表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東京百鬼パレード 〜烏天狗アカリのお勤め日誌〜  作者: Studio_Anko


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/8

第8話 後楽園デッドストック

 東京ドームの白い屋根が、照明の光を照り返して夜空に白く浮き上がっていた。

 ドーム内でのイベントが終わった直後なのだろう。外周デッキは、吐き出された数万人の熱量で飽和していた。色とりどりの推し色のペンライトをバッグに忍ばせた人々、疲れと高揚を顔に張り付けた若者たち、メガホンを片手に「止まらずにお進みください」と叫び続ける誘導員。

 人、人、人。

 後楽園という街は、絶え間なく人が吸い込まれ、吐き出されている。ドーム、ラクーア、駅、そして地下へと続く無数の通路。それらが階段やエスカレーターで複雑に繋がり、常に膨大な「流れ」を回し続けている。

 アカリは、その流れを逆行するように歩いていた。

 羽織の襟を立て、扇子を帯に深く差し込む。周囲の喧騒は耳を刺すが、アカリの意識はもっと別の場所に、もっと「深い層」へ向いていた。

 風の噂が、アカリの耳を打っていた。

 新橋であれだけの騒ぎがあった直後だ。後楽園の、「肺」のあたりが不穏な脈動を始めているという報告を、アカリは単なる偶然とは思えなかった。

 普通なら意識もされない、都市の排気や循環の継ぎ目。その一部が不自然に冷え、固まっているのを、アカリは風の揺らぎ越しに感じ取っていた。

「……表はこんなに賑やかなのにね」

 独り言は、誘導員の「丸ノ内線をご利用の方は左手へ!」という怒号に呑み込まれた。

 誰も気づかない。このデッキの真下、鉄筋とコンクリートの迷宮の中で、静かに澱みが育っていることに。

 後楽園。先に憂い、後に楽しむ。この土地はずっと昔から、人を楽しませるために造られてきた。遊園地、温泉、球場。

 数万人ぶんの歓声と興奮。それは発散されるだけではなく、コンクリートの層を透過して、地下の閉鎖回路へとじわじわと沈殿していく。

 アカリは、足裏から伝わる微かな「震え」を感じ取った。それは電車の振動ではない。処理しきれなくなった熱狂の残滓が、出口を求めて地下通路の壁を叩く音だ。

 (……うわ、重……。帰ったら肩まわそ……)

 アカリはラクーアの華やかな照明を背に、一般客が足を踏み入れることのない、重い鋼鉄の扉の前で足を止めた。

 密閉されているはずの扉の隙間から、澱んだ影のような冷気がわずかに漏れ出している。

「……ここだね」

 誰に聞かせるでもなく呟き、アカリはそっと扉の取っ手に手をかけた。

 本来なら施錠されているはずのそれは、内側の不全が物理的な歪みとなって現れているのか、あるいは都市の結界が緩んでいる証拠か、抵抗なく音もなく、奥へと吸い込まれるように開いた。

