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14

 私は槍を握る手に力を込めた。


 影は人に近い形をしていたけれど、人よりはずっと低く、犬よりは高かった。

 背は丸く、腕だけが長かった。通路の壁に半身を寄せたまま、じっとこちらを見ている。


 そして目が、光った。


 青でも赤でもない。鈍い黄土色の光。


『ゴブリンね』


 ベルザリアが吐き捨てるみたいに言った。


 私は思わず息を止めた。影はまだ動かない。火の明かりが届くか届かないかの境目で、槍の穂先だけを見ているようにも、私の顔を見ているようにも見えた。


「……襲ってくるかな?」


『普通なら、とっくに来てるわ』


 ベルザリアの声がまた低くなった。


『でも、こいつは観察しているわね。気味が悪いわ』


 ここは狭い。今は戦う力を消耗しているし、飛び込まれたらまともに戦えないかも知れない。でも相手は一歩を踏み出さない。ただ、火と槍と私の体を順に、繰り返し見ていた。


「戦って勝てるかな」


『今の状態なら、ぎりぎりね。それに、ゴブリンは下の虫や獣よりはずっと姑息よ。気をつけなさい』


 頭が回る相手のほうが、たいてい厄介だ。


 火が揺れた。


 橙色の明かりが前へ揺れて、影の輪郭がはっきりする。緑がかった灰色の肌、尖った耳、低い額。痩せているくせに、脚より腕の筋肉が目立つ。腰に短い刃物を差し、背には矢筒のようなものを背負っていた。


 これが、ゴブリンか。


 そう理解した瞬間、体の奥で何かがずれた。


 ちがう。これは、ゴブリンではない。


 妙な感じだった。既視感とよく似ているのに、もっと内側の、骨の裏を爪で引っかかれるみたいな違和感。私は思わず顔をしかめた。


『どうしたの』


 ベルザリアが言った。


「……わかんない」


 見当もつかない。でも、初めて見るはずなのに、初めてじゃない、しかも、ただのゴブリンではない気がした。首を傾げるしかなかった。


 その瞬間、相手のほうも、わずかに首を傾げた。

 その仕草は、ひどく自然だった。


 威嚇するときの動きじゃない。考えて、測って、それでも答えが出ないときの、人間の仕草。


「……あの」


 最初に口を開いたのは、相手だった。


 普通の声だった。


 少し掠れてはいる。でも、言葉ははっきりしている。しかも、その響きが嫌なくらい耳に馴染んだ。聞いたことがあるわけじゃないのに、遠くから自分の声を聞いたらこうかもしれない、と思ってしまう近さがあった。


「……それ、すごい服だね」


 ゴブリンは私を見て言った。


「アニメとかでしか見たことないやつだ」


 その言葉で、体が固まった。


 アニメ。


 この世界のゴブリンが、そんな単語を使うはずがない。


 それでも、言っている内容自体はよくわかった。ベルザリアの服はあまりにも派手すぎる。そこにあるだけで場違いだ。


「……私も、そう思う」


 なんとか声を絞り出すと、ゴブリンが目を細めた。


 また、火が揺れた。


 通路の壁に、私とゴブリンの影が歪んで伸びる。長い影と低い影。形は全然違うのに、並んで見ると同じもののようだった。


『気持ちが悪いわね』


 ベルザリアが言った。


『仕草がまるで、あなたみたいだわ』


 私だけじゃない。この感じの悪さは、本当に気のせいだけじゃない。


 ゴブリンはまだ武器に手をかけなかった。代わりに、匂いを嗅ぐみたいに顎を引く。


「やっぱり」


 ゴブリンが小さく言った。


「そうだと思った」


「何が」


「たぶん君も、同じなんだろうなって」


 説明できない。理屈がない。でも、同じだ。それだけは痛いほど伝わる。


 私は槍の穂先を下げた。


 ゴブリンはそれを見て、肩の力を抜いた。


「名前ある?」


 訊かれて、私は一瞬だけ詰まる。


 マイ、と答えるべきなのだろう。そう思うのに、その名前が何を指すのか一瞬だけ曖昧になった。学校帰りの私か。狼だった私か。いまベルザリアの体を動かしている私か。


 でも、他にない。


「……マイ」


 そう言うと、ゴブリンは目を見開いた。


 大げさじゃない。わずかな変化だ。でも、その反応は決定的だった。


「そうだよね」


 そいつは困ったように笑う。


 その笑い方まで、ひどく見覚えがあった。本当に困ったとき、でも相手を刺激したくなくて、口元だけを動かす、あの感じ。


「私も、それだ」


 背筋がぞわりとした。


『増えてるじゃない』


 ベルザリアが心底嫌そうに言った。


『ほんとうに下品だこと』


 私は何も言えなかった。


 目の前のゴブリンが味方だとは思わない。


 でも、ただの敵と呼ぶには、違う気がした。


 名前が同じだからじゃない。

 喋り方や間の取り方が似ているからでもない。


 もっと根っこの、言葉にならない場所で、私たちは同じ形をしている。


 狭い通路の中で、私は火と槍を持って、相手と向かい直した。


 赤い髪の私と、灰緑の肌したゴブリン。

 形はまるで違うのに、同じものを歪めて映したみたいに見える。


 鏡みたいだ、と思った。


 ただ、綺麗に映す鏡じゃない。

 落として、砕いて、割れた破片のひとつにだけ、たまたま自分の顔が残ってしまったみたいな、そういう鏡。


 目を逸らしたくなるのに、逸らせなかった。

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