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東京百鬼パレード 〜烏天狗アカリのお勤め日誌〜  作者: Studio_Anko


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9/11

第9話 秋葉原ネカフェラビリンス

 秋葉原の空気は、情報のゴミが交じって乾いている。

 

 電気街口を出た瞬間、アカリは反射的にパーカーのフードを深く被り直した。不特定多数の視線、極彩色の看板、濁流のような電子音。情報の密度が高すぎて、空気が肌をチリチリと刺す。

 

「ほんとっ、ここって情報が渋滞してるよね」

 

 アカリは独り言を漏らし、人流を縫うように歩く。今日の装備は軽装だ。烏天狗の「お勤め」用の正装ではなく、街に溶け込むための厚手のパーカーに、カンガルーポケットには扇を忍ばせている。

 

 上空。電柱から電柱へと飛び移る、一際大きな黒い影。

『アカリ。……地元のカラスが囁くのは、万世橋の先だ。店名は「ラッキーホーム」』

 

「了解。……朝から三軒回ったけど、どこも普通のネカフェ。もう、満喫したい……」

 

 液晶モニターが壁面を埋め尽くす路地へ入る。

 秋葉原には、奇妙な噂が絶えない。「開かずの個室」、「一時間滞在したつもりが外は夕暮れ」、「ずっと同じ書棚が続く」。都市伝説の類ではあるが、東京の秩序を守る烏天狗としては看過できない。

 

 ジャンク品が積み上がった路地の奥。看板を見つけた。

 

 【ネットカフェ・ラッキーホーム:24時間営業】

 

 一見、どこにでもある古びた店舗だ。

 だが、自動ドアの前に立った瞬間、肌に微かな「チリッ」とした帯電の感触が走った。

 

「……見つけた」

 

 鼻を突くのは、古い空調の匂いと、微かなよどみの残り香。

 アカリはドアを押し開き、秋葉原の喧騒を背に、静まり返った内部へと足を踏み入れた。

 

     *

 

 受付には誰もいなかった。

 

 呼び出しベルが一つ。横には「空席状況:満席(調整中)」の札。

 手続きなしで中へ入る不快感があったが、奥から来る澱みは無視できない。

 

「おじゃましまーす……」

 

 一歩踏み込むと、背後の自動ドアが閉まる音がやけに遠くに聞こえた。この瞬間、店外の気配が完全に遮断された。

 

 通路に入ると、一見すると普通のネットカフェなのだが、そこだけ不自然な妖気が漏れていることに気づく。何か、特定の領域へ迷い込んだような――強力な結界の感触。

 

 通路の角。足元の絨毯が、妙に粘つくような感触。三メートル先に置かれた、半分だけ中身の入った紙コップ。

 角を曲がる。

 また、同じ絨毯の感触。同じ位置に、同じ凹みの紙コップ、ドリンクバー、ソフトクリームマシン。

 

「……これ、ループじゃない。空間を継ぎ接ぎ(パッチワーク)してるんだ」

 

 アカリは足を止めず、奥へ奥へ進んだ。

 コーヒー切れのドリンクバー、年期物のソフトクリームマシン。受け皿に付いた、一週間前からのものと思われる微かな汚れ。

 通路を十歩、再び右へ。

 

 また、同じ汚れのあるソフトクリームマシン。

 

「甘い物……甘い物……甘い物……あの誘惑、強すぎっしょ……。」

 

 とりあえず、目印代わりに漫画棚から一冊抜き出し、通路の角に置いた。

 そのまま一巡。漫画は消えていた。代わりに部屋番号が「103」から「108」へと飛んでいる。

 

「あー、もう、面倒。……こういうの、ほんと性格悪いよ」

 

 逆走を試みる。

 本来なら受付に戻るはずの扉を開ける。だが、そこには見たこともないほど長い漫画棚の列が、どこまでも続いていた。戻ることで、より深い反復へと引きずり込まれる。

 

 一時間。あるいは二時間。

 景色が摩耗し、時間感覚が溶ける。体力が削られる。

 足腰には、同じ景色を歩き続ける特有の重い疲労が蓄積していく。

 

 普通の侵入者なら、ここで「偽の出口」に誘導され、外とは別の場所に吐き出されるだろう。

 

「見つけるまで帰してくれませんよね……」

 師匠の顔が一瞬、頭をよぎる。

 

