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東京百鬼パレード 〜烏天狗アカリのお勤め日誌〜  作者: Studio_Anko


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第1話 東京スパイダー

 夜の東京を上空から見ると、街はひとつの生き物みたいに見える。

 車のライトが血管みたいに流れて、ビルの窓が無数の目みたいに光っている。風は高いところを渡りながら、地上のざわめきを拾ってくる。笑い声、ため息、怒鳴り声、秘密の相談。そういうものがぜんぶ混ざって、夜の匂いになる。

 東京の夜は、昼間とはまるで別の生き物に見える。

 昼は人間の街。夜は――まあ、妖たちの時間。そういう、普段は見えない境界の向こう側が、ふとした瞬間に滲み出すことがある。

 最近、子どもが消えているらしい。

 行方不明。未解決。理由不明。こういうのはだいたい、人の事件として処理される。家出だとか、誘拐だとか、事故だとか。人間の理屈で片づくなら、それでいい。むしろ、そのほうがいい。

 でも、今夜の風は少しうるさかった。

 耳障りなくらい、同じ噂を何度も何度も運んでくるから。

 消えた子ども。夜の塔。糸みたいな気配。

 そういうときは、大抵ろくなことにならない。

 街灯や電柱の上に、何羽ものカラスがとまっていた。黒い影が首を傾けて、こっちを見ている。人間はよく言うよね。カラスが集まると不幸が起きる、って。でも、あれは違う。不幸の印じゃない。

 情報が集まってるだけ。

 市場調査。マーケティング。そういうやつ。

 烏っていうのは、昔から空の上でいろんなものを見てきた。人の噂も、妖の気配も、風向きひとつで変わる街の機嫌も。だから烏天狗たちは、空から落ちてくる断片を拾って、つなげる。

 そして、烏が集めた情報は――こうやって使われる。

     *

 高尾山の夜は、東京の夜とはまるで違う。

 街の明かりは遠く、木々の隙間をすりぬける風だけが音を立てていた。枝の上に腰を下ろしていたアカリは、すぐ隣の幹に止まる黒い影を見た。

「また?」

 アカリはため息混じりに言った。

「最近、お勤め多くない?」

 クロマルはいつもの無表情で、短く答えた。

「風の噂が集まってる」

「風の噂ねえ」

 アカリは枝の上で足をぶらつかせた。

「人間の言う“噂”と、私たちのそれ、ぜんっぜん違うけど」

 クロマルの肩が、ほんの少しだけ揺れた。笑ったのかもしれない。でもこいつは、顔に出ない。

「親方様から、“東京タワー”周辺の偵察だ」

「偵察? 退治じゃなくて?」

「あくまでも様子見」

 そこでいったん言葉を切って、クロマルは続けた。

「それから……何もなければ、観光してもよい、と」

「……観光?」

「言っただろ、東京タワーだ。名物も多い。甘味もある」

「先にそれ言ってよ!」

 思わず身を乗り出すと、枝が大きく揺れた。

 クロマルは相変わらず真顔だったけど、たぶん、わざと順番を後にしたんだと思う。こういうところ、意外と性格が悪い。

 でも、東京タワーか。偵察任務に観光がついてくるなら、悪くない。もちろん、任務は任務だ。そこはちゃんとやる。やるけど――気分が上がるのは、しょうがないじゃん。

     *

 というわけで、東京タワー。

 芝公園の暗がりを抜けて、足元まで来るとやっぱり存在感が違う。夜空に突き立つ赤白の鉄骨は、網膜に焼き付くような鮮烈な赤を維持したまま、今でもちゃんと「東京の顔」をしていた。

 麓の『フットタウン』に足を踏み入れると、独特の熱気が肌を撫でる。

 昭和の残り香みたいな古いフロアワックスの匂いと、フードコートから流れてくる甘いワッフルの香ばしさ。その奥底に、半世紀以上の時を重ねた重厚な鉄の、冷たく乾いた匂いが確かに混じっている。

 (……あー。これ、ガイドブックで読んだ『典型』そのものだわ。足の裏から伝わってくる振動で分かっちゃう。観光地マニアのサガってやつ?)

