10
『人じゃないわ』
あまりにもあっさりした言い方だった。
火が近づく。
最初に見えたのは、煤けた腕だった。皮膚はほとんどなく、黒ずんだ筋と骨が露出している。その手が、先の割れた燭台を握っていた。
次に顔が見えた。
人の顔ではなかった。もともとは人の顔だったのだろうが頬は落ち、唇も半分ちぎれて歯が剥き出しになっている。燭台を握っていない右手には、錆びた鉈みたいなものをぶら下げていた。
「……なに、あれ」
『アンデッドよ』
ベルザリアが吐き捨てるみたいに言った。
『死にきれなかった肉よ。魂は薄いのに、体だけが食い続けて残っているわ』
アンデッドは、私を見た。
火を揺らしながら、鼻の奥の抜けた穴をこちらへ向け、そこでぴたりと止まる。
瞬間、そいつは喉で、錆びた蝶番みたいな音を鳴らした。両目が光った。
『来るわよ』
「うわぁ、来ないでよもう!」
叫び終えるより早く、アンデッドの動きが変わった。ふらついていたはずの体が弾けたみたいに前へ出る。
私は後ろへ跳んだ。アンデッドは間髪入れずに追ってくる。燭台を投げ、火が飛ぶ。
『首を落としても止まらないわよ』
「それで動くの!?」
『核は腹の奥ね。狙いなさい』
アンデッドが鉈を振り上げる。私は踏み込み、懐へ滑り込んだ。
腐った布と血と煙の匂いが鼻を刺す。叫びそうになるのを押し殺しながら、右手へ熱を流した。
『そこよ』
私はそのままアンデッドの腹へ拳を叩き込んだ。
皮の体に赤い亀裂が走る。
腹の奥で、何かが砕ける手応えがあった。次の瞬間、アンデッドの片目の光がぶつりと消える。
けれど、止まらなかった。
「えっ」
アンデッドの左手が、私の肩を掴んだ。信じられない力だった。私は左手に握っていた剣を振るい、その腕を肘から断ち切る。拘束が外れた。
『まだ完全に砕けていないわ。浅かったのね』
私は急いで距離を取った。アンデッドは腹に出来た亀裂のことなんて気にもとめず、まだこちらを向いている。
私は、今度は胸の奥の熱を、剣へ押し込んだ。
細い刀身が赤く縁取られる。その間にアンデッドが前へ出た。
その一歩に合わせて、私は踏み込んだ。腹の奥へ、刀身を根元まで突き立てる。
ずるり、と嫌な感触が走った。
瞬間、腹の奥に残っていたものが、剣ごと砕けた。アンデッドの体ががくりと折れ、そのまま膝から崩れる。
鉈が石を打って転がり、最後に喉の奥から空気が抜けるみたいな音がして、完全に動かなくなった。
静かになった。
私はしばらく、その場から動けなかった。ホラーに耐性がない私にとって、さっきまで動けていたのが奇跡のようだった。
『ぎりぎりね』
ベルザリアが言った。
その声には満足感が混じっていた。
『成長はしているようだけれど』
「……褒めてる?」
『まさか』
私はアンデッドの残骸を見ないようにして、ゆっくりと落ちた火の方へ進んだ。
床に転がった燭台だけは、まだ細く燃えていた。
私はそれを拾い上げた。柄は熱い。でも持てないほどじゃない。これがあるだけで、通路の先が見えやすくなる。
『このアンデッド、火を覚えていたのね』
「覚えていたって」
ベルザリアが呟いた。
『生きていた頃の名残よ。魔法や道具を使う癖だけが、腐っても残ることがあるの』
私は燭台を高く掲げた。橙色の火が壁の削れた跡を照らす。人の手で作られた道だった。完全に失われたわけじゃない。壊れながらも、まだ上へ続いている。
通路の奥では、強く風が吹いていた。
私は火を持ったまま、動かなくなったアンデッドを跨いだ。
「次もこういうのいる?」
『いるでしょうね』
「人型はいやだなぁ。怖いなぁ」
『慣れなさい』
その返事に、私は大きく息を吐いた。
火は揺れていた。
足取りは重い。
まだ地下の途中にいる。
相変わらずここがどこかは分からない。
それでも、火の届く範囲だけはよく見えた。