 二時間近く歩かされたところで、さすがに足が止まった。

「……さすがに……」

 同じ通路、同じ漫画、同じ棚、襲い掛かるサイクル。

 目印の本は今、何週目かをはっきり教えてくれる……。

 アカリは一度目を閉じた。

 視界じゃない。別の感覚に切り替える。

 ポケットから扇を出し、軽く返す。

「……凪」

 広く、薄く、店内の空気を一枚撫でるみたいに風を流した。

 ざらついていた空気が、ふっと均される。

 カタカタと続いていた打鍵音が遠のく。

 小さく鳴っていたマウスのクリックが沈む。

 空調の低い唸りが、床の方へ落ちる。

 どこかの個室から漏れていた、湿ったいびきも薄くなる。

 寝返りを打つ気配。椅子のきしみ。喉の奥で詰まるようなうめき声。

 ばらばらだった生活音が、一度だけ、同じ高さまで揃った。

 その静けさのあとで、残る音を聴く。

 カチ。

 遠い。

 ……カタ。

 それも違う。

 右は浅い。

 左は同じ。

 奥だけ、遅い。

 クリック音でも、いびきでもない。

 人が中にいる時の響き方じゃない。

 何かを挟んで、向こう側から返ってくるみたいな、妙に鈍い遅れ。

「……あー。そこか」

 突き当たりの壁。

 見た目はただの行き止まりなのに、そこだけ音の返りが悪い。

 空気が一枚、遅れて戻ってくる。

 アカリは息を整えた。

「性格悪……ほんと」

 一歩、踏み出す。

 踏み出した先には、スタッフ専用と書かれた、一際古びた扉があった。

 

     *

 

 扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、青白い光の洪水だった。

 

 狭い個室内。

 壁三面を埋め尽くすモニタ群。

 椅子を逆さにして座り、フードを被ったままモニタを凝視している人影。足元にはポテチの袋。

 

「……はあ。見つかっちゃった」

 

 だるそうなボクっ子の声。アカリは扇を構えたまま、立ち尽くした。

 禍々しい怪異を想定していたため、あまりの脱力感に耳の下が熱くなる。

 

「元凶? ボクはただ見てるだけ。人間さんたちがウロウロしてるのを眺めて……ボクが居るだけで、勝手にこうなっちゃう。……めんどくさい」

 

「……最悪。これ、ほんとに本人がやる気ないやつだ」

 

 アカリは独り言を漏らし、扇を納めた。影――ニコが、椅子を回転させてアカリに向き直った。

 隈の浮いた瞳。中性的な顔立ち。ポテチをつまむ指先に、青白いモニタの光が反射している。

 

「……キミ、面白い。普通、そこまで根性で跨ぎ越してこない」

 

「お陰で足が棒だよ。……ここに居着いて何を企んでるの」

 

「企まない。会いたくないやつを追い払って、ボクが一人で遊ぶだけ。……あー、もういい。見つかったからボクの負け」

 

 ニコは空中にQRコードを投射した。

 

「これ。LINE。ボクの気が向いた時だけ返信する」

 

「……お勤め、ご苦労さまです、自分」

 

 アカリは自嘲気味に呟き、スマホを取り出した。

 

「じゃあね、烏天狗」

 

「あ、ちょっと……」

 

 ニコが指を弾く。

 

「あ。最後に一つ……。」

 

 ニコの瞳が、初めてモニタを離れ、アカリを射抜いた。

 その瞳には、目の前のアカリではなく、複数のモニタを同時に眺めている時のような、奇妙に焦点の分散した「観測者」の光が宿っていた。

 彼女はそこに座っているが、存在の半分は電子の海に溶け出している。まるで、ネットカフェの個室という箱そのものが、ニコという怪異の外殻であるかのように。

 (……あ、期間限定のポテチの匂い……。一枚、いい? とか言える雰囲気じゃないか、さすがに)

 

 口にポテチを放り込みながら、ボソッとニコが言った。

「……ネズミに気を付けて」

 

「……?」

 

     *

 

 「ラッキーホーム」の自動ドアを出ると、外はもう、オレンジ色の夕闇に包まれていた。

 

 アカリは大きく伸びをした。

 足腰には、一日中迷宮を彷徨い続けた凄まじい疲労が蓄積している。

 

 上空。街灯の上に、大きな烏。

『アカリ。……終わったか。無事ならいい』

 

「今、縁起でもないこと言いかけたでしょ」

 

 アカリは呟き、スマホの画面を確認した。

 「ニコ」という無機質な名前の連絡先が、一つ増えていた。

 

「……歩きすぎ……。あー、膝笑う……」

 

 アカリは重い足取りで歩き出した。

 ネオンが灯り、情報の波が再び押し寄せてくる。

 夕闇に滲む秋葉原。その底知れなさを背中に感じながら、アカリは帰路についた。

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