 上りのエレベーターを降りてメインデッキに出ると、今度は視界が逆転する。

 足元には、深い闇を湛えた増上寺の森。そのすぐ隣には、六本木ヒルズの冷たく眩しい光の壁。聖域と消費が背中合わせに並ぶ、この歪な角度が大好きだ。

 「ガラスの床」に片足を乗せてみる。靴底を通して、塔が風を孕んで微かに唸る振動が伝わってきた。鉄の巨人が、夜の呼吸をしている。

「妖気は薄い。表向きは、ね」

 張りつめたものは何もない。異様な殺気も、濃すぎる瘴気も感じない。展望ラウンジのきれいに整えられた空気だ。だから少しだけ気が緩んだ。売店でソフトクリームを見つけたのがいけなかったのかもしれない。

「これこれ。東京タワー名物、マザー牧場ソフト」

 アカリは小さく笑って、ひと口すくった。

「おつとめ中だけど……これは別腹」

 冷たい、濃厚な甘さが舌に広がる。

 平和、今のところ。そう思った瞬間だった。

「……ん?」

 顔を上げる。

 さっきまでなかった匂いがした。甘いミルクの香りの奥に、細く湿った、嫌な匂いが混じっている。鉄骨の隙間に長年溜まった、陽の当たらない埃とカビの匂い。そこに、生き物の粘り気のある息が重なっている。

 耳の奥で、鉄が軋むのとは違う、微かな不協和音が鳴った。

 アカリはソフトクリームを持ったまま、その場に立ち止まる。

 人の流れは変わらない。笑い声も、シャッター音も、そのままだ。でも、見えない膜が一枚、空間のどこかに唐突に張られたみたいだった。

「さっきまで、こんな匂い、なかったよね」

 アカリは小さくつぶやいた。

 観光地マニアとしては、まだ見たいものも、食べたいものもある。けれど、やっぱり気になるのは、そういうことじゃない。

 視線の先に、薄暗い通路があった。明るいフロアから少しだけ外れた場所。案内も目立たず、人の気配も急に薄くなる。

 (……ははーん。ここだなぁ。完全に、入っちゃいけない場所……フラグってやつだけど。まあ、お勤めだしね)

 口では軽く言ってみせる。でも、羽の奥の神経はもう切り替わっていた。

「偵察任務、ここからは――潜入に切り替え」

 足音を殺して近づくたび、空気が重くなる。扉の前に立つと、さっきまで遠かった匂いが、はっきりわかった。糸。湿り気。閉じ込められた息。怖がった子どもが泣くのを堪えたあとの、あの胸につかえる匂い。

「大丈夫。今、助けてあげるから」

 自分に言い聞かせるみたいに呟いて、扉に手をかける。扉が、ぎ、と鈍く軋んだ。

 隙間から流れ出してきた空気は、もう観光地のものじゃなかった。

 暗い。冷たい。そして、静かだ。

 その静けさの中で、何かがかすかに揺れた。

 糸だ。

 「……あーあ。つーまーりー、これはもう、観光じゃ済まないやつってことね」

 扉を押し開ける。そこは部屋というより、巣だった。

 天井から床まで、白い糸が幾重にも張り巡らされている。空間そのものが、何かに乗っ取られているみたいだった。中心には、人ひとり包めそうな大きさの繭が、いくつも、いくつも。

