12
岩だと思った。
灰黒い塊が、洞窟の天井に張りついている。青白い魔石の光を受けて、濡れた石みたいに鈍く光っていた。けれど、燭台の火を高く掲げた瞬間、その表面がぬらりと動いた。
岩じゃない。
あれは生きている。
私は足を止めた。
よく見ると天井に腹を貼りつけ、四本の脚を左右の壁へ突っ張っている。胴が太い。背中が天井と一体化しているみたいで、どこまでが岩でどこからが体なのか分かりにくい。
頭から尻尾の付け根までは、車一台ぶんくらいはありそうだった。
「……あれ生き物だよね」
『道喰いね』
ベルザリアが言った。
『この道を縄張りにした魔物よ。だから、ここまで他のものが少なかったのね』
道喰いの目が開いた。
縦に裂けた瞳が二つ、燭台の火を映して鈍く光る。逆さまの顔が、天井から私を見下ろしていた。
目の下にある広い口がゆっくりと開く。石の欠片みたいな、短く分厚い突起が何列も並んでいる。
私は燭台を近くの岩棚へ置いた。
炎が揺れ、天井に張りついた道喰いの影が坂道いっぱいに伸びた。
そのとき、道喰いの前脚が、天井から外れた。
落ちる。
そう思った瞬間、灰黒い巨体が坂道へ叩きつけられた。
床が揺れる。石片が跳ねた。燭台の火が大きく傾き、壁の影が歪んだ。道喰いは私より前に落ち、上へ続く道を塞ぐように体を起こした。
寝そべっていたときより、ずっと大きい。
頭を持ち上げると、見上げるほどだった。
道喰いの喉が、膨らんだ。
『正面に立たないことね。吐くわよ』
「吐くってなにを」
喉が、さらに大きく膨らむ。
嫌な予感がして、私は横へ飛んだ。
直後、道喰いの口から粘ついた塊が吐き出される。塊はさっきまで私がいた場所を通り過ぎ、坂の床へ落ちた。
じゅ、と嫌な音がした。
そちらに視線を移すと、石が泡立つように溶けていくのが見えた。
「わお……」
『浴びたら終わりね。服が溶けてしまうわ』
「服だけじゃ済まないと思うんだけど!」
道喰いが頭を振った。
私は槍を構え、距離を取る。
赤い熱を撃ち出せば、たぶん当たる。あれだけ大きいのだから、外すほうが難しいだろう。
でも、この坂道で無闇に撃って、壁や天井が崩れたらどうなるか分からない。上へ行く道が塞がるかもしれない。
危険は犯せない。
この槍で戦うしかない。
接近戦はいやだけど。
『分かっているなら、早く動きなさい』
「ちょっとは考える時間くらい欲しい」
『向こうは待ってくれないわよ』
道喰いが迫ってくる。
鈍い見た目に反して速かった。巨体が坂を滑るように下ってくる。前脚が石を砕き、腹が地面を擦り、横に広い口が開く。
私は左へ逃げた。
背後で、道喰いの顎が石を噛んだ。ごり、と硬い音が響く。砕けた石が足元へ転がった。
道喰いは噛み砕いた石を吐き捨て、こちらへ向き直った。片目が燭台の火を捉える。もう片方が私を見ている。
私は槍を握り直した。
胸の奥から熱を引き上げる。血の中を走る。指先が熱い。槍を握る手のひらに熱がこもるのがわかった。
『出し惜しみして勝てる相手じゃないわ。使い切るつもりでいきなさい』
「そうする」
道喰いの喉が、また膨らんだ。
私は、今度は右へ走る。
吐かれる前に、壁際の岩を蹴った。粘ついた塊が足元をかすめ、床を溶かす。つんざく匂いが鼻を刺した。
そのまま岩の出っ張りへ足をかけ、高く跳ぶ。
