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『人じゃないわ』


 あまりにもあっさりした言い方だった。


 火が近づく。


 最初に見えたのは、煤けた腕だった。皮膚はほとんどなく、黒ずんだ筋と骨が露出している。その手が、先の割れた燭台を握っていた。


 次に顔が見えた。


 人の顔ではなかった。もともとは人の顔だったのだろうが頬は落ち、唇も半分ちぎれて歯が剥き出しになっている。燭台を握っていない右手には、錆びた鉈みたいなものをぶら下げていた。


「……なに、あれ」


『アンデッドよ』


 ベルザリアが吐き捨てるみたいに言った。


『死にきれなかった肉よ。魂は薄いのに、体だけが食い続けて残っているわ』


 アンデッドは、私を見た。


 火を揺らしながら、鼻の奥の抜けた穴をこちらへ向け、そこでぴたりと止まる。


 瞬間、そいつは喉で、錆びた蝶番みたいな音を鳴らした。両目が光った。


『来るわよ』


「うわぁ、来ないでよもう!」


 叫び終えるより早く、アンデッドの動きが変わった。ふらついていたはずの体が弾けたみたいに前へ出る。


 私は後ろへ跳んだ。アンデッドは間髪入れずに追ってくる。燭台を投げ、火が飛ぶ。


『首を落としても止まらないわよ』


「それで動くの!?」


『核は腹の奥ね。狙いなさい』


 アンデッドが鉈を振り上げる。私は踏み込み、懐へ滑り込んだ。

 腐った布と血と煙の匂いが鼻を刺す。叫びそうになるのを押し殺しながら、右手へ熱を流した。


『そこよ』


 私はそのままアンデッドの腹へ拳を叩き込んだ。


 皮の体に赤い亀裂が走る。


 腹の奥で、何かが砕ける手応えがあった。次の瞬間、アンデッドの片目の光がぶつりと消える。


 けれど、止まらなかった。


「えっ」


 アンデッドの左手が、私の肩を掴んだ。信じられない力だった。私は左手に握っていた剣を振るい、その腕を肘から断ち切る。拘束が外れた。


『まだ完全に砕けていないわ。浅かったのね』


 私は急いで距離を取った。アンデッドは腹に出来た亀裂のことなんて気にもとめず、まだこちらを向いている。


 私は、今度は胸の奥の熱を、剣へ押し込んだ。


 細い刀身が赤く縁取られる。その間にアンデッドが前へ出た。

 その一歩に合わせて、私は踏み込んだ。腹の奥へ、刀身を根元まで突き立てる。


 ずるり、と嫌な感触が走った。


 瞬間、腹の奥に残っていたものが、剣ごと砕けた。アンデッドの体ががくりと折れ、そのまま膝から崩れる。

 鉈が石を打って転がり、最後に喉の奥から空気が抜けるみたいな音がして、完全に動かなくなった。


 静かになった。


 私はしばらく、その場から動けなかった。ホラーに耐性がない私にとって、さっきまで動けていたのが奇跡のようだった。


『ぎりぎりね』


 ベルザリアが言った。


 その声には満足感が混じっていた。


『成長はしているようだけれど』


「……褒めてる?」


『まさか』


 私はアンデッドの残骸を見ないようにして、ゆっくりと落ちた火の方へ進んだ。


 床に転がった燭台だけは、まだ細く燃えていた。


 私はそれを拾い上げた。柄は熱い。でも持てないほどじゃない。これがあるだけで、通路の先が見えやすくなる。


『このアンデッド、火を覚えていたのね』


「覚えていたって」


 ベルザリアが呟いた。


『生きていた頃の名残よ。魔法や道具を使う癖だけが、腐っても残ることがあるの』


 私は燭台を高く掲げた。橙色の火が壁の削れた跡を照らす。人の手で作られた道だった。完全に失われたわけじゃない。壊れながらも、まだ上へ続いている。


 通路の奥では、強く風が吹いていた。


 私は火を持ったまま、動かなくなったアンデッドを跨いだ。


「次もこういうのいる?」


『いるでしょうね』


「人型はいやだなぁ。怖いなぁ」


『慣れなさい』


 その返事に、私は大きく息を吐いた。


 火は揺れていた。

 足取りは重い。

 まだ地下の途中にいる。

 相変わらずここがどこかは分からない。


 それでも、火の届く範囲だけはよく見えた。

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