 そのうちのひとつが、かすかに揺れた。

「大丈夫。今、助けるから」

 返事はない。でも、繭の中から、かすかな呼吸みたいな気配が伝わってきた。まだ生きている。

 アカリは足場を確かめて、一番近い繭へ狙いを定めた。糸だけを断つ。中身には触れない。加減を間違えたら終わりだ。

「……風刃」

 小さく唱えて、扇子を一閃する。鋭い風が白い糸だけを狙って走った。

 ぶつ、と音がして、吊るされていた繭が落ちる。続けて次、また次。角度を変えながら、子どもたちを包んだ糸を切っていく。

 なるほど。思ったより、ひどい。

「……生餌ってやつね。だーれーがこんな趣味の悪いこと考えたんだか……」

 口の中に嫌な苦みが広がる。その瞬間だった。

 部屋が、しん、と静まり返った。繭の揺れる音も、糸のこすれる音も、急に消える。何かが息を潜めた気配。

 来る。

 アカリは扇子を構え直した。

 次の瞬間、壁の暗がりが、ぬるりと動いた。黒い脚が、天井からも、壁からも、長く節くれ立ったものが突き出してくる。部屋そのものが裂けるみたいに、巨大な影が形を持ち始めた。

 多脚の異形。濁った眼。白い糸をまとい、古い怨念みたいな妖気を垂らしながら、そいつは這い出してきた。

「ニガス……モノカ……」

 低く濁った声が、巣の中に響く。

 (……はい、フラグ回収。最悪。完璧にフラグ回収しちゃったよ私……!)

 子どもたちはまだそこにいる。ここで派手にぶつかったら、巻き込む。土蜘蛛は信じられない速さで距離を詰めてきた。アカリは風をまとって横へ跳ぶ。さっきまで立っていた場所に脚が突き刺さり、床板が割れた。

 攻撃はできる。でも、やってはいけない。この距離、この空間で、子どもたちを抱えたままじゃ、風も火も大きく使えない。

「くっ……!」

 次の一撃を避けきれず、アカリはそのまま壁まで吹き飛ばされた。背中から叩きつけられて、息が止まる。

 痛い。けど、折れてはいない。アカリは歯を食いしばって起き上がる。視界の端で、子どもたちがまだ無事なのを見て、少しだけ息をつく。

 このままじゃ、じり貧だ。土蜘蛛は狭い場所の戦いに慣れている。

 そのとき、割れた壁の裂け目から、本物の外気が流れ込んできた。塔の鉄骨の間を吹き抜ける、鋭く渇いた風。

「……こっちだよ、欲張りさん」

 アカリはあえて大きな動作で袖を振り、土蜘蛛の濁った眼を正面から指差した。

 指先で小さく印を組み、威力を極限まで絞った『風刃』で、土蜘蛛の眉間を鋭く叩く。

 パシッ、と乾いた音がして、土蜘蛛の顔面に火花が散った。ダメージを与えるためじゃない。子供たちから物理的に注意を剥がし、自分だけを追わせるための挑発だ。

 土蜘蛛の喉が低く鳴り、その意識が明確にアカリへと固定される。

 (……最悪。この間ユウキと見たやつと、完全に一致してる……なんだっけ。見るのとやるのはちがうでしょ……!)

「よし。……外に出る!」

 確信した瞬間、体は裂け目へ飛び出していた。

 視界が弾け、地上150メートルの夜景が逆様さかさまに広がる。

 

 アカリは塔の外縁、剥き出しの赤い鉄骨を掴んだ。

 手のひらに吸い付くような凍てついたペンキの質感。指先に伝わるのは、風を切り裂く鉄の轟音と、巨大な楽器のように震える塔の鼓動だ。足元では、光の海と化した港区がどこまでも広がっている。

 

 ここなら。

 

「ここなら、遠慮なく術が使える」

 