 扉を閉めた瞬間、世界から音が消えた。

     *

 保守通路。

 そこは、太い配管と束ねられたケーブルが壁を埋め尽くす場所だった。

 天井からは無数のパイプが剥き出しになって並び、壁には太い導線が這い回っている。蛍光灯の青白い光が、等間隔に死んだような影を落としていた。

 表とは対照的な、無機質な静寂。だが、アカリはその静寂の中に、異様な重みを感じ取っていた。

 一歩、踏み出す。

 コンクリートの床が、結露もなしに冷え切っていた。空調の吹き出し口を見上げる。一定の周期で吐き出されるはずの風が、呼吸を止めたように黙り込んでいる。

 本来なら機械の振動と風切り音が満たしているはずの空間が、何かに塗り潰されたように動かない。

「空気が、腐ってる」

 アカリは鼻を微かに動かした。

 それは死の匂いというより、使い古された「澱み」が長期間滞留したあとの、生理的な不快感を伴う臭気。

 通路の奥、闇の向こうからコンクリートを硬いもので掻くような音が響いてきた。

 ガサガサガサ――。

 巨大な蜘蛛か、あるいはもっと大きな、おぞましい何かが蠢くような乾いた音。

 アカリが視線を向けた先、配管と配管の間、ケーブルダクトの影、そして天井の四隅で、その正体が姿を現し始めた。

 真っ白な「何か」が、不規則な節を連ねて、壁一面に絡みついている。

 一見すれば、それは巨大なムカデの抜け殻のようにも見えた。だが、その一節一節には、肋骨の湾曲、椎骨の突起、大腿骨の膨らみといった骨固有の造形が、不規則な順序で連結されていた。

 人の骨ではない。動物の骨でもない。

 よく見れば、節のひとつひとつに鉄筋の錆びた断面や、配管フランジの歪んだ縁が透けている。都市のインフラそのものが、循環を止められた結果、有機的な形へと退化したもの。壊死した血管が固まるように、死んだ導線が骨に変わっていた。

