一人が、私の手元の槍を見る。


「体はあなたが動かしているんだよね」


「うん」


「返せって言われてる?」


「言われてる」


『早く返しなさい』


「今も言ってる」


 伝えると、部屋のあちこちで笑いが漏れた。


 怖い場所のはずなのに、笑い方だけは妙に気が抜けている。


 皆で笑いあったあと、奥の一体が、真面目な顔に戻った。


「それで、下から来たんだよね」


「うん」


「上に行きたい?」


「行きたいなぁ」


「人のほうへ?」


 私は一瞬だけ迷った。

 でも、首は自然に縦へ動いた。


「外に出たい。元の世界に戻りたいから」


 その答えに、何人かが目を細める。


「そっか」

「まあ、そうだよね」

「まだそっちなんだ」


 その言い方に、引っかかった。


「そっちってなに」


 すると、最初に私を連れてきたゴブリンが、床へ肘をついたまま言う。


「人のほうに戻るって発想が、ね」


 短い一言だった。

 でも、重かった。


 戻りたいのかと聞かれたなら、もちろん戻りたいと答える。

 私は人間で、ただの女子高生なんだから。でも、目の前にいる私たちは。


 奥の一体がそこで話を切るみたいに手を打った。


「じゃあ、とりあえず休んでから考えようか」


「考えるって?」


「上まで抜ける方法を、ね」


 部屋の空気が、締まる。


「正面はだめかな」

「蟻道は早いけど危ないよね」

「人と会わないほうがいいかも」

「上に行く抜け道は残ってるよ」


 最初に私を連れてきたゴブリンが、こくりと頷いた。


「私も、もともとはマイだ。もちろん私に協力するよ」


 ようやく全部繋がった気がした。


 案内してくれたゴブリンは初めから、私に力を貸すつもりだったんだ。


 だから、ここで、私の群れに見せたのだ。


 ここにいるのは、ただのゴブリンじゃない。

 全員マイだ。私だ。


 私は膝の上に置いた手を見下ろした。


 白い。

 細い。

 私の手じゃない。


 周りには姿形が違っても、私が、私たちが何人もこちらを見ている。


 気持ち悪さは、まだある。

 でも、すでに警戒心は薄れていた。


「……じゃあ、少しだけ休む」


 そう言うと、何人かが頷いた。


「うん」

「それがいいよ」

「上に行くなら、体力いるからね」


 最初に私を連れてきたゴブリンが、毛皮の束を足でこちらに寄せる。


「使う?」


「……使う」


「お気に入りの毛布に似てるでしょ、それ」


 自分の部屋を思い出して、泣きそうになった。帰りたい。強く願った。


 青白く光る石の下、ゴブリンたちの巣は静かだった。

 静かで、乾いていて、あたたかかった。


 私は毛皮に包まりながら、もう一度だけ部屋の中を見回した。


 どこか懐かしい部屋。周りはみんな私。

 でも、みんな私ではない。


 これから少しずつ知っていくのだろうと、瞼を閉じて、思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。