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東京百鬼パレード 〜烏天狗アカリのお勤め日誌〜  作者: Studio_Anko


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第2話 渋谷ドドメキスクランブル

 目に囲まれていた。

 上も、下も、右も左も、ぜんぶ目。

 水の底みたいに揺れる暗い空間に、無数の黄金色の瞳が浮かんでいる。開いて、閉じて、また開く。瞬きするたびに、アカリの顔が映っては消えた。

 ひとつだけ、やけに大きな目がある。

 渋谷のスクランブル交差点くらい、遠慮なくこっちを見てくる目だ。

 アカリはその前で、できるだけ冷静に、平常心を保とうと努めた。

「よりによって、こんな目に囲まれるなんてね。……笑えない冗談でしょ、これ」

 これ、ただの覗き見とかそういうレベルじゃない。人間の生活に興味を持ちすぎた“お目目”が、渋谷のど真ん中で膨れ上がった結果が、これだ。

 なんでこんなことになったのか。

 話は、少しだけ昨日までさかのぼる。

     *

 渋谷は、巨大な「谷」だ。

 坂を下れば下るほど、情報の解像度が上がっていく。頭上を覆うスカイライン、ガラス張りの『渋谷スクランブルスクエア』の巨大な壁面が、街を見下ろす捕食者の眼差しのように冷たく光っている。

 朝でも夜でも、絶えず誰かの視線と欲望が交差する。109のシリンダーから放たれる派手なデジタルサイネージ、ビジョンを埋め尽くす広告の熱量。見られたい人と、つい見たくなるものが、街の底に重厚な淀みを作っていた。

 アカリはマークシティの連絡通路、高い場所にあるガラスの縁に腰かけて、行き交う人々の「頭頂部」を数えていた。すぐ近くの看板の縁に、クロマルが音もなく降り立つ。

「三日前から噂が集まってきた」

 いつもの調子で、前置きなし。

「『誰かに見られている』という話だ。最初は数件。それが昨日には数十件に膨れ上がった。中央交差点周辺、密度が異常だ」

 アカリは足をぶらつかせたまま、下を見た。スクランブル交差点を、アリの群れが四方から塗り潰していく。

 スマホの画面に目を落としたまま自撮りをする観光客、ガラスに映る自分を無意識に整えるスーツ姿の男たち。この街では、誰もが「見られること」を前提に呼吸している。けれど、たまにいるんだよね。急に首筋をさすって振り返る人とか、何もない空間を二度見する人とか。

「あ、確かに。人の数より、確実に目が多いね。……粘ついてる」

「ああ。ドドメキだ」

 クロマルが同意するように言った。

 本来は物陰からそっと見守る程度の、臆病な妖のはずのドドメキ。

「つまり、みんなが見せたがるから、あいつも見すぎたってことね」

 アカリは立ち上がって、手すりに軽く指を沿わせた。金属のひんやりした触感。

 視界のどこを切り取っても、デジタルサイネージの残像が網膜を刺す。ここはドドメキにとっての、無限供給の餌場だ。好奇心を食い、視線を取り込み、街の構造そのものを使って肥大化している。

 アカリはため息混じりに笑った。

「で、その結果、今日のお勤めってわけね。……ほんと、休ませてくれないんだから」

 クロマルは返事をしなかった。しなかったけど、たぶん“それが役目だ”くらいには思ってる。こういうところ、ほんと容赦ないんだよね。

     *

 異変は、地下のほうが鮮明だった。

 ハチ公前広場の、熱を持った排気と油の匂いが入り混じる地上の喧騒。それを背にエスカレーターを下りると、空気が急に湿り気を帯び、一段重くなる。

 田園都市線と副都心線が交わる深い地下層。タイル張りの壁は結露しそうなほど冷たく、人の足音だけが規則的に反響して、耳を圧迫する。地上のような派手なサイネージはないが、代わりに「停滞」した情報の澱みが、換気の追いつかない通路の隅に溜まっていた。

 アカリは、複雑に入り組んだ「地下導線」の案内板を横目に歩く。

 その途中、角を曲がる瞬間のアクリル板の反射の中に、ひとつ、余計なものが混じる。

 目だった。

 去りゆく人の影に紛れて、ぬるっと浮かぶ黄金の瞳。消える直前、その虹彩がわずかに傾いた。カップルが繋いだ手の、指と指の隙間。目はそこだけを追っていた。瞬いたと思ったら、もう消えている。