 骸骨のムカデ。後楽園の地下で、人知れず育った不全の塊。

 そいつは、人知れず増殖していた。

 本来あるべきはずの空気の通り道を塞ぎ、空調の回転を、骨の檻の中に閉じ込めていく。

「……これか」

 アカリは扇子の柄を握り、指先に微かな力を込めた。

 ここでは大きく翼は広げられない。

 雑に風を放てば、この密集した配管を、制御を失った電気系統を、そして――。

 天井を見上げた。

 コンクリートの層を隔てたすぐ上に、今もイベントの余韻に浸りながら歩く数万人の足音が、微かな振動となって伝わってくる。

 アカリは深く息を吐き、澱んだ空気の中で、静かにその目を細めた。

     *

 カチ、という乾いた音が通路に反響した。

 天井の隅に絡みついていた白い節が、わずかに動く。

 一つ、二つ――いや、無数。

 次の瞬間、壁に張り付いていたそれらが、一斉に剥がれた。

 骨の小片。

 指の骨ほどの節が、床へ、壁へ、天井へと散りながら、音もなく走る。

「……細かいのが、来るんだ」

 アカリは扇子を開いた。

 最初の一匹が足元をかすめる。

 反射で扇を振る。

 乾いた音。

 骨が弾け、壁に叩きつけられる。

 だが、次が来る。

 床を這うもの、配管を伝うもの、ケーブルの隙間を縫うもの。

 数が多い。

「ちっ……」

 扇を返す。

 風を浅く広げる。

「――風刃・連」

 細かい刃が散る。

 小さな骨の節がまとめて弾かれ、床に転がる。

 だが、止まらない。

 踏み込む。

 もう一度、叩く。

 床に散った骨片が、わずかに動いた。

 寄る。

 擦れる音。

 噛み合う音。

 節と節が、勝手に繋がっていく。

「……ああ、そういうこと」

 アカリは足を止めた。

 散らしたはずの骨が、床の上で線を描くように集まり始めている。

 さっき叩き落とした節も、壁から剥がれたものも、全部だ。

 やがて、それは一本になる。

 白い連なり。

 関節が噛み合い、長い胴が形を持つ。

 ムカデ。

 今度は、さっきよりも長い。

 通路いっぱいに広がるように、節が並ぶ。

「壊すと、繋がる……か」

 叩き落とせばそれだけ、次はもっと大きな形になって寄ってくる。

 不用意に散らせば、かえって不快が連鎖するだけだ。

 骨の頭部が持ち上がる。

 肋骨みたいに湾曲した先端が、こちらを向いた。

 来る。

 突き出される。

 アカリは身を落とし、骨の腹の下を滑り抜けた。

 背後で、壁が削れる音が鳴る。

 このまま叩き続ければ、また増える。

 散らすな。

 集めろ。

 通路の先を一瞬だけ見た。

 角の向こう、縦に抜ける空間。

 換気シャフト。

 アカリは一歩、踏み出した。

 逃げるように見せて、誘う。

 骨の連なりが追う。

 節が壁を掴み、天井を叩き、距離を詰める。

 通路を曲がる。

 シャフトの縁に出る。

 迷わず、落ちる。

 闇の中へ。

 背後から、骨の音が降ってくる。

 壁面に絡みつきながら、螺旋を描いて追ってくる。

 いい。

 縦に伸びる。

 バラけない。

 アカリは落下しながら扇を開いた。

「――芭蕉」

 風を叩きつけるのではなく、引く。

 シャフトの中の空気を、一方向へ絞る。

 落ちる流れに沿って、骨の連なりが中央へ寄る。

 壁から剥がれる。

 節が滑る。

 逃げ場を失う。

 一本の線になる。

 長く、まっすぐに。

 それでも、節はまだ動く。

 繋がろうとする。

「そこ」

 アカリの目が細くなる。

 節と節の継ぎ目。

 わずかにズレている箇所。

 連結の甘いところ。

 扇の要を押さえる。

「――風刃・断」

 振り下ろす。

 音は、ほとんどない。

 ただ、線が切れる。

 一本だった骨の連なりが、数か所でずれる。

 繋がりが外れる。

 その瞬間、長さを保てなくなった骨が崩れた。

 だが、節の切断面が磁石のように互いを引き戻し、再び噛み合おうと空中で跳ねる。

「……寄らせないよ」

 アカリは懐から一枚の護符を取り出し、扇の要に押し当てた。

「――焔走」

 風に、朱が混じる。

 激しい爆炎ではない。ただ、風の通り道に沿って、鋭い火が走った。

 ばらけた骨の一節一節に、瞬時に焼きを入れていく。

 繋ぎ目を焼かれ、再結合の余地を奪われた骨が、もろく乾いた音を立てて砕け散った。

 二度と線を繋ぐことなく、白い塵がシャフトの底へと霧散していく。

 アカリは、落下の直前で風を足場に変えた。

 着地。

 静寂。

 もう、動く音はしない。

 ただ、シャフトの底に足を着けたまま、アカリは少しだけ耳を澄ませた。配管の継ぎ目から微かな軋みが残っている。骨は消えた。けれど、ここに澱みが溜まった理由は消えていない。インフラは古く、人の流れは明日も増える。遠くない先に、また詰まる。

 分かっている。だから、今夜の分だけ片づけて帰る。それが仕事だ。

     *

 数分後。アカリが保守通路の扉を開けて地上へ戻ると、世界はまた別の表情を見せていた。

 ドームシティのデッキから、人の波は引いていた。

 あれほど賑やかだったナトリウムランプの下には、今はポツポツと深夜の帰宅者が歩いているだけだ。

 だが、地下から這い出してきた時の「澱み」は、もうどこにもなかった。

 遠くで、止まっていた空調のファンが「キュイーン」と高い音を立てて回り始めるのが聞こえた。

 エスカレーターの駆動音が、規則正しいリズムを取り戻す。

 止まっていた空気が動き出し、街がまた、次の朝に向けて呼吸を整え始めた。

「……お腹、空いちゃったな」

 アカリは肩をすくめ、羽織に付着したコンクリートの粉を指先で払った。

 時計は深夜の二時を回っている。水道橋駅へ向かう道すがら、どこかで開いている店はないかと探すが、結局見つかるのは自販機の明かりだけだった。

 アカリは誰もいない横断歩道を渡り始めた。

 ふと、足を止めて振り返った。東京ドームの白い屋根が、まだ夜空にぼんやりと浮かんでいる。さっきまであの下で歓声を上げていた数万人は、もう布団の中だろう。誰も、自分の足元の骨のことは知らない。

 それでいい、とアカリは思う。

 流れるべきものが、当たり前に流れている。

 それを守るのが、今夜の自分の仕事だったのだから。

 夜風が、アカリの羽織の裾を軽く揺らして通り過ぎていった。

 さっきまでの澱んだ臭いのない、ただの夜の風だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