前の体なら絶対にできない動きだった。けれど今は、迷うより先に動く。
飛んだ私を追いかけるように、道喰いの頭が下から迫ってきた。
縦に裂けた目に目掛けて、私は槍を突き下ろした。
穂先が入る。
いやに柔らかい感触。
次に、焼ける臭い。
赤い熱が槍を伝って流れ込み、道喰いの目の奥で弾けた。
甲高い悲鳴が坂道に響いた。
道喰いの頭が横へ跳ねる。黒い汁が散り、槍が引き抜かれる。私は勢いのまま床へ落ちた。膝が石を打つ。
「いい感じのが入った!」
『まだよ』
道喰いが暴れた。
潰れた目を庇うように頭を振り、前脚をめちゃくちゃに叩きつける。床が割れる。胴が大きくうねる。巨体が動くたび、上へ続く道も下へ戻る道も揺れた。
暴れた前脚が迫る。
「うわっ!」
私は身を投げ出すように転がった。爪がすぐ横の床を抉り、砕けた石が頬をかすめる。
『とどめよ。腹の継ぎ目を狙いなさい』
「どこ!」
『前脚の後ろ。動くたびに開くわ』
私は息を吐き、目を凝らした。
道喰いは片目を失い、動きが荒くなっていた。こちらを捉えようとして、頭を振る。前脚が床を掻く。そのたびに、胴の下、前脚の後ろで皮膚が折れ重なっているのが見えた。
呼吸に合わせて、そこが開く。
あそこなら、終わらせられる。
道喰いが残った目で私を捕らえた。
目が合い、口が開く。
独特な酸の臭い。
私は走った。坂の傾きで足を取られそうになったけれど、踏ん張る。体を低くする。粘ついた塊が飛んできたけど、私には当たらず床を焼いた。
怖いけれど、止まらない。
もうすぐだ。道喰いの横腹が近い。灰黒い皮膚が波打ち、前脚が持ち上がる。継ぎ目が開いた。
今だ。
私は槍を両手で握った。
胸の奥の熱を、残っているぶんだけ穂先へ押し込む。赤い熱が柄を伝い手のひらが焼けるみたいに痛む。
そのまま、継ぎ目へ突き込んだ。
穂先が入った。
深く。奥へ。
そして赤い閃光が、腹の内側で走った。
何かが、爆ぜた。
道喰いの巨体がびくりと痙攣する。大きく開いた口から、声にならない息が漏れた。前脚が空を掻き、爪が床を割る。
私は槍から手を離し、全力で横へ跳んだ。
灰黒い巨体が倒れ込む。
地面が揺れた。
道喰いは腹を床へ叩きつけ、しばらく四肢をばたつかせた。尾が何度も壁を打ち、上り坂の奥で石が崩れる。
やがて、動きが鈍くなる。
爪が床を強く掻いた。
それきり、止まった。
遠くで水の落ちる音だけがしていた。
「……倒せた?」
『ええ』
ベルザリアが言った。
私はその場に座り込んだ。
腕が震えている。膝も痛い。胸の奥の熱は薄くなって、腹の底は大きく空いていた。
道喰いの巨体は、奥へ続く通路の前で横倒しになっていた。頭と壁のあいだに、人ひとり通れる隙間ができている。
『行くわよ』
「休ませてくれないんだ」
『血の匂いが濃いわ。別のものが来る前に抜けなさい』
「分かったよぉ……」
私は力を振り絞って、立ち上がった。
道喰いの腹に刺さった槍を引き抜く。ぬるい感触が手に伝わる。
柄は焦げ、穂先も歪んでいた。
次同じように使えるかは怪しい。
それでも、道を切り開いてくれた。
私は燭台を拾い、槍を持ち直す。
道喰いの潰れた片目を、火が照らした。そこにはもう、光がない。
私はそれ以上見ないようにして、奥の通路へ足を向けた。
今より高い場所へ。
人のいる側へ。
そう言い聞かせないと、地下の暗闇に足を掴まれそうだった。




