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斜面は見た目よりきつかった。
瓦礫と土と、何かの骨が混ざった足場は硬い。踏み込むたびに疲労が溜まった。
けれど、立ち止まっているのは嫌だった。
私は剣を片手に、もう片方の手で壁を探りながら斜面を上った。
斜面の途中から、空気が変わった。湿った獣臭の中に、乾いた風が大きく混じる。
私は足を止め、鼻先を上げた。
「これ、上からだよね」
『ええ。生きている空気だわ』
ベルザリアの声から、からかう響きが消えていた。
『この道は当たりよ』
その一言で、気持ちがはやった。
私は足を動かした。斜面はやがて細い通路へ変わった。両脇の岩肌が迫り、赤い髪がときどきざらついた壁に引っかかった。
床には獣の爪痕がいくつも刻まれている。ここを通るのは私だけじゃない。どこかで、何かが同じ道を何度も行き来している痕跡があった。
そう思ったところで、急に視界が揺れた。
「……え」
足元がぐらりとした。目の前の青白い光が一瞬だけ滲み、肺の奥が熱く軋む。疲労とは違う。もっと内側から、何かが空っぽになっていく感じだった。
『止まりなさい』
ベルザリアの声が鋭くなった。
「なに、これ」
『力を使ったでしょう』
「使ったけど」
『あれはただの力じゃないの。あなたが雑に振り回したぶん、体の内側も削れているわ』
「それこそ先に言ってよ!」
『言ったところで、聞く余裕はあったの?』
私は言い返そうとして、息を詰まらせた。
たぶん、なかったから。
壁に寄りかかったまま、ゆっくり息を吐いた。体の奥が乾いている。何かを求めて体がざわついていた。
『空になった分は、埋めるしかないわ』
「埋めるって、どうやって」
『食べなさい』
「え?」
『死にたくないなら、食べるしかないわよ』
「食べ物とか持ってないんだけど、もしかして」
『そうね。そこらに落ちてる魔物でも齧りましょう』
「絶対、やだ」
『そんなことを言っている余裕があるなら、まだ平気ね』
その直後に腹の底がきゅうと縮んだ。今度は完全に空腹に近い感覚だった。
人間だったころの空腹とは違う。もっと乱暴で、直接的。血の匂いが、いきなり妙に魅力的に思えてしまう。
「……最悪だ」
『そうでしょうね』
ベルザリアは楽しそうだった。
『体はそういうものよ。力を使えば、埋めないといけないわ』
私は唇を噛んだ。そうしないと何かが零れそうだった。
そのとき、通路の先でかさりと音がした。
顔を上げる。
薄暗い岩陰から、小さな影がこちらを窺っていた。犬くらいの大きさ。痩せた胴に、やけに長い耳。脚は四本なのに、背中には膜みたいなものが畳まれている。
蝙蝠と狐を無理やり継ぎ合わせたみたいな、変な生き物だった。
そいつもこっちを見ている。
空腹の目で。
『ちょうどいいわ』
「いや、よくない!」
影はすぐに飛びかかってきた。私は急いで剣を振る。細い体が空中で裂け、岩肌にぶつかって落ちる。温かい液体が一筋、頬へ飛んだ。
腹の奥がひどく鳴った。
獣。
血。
肉。
まずい、と思ったときにはもう遅かった。私は剣を投げ捨て、その生き物の死骸へ近づいていた。頭では嫌だと思っているのに、体のほうが先にしゃがみ込む。歯が疼く。
『食べなさい』
「……っ」
『ここから出たいのなら』
私は震える手で、首元を掴んだ。まだあたたかかった。ありえない。こんなことしたくない。したくないのに、胸の奥の果てない飢えが、それ以上に強かった。
私は目を閉じて、噛んだ。
吐きそうになる。実際、喉の奥まで吐き気は上がった。でも、飲み込んだ。
満たされる感覚が来て、私は我に返った。慌てて残骸を放り投げ、壁に手をつく。
「う、わ……やっちゃった……」
『美味しそうに食べていたわよ』
ベルザリアは楽しげに言った。
『それで、戻ったでしょう』
私は荒く息を吐いた。たしかに、さっきまでの目眩は引いている。腹の底は、もう暴れていない。
助かった。
その事実と、自分がしたことが、同時に胸の中へ落ちてきて、どうしようもなく気分が悪かった。
「やだなぁ。こんなの、ずっと続くのかなぁ」
『当たり前よ。力を使えば、ね』
「うげぇ……」
『無駄に力を使わなければいいわ。できるならね』
私は口元を拭った。剣を拾い直し、通路の先を見る。一刻も早くここを出ないといけない理由が、増えたのだ。
通路はその先で広がっていた。壁に古い灯り台みたいな窪みがいくつも並んでいる。人の痕跡だった。床にも擦れ跡がある。魔物の爪だけじゃない。もっと硬い靴底みたいな筋も、ところどころ残っていた。
「……人も通ったんだ」
『ええ。ここまで来るなんて大したものだわ』
ベルザリアが素直に言った。
『まあ、無事に帰れたとは思わないけれど』
そのとき、通路の奥から風が吹いた。
しっかりと乾いている。
しかも、どこか煙みたいな匂いが混じっていた。
『止まりなさい』
ベルザリアが言った。
私はすぐに足を止めた。
「なに」
『前にいるわ』
次の瞬間、暗がりの奥で、小さな光がぽつりと灯った。
火だ。
誰かが、向こうで火を使っている。
私は息を止めた。
敵じゃないかもしれない。
でも、害がないと決めつけるには早すぎる。
細い通路の先で、火の明かりがもう一度、揺れた。