「……いるね」

 アカリは小さくつぶやいた。ただ覗いてるだけじゃない。街の表面に、かなり近いところまで滲み出してきている。本来のドドメキの距離感じゃない、これは。

 地下通路へ、あるいはスクランブル交差点の真ん中へ。

 地上へ出たとき、それははっきり形になった。

 雑踏の真上。巨大な広告の光を受けるビルのガラス面に、黄金色の目が、ぬっと浮かび上がっている。片目だけなのに、街じゅうを見下ろしているみたいな圧があった。

 いや、違う。圧じゃない。飢えだ。瞳孔が限界まで開ききっている。光を吸い込むように黒が広がり、まばたきの間隔が異様に短い。見逃したくない。一秒でも多く、一人でも多く。その貪りが、目の大きさそのものになっていた。

 人間たちはまだ気づいていない。でも、うすうす感じてはいるんだと思う。意味もなく上を見る人。首筋をさする人。見えないものに視線を撫でられると、人はちゃんと気味悪がって、足早に去っていく。

「クロマルの言う通り……この街、ドドメキには刺激が強すぎるよね」

 アカリは交差点の端で立ち止まったまま言う。

 誰かの持ち物、今日の予定、誰へ向けるでもない感情。そういうものが、スマホの画面やガラスの向こう側から、絶えず溢れ出している。見たいものと見せたがるものが、このスクランブル交差点で混ざり合って、熱を持っている。

「でも、だからって好き放題していいわけじゃないよね。――姿を見せなさい、ドドメキ。」

 黄金の目が、ぴくりと揺れた。

 次の瞬間、ビルの窓、広告、鏡、あらゆる反射面から目が滲み出してきた。あちこちに開いた瞳が渦みたいにつながって、ひとつの輪郭を作り始める。

 人の形に近い、けれど人じゃない。

 無数の視線だけで編まれたような、不安定でいやらしいシルエット。

「烏天狗衆アカリのお勤めとして、人と妖の境界を侵した罪を正させてもらうよ」

 言い切って、扇子を一閃させた。

「風刃・断――!」

 けれど、鋭い風が捉えたのは、相手の体じゃなかった。

「……えっ」

 景色が、唐突にひっくり返る。

     *

 目だ。また目。

 さっきより近い。さっきより多い。

 瞳のトンネルの中を、アカリはどこまでも落ちていた。

「この感じ……っ」

 上下も左右もわからない。ただ「見られている」という感覚だけが、皮膚を突き抜けて頭の中まで裏返してくるみたいだった。

 しかも、全部同じ目じゃない。大きく見開いた目、すっと細められた目、忙しなく瞬く目。ひとつはアカリの襟元の刺繍を舐めるように追い、別のひとつは唇の動きに貼りついている。また別の目は、涙腺のあたりをじっと覗き込んでいた。ひとつひとつが違うものを見ようとしている。暴力じゃない。ただ「見たい」が制御を失っているだけだ。だからこそ、気持ち悪い。

 その混濁した光景の中に、ふっと、ひとつだけ違う記憶が混ざった。

 あったかい背中の感覚。

 誰かに抱えられて、風の強い場所を飛んでいた風景。

「背中……あったかいなぁ」

 思わず口から漏れる。

 狐の面を被った、師匠の声。高い声じゃない、でも、やわらかい声。

『アカリ、呼吸だ。自分の呼吸を数えろ』

 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。今はもういない、あの人の温もりが、一瞬だけ指先を掠めた気がした。

「……師匠」

 どこ、いったの。

 その問いに答えるように、ばさばさっと激しい羽音が割り込んできた。

     *

「アカリ!」

 クロマルの、短く、鋭い警告。

 視界の端を、無数のカラスの影が横切った。黒い羽が重なり合い、アカリを全方位から射抜いていた黄金の瞳を、物理的に遮断していく。

「……っ」

 一瞬の、視線の空白。

 その隙間に、師匠の声が入り込んできた。

『アカリ、呼吸だ。自分の呼吸を数えろ』

 アカリは片膝をついたまま、深く、肺の奥まで空気を吸い込んだ。

 自分の肺が風を孕む。吐き出す息が、外の気流と混ざり合う。

 (……そうだった。風は、外から吹いてくるだけじゃない。自分の内側にも、風の種はあるんだ)