 すぐ後ろで、鉄が歪む悲鳴が聞こえた。

 土蜘蛛が壁を破るようにして、赤い「骨」の上を這い出してくる。

「ニガサン……!」

 糸が飛ぶ。赤い鉄骨の格子をさらに細かく区切るように、白い粘着質の網が広がっていく。

 アカリは風の勢いを借りて垂直に跳び、鉄骨の継ぎ目を蹴った。

 面倒くさい。でも、燃えるなら、終わる。

 彼女は胸元から符を抜き取った。指先で挟んだ紙が、風に鳴る。

「符術、焔走」

 火が走った。ただ爆ぜるんじゃない。糸に沿って、一直線に駆けていく。白い蜘蛛糸が、赤い線を引いて燃え広がる。夜の塔に、蜘蛛の巣だけが浮かび上がった。

 アカリは風を集めた。火の熱が上昇気流を生み、そこに夜風が重なる。火と風が渦を巻き、空中に術式が立ち上がっていく。

「……今」

 扇子を振り抜く。火の輪郭が定まり、風が枠を閉じる。妖気だけを囲い込み、内側へ押し戻す。

「封印術・簡易赤壁陣」

 重い音が夜気を震わせた。赤い術陣が土蜘蛛を包み込む。もがく脚。散る糸。けれど、術式は崩れない。土蜘蛛の妖気が、少しずつ抜けていく。

 やがて、土蜘蛛は力を失ったように脚を落とした。濁った眼がゆっくりこちらを見る。

「ココ……オデノ……イエ……」

 かすれた声だった。

 イエ。ここが、こいつの住処だったのか。あるいは、そう思い込むほど追い詰められていたのか。

 その言葉の意味を考える前に、術が閉じた。妖気は跡形もなく消え、ただ夜風だけが戻ってくる。

     *

 室内へ戻ると、瘴気は嘘のように薄れていた。

 子どもたちは、まだ眠ったままだった。でも呼吸は落ち着いている。悪い夢の底から、ゆっくり浮かび上がるみたいな寝息だ。

「終わり……かな」

 アカリは小さくつぶやく。たぶん、自分に対してだ。

 子どものひとりの近くに膝をついて、顔色を確かめる。大丈夫そうだ。命までは奪われていない。

「大丈夫だよ。もう、悪い夢は覚めるからね」

 アカリはスマホを取り出した。画面に映る自分の顔が少し汚れている。

「あ、もしもし……警察ですか。はい。子どもたちの保護をお願いします。場所は――」

 説明を終えて、窓の外を見た。夜の端が少しだけ白んでいる。

 東京の朝は、夜を追い払うというより、何事もなかったみたいな顔で上書きしてくる。さっきまでここに妖の巣があったなんて、街の誰も思わない。

 羽音がした。クロマルが窓辺に降り立っていた。相変わらず、遅い。

「遅いよ。何にもしてないじゃん」

「そういうな。お勤め、どうだった?」

 アカリは立ち上がって言った。

「それが子どもをさらうなんて、露骨な理破りはおかしいよね」

 クロマルは否定しなかった。

 妖には妖の理がある。縄張りがあって、不文律がある。今回のような雑な攫い方は、地元で長く生きてる連中のやり方じゃない。

 何か引っかかる、言葉にしにくい違和感。

「クロマル。……最近、変な事件、多くない?」

 風が強く吹いた。耳の奥が、わずかに鳴る。

 クロマルはその風を受けながら、いつもの調子で答えた。

「親方様には報告しておこう。風の噂の数が多いことは把握している」

 それから、いつもの調子で次へ進もうとする。

「さて、次の話だが……」

「あー、今は聞きたくなーい」

 アカリは即答した。

 せめてこの後、甘いものでもしっかり食べてからだ。ソフトクリームを最後まで食べられなかった恨み、彼女はまだ忘れていなかった。

 でも。

 夜明け前の東京を見下ろしていると、胸のどこかが少しだけざわついていた。

 理を外れた土蜘蛛。

 増えすぎた風の噂。

 

 街は何も変わらない顔をしているのに、下のほうで何かが静かに軋み始めている。

 そんな音がした。アカリはその音を覚えておこうと思った。

 たぶん、これはまだ、最初のひとつに過ぎない。

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