11
強く吹く風の流れるほうへ、私は火を掲げて歩いた。
最初は心強かった橙色の明かりは、思っていたより頼りなかった。
足元と壁を照らすだけで、その先はもう青白い闇に飲まれている。
壁は狭くなったり広がったりを繰り返し、ところどころ天井が低く落ちていた。
剣はない。
数歩ごとに砕けた剣を思い出した。右手が何かを握りたがるたび、そこにあるのは燭台だけだと気づかされる。
細い柄。殴れなくはないけれど、武器と呼ぶには心もとない。
『未練がましいわね』
ベルザリアが言った。
「剣はあるだけで落ち着けるというか」
『鉄の一本で安心できるなんて安い女ね』
「安い心と書いて安心って読むんだよ」
『ちょっと意味がわからないわ』
言葉は通じるのに、変なところで噛み合わない。カルチャーギャップだろうか。
話しながら進んでいると通路はやがて、ひときわ広い場所へ出た。広場というより、崩れかけた堂みたいな空間だった。
壁一面に浅い窪みが並び、その半分以上が壊れている。中に何があったのかは、見なくても想像がついた。砕けた骨、乾いた布、黒く染みついた跡。足元に散っているのは、その残り。
私は火を高く上げた。
「……ここ、お墓?」
『私が一人で寂しいとでも思ったのかしら』
「そんな玉じゃないのにね」
『あらそう? 私は誰よりも繊細なのだと自負しているのだけれど』
絶対嘘。
目を凝らすと壁の窪みのいくつかには、古い木札みたいなものが残っていた。文字は掠れて読めない。けれど、人がここを区切っていたことだけはわかる。ちゃんと数え、しまい、名前をつけていた時があったのだ。
そのとき、天井の奥でぱた、と小さな音がした。
私はすぐに火を引き寄せ、壁際へ下がる。
また、ぱた。
次は三つ。
気づけば四つ。
羽音だった。
『明かりを下げなさい』
ベルザリアの声が低くなる。
『上を見ないで』
「なんで」
『目が合ったら面倒だわ』
意味がわからないまま、私は火を胸元へ引き寄せた。直後、頭上の暗がりが、ふっと剥がれ落ちるみたいに動いた。
小さな影が、いくつも降ってきた。
蝙蝠に似ていた。
でも、普通の蝙蝠じゃない。翼は薄いのに、胴だけが妙に膨れている。腹が赤く透けていて、中で何かがうごめいているのが見えた。口は縦に裂け、歯だけがやけに細かい。
「うわっきも!」
一匹が顔のすぐ横を掠めた。私はつられて燭台を振った。火が揺れ、翼の端が焼ける。甲高い悲鳴のあと、残りが一斉に飛び散った。
『群れで噛むわ。血を吸って、弱ったところへ大きいものが来るから気をつけなさい』
「それ先に言って!」
『その言葉、気に入っているの?』
言い返す暇もなく、二匹目が肩へ食らいついた。痛いというより、冷たい。皮膚の表面から何かを抜かれる感じがして、ぞわっとした。私は咄嗟に壁へ肩をぶつけて潰す。ぬるい感触が弾け、赤黒い液が頬へ散る。
気持ち悪い。
でも、気にしていられない。止まっていたら囲われる。
私は燭台を低く構え、円を描くみたいに振った。火を怖がるらしい。群れは一定の距離を取りながら、私の周りを回る。近づくものを焼き、掴んで叩き、また火を振る。剣よりずっと頼りないのに、火があるだけで違った。
『右よ』
ベルザリアが言った。
右へ身を捻る。後ろから来た一匹が、髪だけを掠めて飛び過ぎる。私はそいつの胴を掴み、そのまま窪みの縁へ叩きつけた。腹が裂け、中から白い幼虫みたいなものが零れた。
「気持ち悪い!」
『あら、美味しそう』
ありえない。
群れはしばらく旋回を続けていたが、火で焼けた臭いが濃くなると、やがてひとつ、またひとつと天井の奥へ退いていった。完全に去ったわけじゃない。暗がりの中でまだ目だけが光っている。
でも、今すぐ飛びかかってくる気配ではなくなった。
私は壁へ手をついて、息を吐いた。
肩口がじくじくする。噛まれた跡から血が出ている。だけど、次の瞬間にはその痛みの質が変わっていた。
熱い。
傷の奥が、内側から焼けるみたいに熱を持つ。私は思わず火を落とし、空いた手で肩口に触れた。裂けたはずの皮膚が、もう閉じている。血も、流れていなかった。
「……え」
『どう、凄いでしょう』
ベルザリアが誇らしげに言った。
『その体は、ただ壊れにくいだけじゃないの。放っておいても塞がるわ』
私は肩を押さえたまま、じっと傷口を見る。傷そのものがじわじわと熱を持って縮んでいく。
「じゃあ、治るの?」
『その程度ならね』
ベルザリアが続けた。
『でも、お腹は減るわ。何でも勝手に戻ると思わないことね』
お腹が暴走して、食い漁るのはもう嫌だった。気をつけなければいけない。
落とした燭台を拾い上げてゆっくり前へ進んでいった。
しばらく進んだ先には、崩れた祭壇みたいな台があった。そこへ近づくと、壁際に長い棒状の影が何本か立てかけられているのが見えた。
槍だ。
三本のうち二本は腐って折れている。残り一本も柄が途中でひび割れ、穂先は錆びて黒くなっていた。それでも、完全に素手よりはましに見えた。
私は燭台を置き、そっとその一本を持ち上げる。
重さはある。でも振れる。穂先を壁へ軽く当てると、錆びは落ちるが折れはしなかった。
『悪くない槍ね』
ベルザリアが言った。
『あなたがさっき壊した剣よりいいわ』
「最初からこういうの落ちててほしかった」
『都合が良すぎるわね』
私は槍を握り直し、試す。長さがあるぶん距離が取れる。いまの私には、それだけでだいぶありがたかった。
祭壇の脇の壁には、刻みがあった。線が上へ向かって重なり、その先に小さな穴の記号がある。道標のつもりなのかもしれない。
私はそこへ火を近づけた。
「これ、上を差してるのかな」
『ええ。昇り道のようね』
私は槍を肩へ担ぎ直した。
長い武器と、見つけた道標。それらが足を早く動かしてくれた。
道標に従って進み納骨堂を抜けると、通路はさらに細くなり、今度は明らかに上へ傾き始めた。風もさらに強くなる。乾いていて、灰の匂いがする。
前ではなく、上へ向かっている。
その感覚だけで、胸の奥が持ち上がる。
だからこそ、その先から聞こえてきた、低く重い呼吸の音に、私はすぐ気づけなかった。
ふと違和感に気づき、火を上にかざす。
暗い天井に、通路を半ば塞ぐみたいに、何か巨大なものが張りついていた。




