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私は槍を握る手に力を込めた。
影は人に近い形をしていたけれど、人よりはずっと低く、犬よりは高かった。
背は丸く、腕だけが長かった。通路の壁に半身を寄せたまま、じっとこちらを見ている。
そして目が、光った。
青でも赤でもない。鈍い黄土色の光。
『ゴブリンね』
ベルザリアが吐き捨てるみたいに言った。
私は思わず息を止めた。影はまだ動かない。火の明かりが届くか届かないかの境目で、槍の穂先だけを見ているようにも、私の顔を見ているようにも見えた。
「……襲ってくるかな?」
『普通なら、とっくに来てるわ』
ベルザリアの声がまた低くなった。
『でも、こいつは観察しているわね。気味が悪いわ』
ここは狭い。今は戦う力を消耗しているし、飛び込まれたらまともに戦えないかも知れない。でも相手は一歩を踏み出さない。ただ、火と槍と私の体を順に、繰り返し見ていた。
「戦って勝てるかな」
『今の状態なら、ぎりぎりね。それに、ゴブリンは下の虫や獣よりはずっと姑息よ。気をつけなさい』
頭が回る相手のほうが、たいてい厄介だ。
火が揺れた。
橙色の明かりが前へ揺れて、影の輪郭がはっきりする。緑がかった灰色の肌、尖った耳、低い額。痩せているくせに、脚より腕の筋肉が目立つ。腰に短い刃物を差し、背には矢筒のようなものを背負っていた。
これが、ゴブリンか。
そう理解した瞬間、体の奥で何かがずれた。
ちがう。これは、ゴブリンではない。
妙な感じだった。既視感とよく似ているのに、もっと内側の、骨の裏を爪で引っかかれるみたいな違和感。私は思わず顔をしかめた。
『どうしたの』
ベルザリアが言った。
「……わかんない」
見当もつかない。でも、初めて見るはずなのに、初めてじゃない、しかも、ただのゴブリンではない気がした。首を傾げるしかなかった。
その瞬間、相手のほうも、わずかに首を傾げた。
その仕草は、ひどく自然だった。
威嚇するときの動きじゃない。考えて、測って、それでも答えが出ないときの、人間の仕草。
「……あの」
最初に口を開いたのは、相手だった。
普通の声だった。
少し掠れてはいる。でも、言葉ははっきりしている。しかも、その響きが嫌なくらい耳に馴染んだ。聞いたことがあるわけじゃないのに、遠くから自分の声を聞いたらこうかもしれない、と思ってしまう近さがあった。
「……それ、すごい服だね」
ゴブリンは私を見て言った。
「アニメとかでしか見たことないやつだ」
その言葉で、体が固まった。
アニメ。
この世界のゴブリンが、そんな単語を使うはずがない。
それでも、言っている内容自体はよくわかった。ベルザリアの服はあまりにも派手すぎる。そこにあるだけで場違いだ。
「……私も、そう思う」
なんとか声を絞り出すと、ゴブリンが目を細めた。
また、火が揺れた。
通路の壁に、私とゴブリンの影が歪んで伸びる。長い影と低い影。形は全然違うのに、並んで見ると同じもののようだった。
『気持ちが悪いわね』
ベルザリアが言った。
『仕草がまるで、あなたみたいだわ』
私だけじゃない。この感じの悪さは、本当に気のせいだけじゃない。
ゴブリンはまだ武器に手をかけなかった。代わりに、匂いを嗅ぐみたいに顎を引く。
「やっぱり」
ゴブリンが小さく言った。
「そうだと思った」
「何が」
「たぶん君も、同じなんだろうなって」
説明できない。理屈がない。でも、同じだ。それだけは痛いほど伝わる。
私は槍の穂先を下げた。
ゴブリンはそれを見て、肩の力を抜いた。
「名前ある?」
訊かれて、私は一瞬だけ詰まる。
マイ、と答えるべきなのだろう。そう思うのに、その名前が何を指すのか一瞬だけ曖昧になった。学校帰りの私か。狼だった私か。いまベルザリアの体を動かしている私か。
でも、他にない。
「……マイ」
そう言うと、ゴブリンは目を見開いた。
大げさじゃない。わずかな変化だ。でも、その反応は決定的だった。
「そうだよね」
そいつは困ったように笑う。
その笑い方まで、ひどく見覚えがあった。本当に困ったとき、でも相手を刺激したくなくて、口元だけを動かす、あの感じ。
「私も、それだ」
背筋がぞわりとした。
『増えてるじゃない』
ベルザリアが心底嫌そうに言った。
『ほんとうに下品だこと』
私は何も言えなかった。
目の前のゴブリンが味方だとは思わない。
でも、ただの敵と呼ぶには、違う気がした。
名前が同じだからじゃない。
喋り方や間の取り方が似ているからでもない。
もっと根っこの、言葉にならない場所で、私たちは同じ形をしている。
狭い通路の中で、私は火と槍を持って、相手と向かい直した。
赤い髪の私と、灰緑の肌したゴブリン。
形はまるで違うのに、同じものを歪めて映したみたいに見える。
鏡みたいだ、と思った。
ただ、綺麗に映す鏡じゃない。
落として、砕いて、割れた破片のひとつにだけ、たまたま自分の顔が残ってしまったみたいな、そういう鏡。
目を逸らしたくなるのに、逸らせなかった。