 心拍が落ち着く。視線の重圧から、意識を切り離す。救われたんじゃない。アカリが、自分の風を、もう一度掴むための準備だ。

 彼女はゆっくりと地を蹴り、立ち上がった。

 目のヒトガタは、まだそこにいる。無数の視線が、消費されるのを待つ商品のような熱を持って、こちらを射抜いていた。

「ドドメキ……おまえさぁ。ひとの内側まで覗き見するとか、デリカシーなさすぎ。……でも、おかげで目が覚めたよ」

 扇子を握り直す。

 鼻を突くのは、アスファルトの照り返しと、桜丘の再開発現場から流れてくる砂埃の匂いだ。都会の不純物が、谷底の風に乗って渦を巻いている。

「臨機応変、だよね。……師匠」

 深く、肺の奥まで「空気」を吸い込む。

 交差点の四方から吹き下ろす、ビル風の複雑な交差。アカリはその流れの中心、一番風が荒れている場所を見極めた。

「巻きあがれ――『芭蕉』!」

 扇子を地を這うように振り抜く。

 路面の隙間、そして現場フェンスの影に溜まっていた「渋谷の粒子グリット」が一気に舞い上がった。乾いた砂埃、コンクリートの砕屑、排気の塵。それらが猛烈な勢いで空中を塗り潰していく。

 ビルの壁面に張り付いた目の群れが、一斉に瞬きを繰り返し、涙を零した。

 風だけで押し流すんじゃない。都会の痛みそのものを、ドドメキの過剰に開かれた『視線』の中に叩き込む。

「そのいやらしい目は、少し閉じてもらうよ。――晒されれば、どんな目も閉じざるを得ないのが道理でしょ!」

 粒子の唸りに耐えきれず、無数の視線が潤み、ひきつり、ひとつ、またひとつと光を失っていく。

 閉じる寸前、最後に残った一対の瞳が、ぐっと絞られた。渋谷の雑踏を、ネオンを、すれ違う人の横顔を――閉じてしまう前に、もうひとつだけ焼きつけようとするように。その瞳孔の収縮が、声のない悲鳴みたいだった。

 黄金の輝きは濁り、やがてヒトガタは形を保てなくなって、夜の不純物の中にふわりと霧散した。


     *

 しばらくして、交差点のざわめきが元の調子に戻り始めた。

 信号が青になり、人間たちはまた自分たちの用事へと歩き出していく。渋谷という街、異常に対する回復速度が妙に高い。

 アカリは道路脇の高いフェンスに腰を下ろして、まだ空中に残っていた小さな目を見つめた。

「少し、落ち着いた?」

 その小さな目は、ぱち、と一度だけ瞬いた。

「好奇心自体は、嫌いじゃないんだけど。……でもね、今のあなたは踏み込みすぎた。次はもっと、賢くやるんだよ」

 目は黙ったまま漂っている。逃げるわけでもない。ただ、まだ見たい。さっきまでの貪るような凝視ではなく、少し離れたところから、そっと覗くような。物陰から遠慮がちに世界を窺う、本来のドドメキの距離感に戻っていた。

「でもさ。やり方はひとつじゃないと思うよ。……今の時代、もっと安全な“窓”があるんだから」

 アカリは少しだけ声を和らげた。上空でその様子を見ていたクロマルが、静かに眺めていた。

 彼女は笑って、スマホを操作した。

 「新しい好奇心の満たし方を教えてあげるだけ」

 アカリはクロマルの方を見て、小さく目配せした。

     *

 翌日。

 日当たりのいいカフェで、アカリはのんびりクレープを食べていた。昨日、渋谷でゆっくり甘いものを楽しめなかった恨みは、ここで晴らす。

 クロマルが、向かいの席に降り立つ。

「変な噂を聞いたぞ。渋谷で、勝手に動くタブレットが話題になっているらしい」

「あはは、いい子にしてるみたいだね」

 カフェの窓際、展示用に置かれたタブレットの画面が、ぴかっと一瞬だけ光る。誰も触っていないのに、動画アプリが次々と画面を切り替えていく。

 料理動画。猫のライブカメラ。海外の街角。深海の映像。

 どれも“見たいもの”が詰まった映像ばかりだ。

「やり方をひとつ教えてあげただけ。世の中には、誰かを覗かなくても見られるものが、こんなにいっぱいあるんだもの。ドドメキの好奇心も、これなら誰の迷惑にもならないでしょ?」

 クロマルはしばらく無言だった。それも烏天狗の裁量だ。

 でも、タブレットの画面は平和そのものだった。昨日みたいに、他人の心の中まで覗き込むような暴走は、もう感じられない。

 窓の外では、今日も渋谷がめまぐるしく動いている。

 見たいものと、見られたいものが多すぎる街。だから、こういう妖はまた生まれるんだろう。

どこまで近づかせて、どこで線を引くか。

 答えは出ない。たぶん、ずっと出ない。

 でも、タブレットの画面は今日も静かだった。

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