第三章 監察官ルビチェック(3)
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彼女はエルンから提出された血まみれの『戦死者報告書』を大テーブルの資料から取り出す。この血は天幕に魔導砲弾が落ちたときのエルンの血だ。羊皮紙はその時の血に加え、今はエルンのよだれと涙まで滲みている。
「この報告書の内容を精査しました。……絶望的な筆致の乱れ方ですね。特にこの部分、バルガス将軍の容体欄。本来『Dead(死亡)』と記すべき場所が……どう見ても『Deed(功績)』になっています」
「ひっ、ひぃ……! あ、あの、それは、その……!」
エルンは弁明しようとしたが、恐怖で歯の根が合わない。カチカチと鳴る音が静かな部屋に空虚に響く。
(終わった。死ぬ。確実に死ぬ。今すぐ処刑されるか、良くてインク瓶に一生閉じ込められる終身刑だ……!)
リリアが立ち上がり、ゆっくりとエルンに歩み寄る。彼女の手には、彼女がいつも即決処刑の判決文に署名する黒光りする魔道ペンが握られていた。
「さらに不可解なのはあなたのこの筆跡です。震え、のたうちまわり、紙を突き破らんばかりの暴力的なまでの筆圧。……正直に言いなさい。なぜこれほどまでに、事実を歪曲したのですか?」
エルンの脳裏に、あの戦場の地獄が蘇る。鉄と肉がぶつかり合う音。至近距離で炸裂した魔導砲。揺れる大テーブル。滑るペン。
彼は絶望に耐えかね、叫ぶように本音を漏らした。
「そ、それは……! あの時は、もう……怖くて、怖くて……! 指が、オレの意志なんて無視して勝手に踊り狂って……! ただ、ただ『嫌だ! もうNoだ!』って思って……気がついたらあのように書いてしまっていたんですぅ……!」
エルンは顔を覆い、情けなく泣き崩れた。
リリアの動きが、ピタリと止まる。
「……『嫌だ』『Noだ』?」
日頃から鋭いリリアの瞳が、これまでにない鋭利さでエルンを見据えた。
沈黙が流れる。
(あ……死んだ、間違いなく)
エルンは死の宣告を待った。しかし、聞こえてきたのは感嘆の吐息だった。
「……そう、そういうことでしたのね、エルンスト……いや、エルンとお呼びしても?」
「え?」
エルンが恐る恐る顔を上げると、そこには驚くべき光景があった。
『生ける断罪』ことリリア・ルビ・ルビチェックが、その頬を林檎のように赤く染め、恍惚とした表情で報告書を抱きしめていたのだ。
エルンは驚愕した。
「『Dead(死)』という決定的な事実に、エルン、あなたは『No』を突きつけた。運命という残酷な原稿に、あなたはあえて『誤字』という名の反逆を書き加えた……。死んでしまった騎士たちを、理屈ではなく、情熱で救い出すために!」
「い、いや、ただのスペルミスで……」
「隠さないでエルン! この震えた筆跡……これは恐怖などではない。あまりにも巨大な魔力と慈愛を抑え込もうとした魂の共鳴! あなたはあえて字を崩すことで世界の『整合性』を破壊し、奇跡を割り込ませる隙間を作ったのですわ!」
リリアの迫力に圧倒され、エルンは椅子ごと二歩、三歩と後ずさりする。
「見てください、この『Deed』の最後の『d』の一画! まるで死神の鎌を跳ね返すような力強い撥ねです! これほどの前衛的な文字列、もはや報告書の枠を超えた、現実に牙を剥く叙事詩……! あなたはただの書記官ではない。運命を推敲する『神の校正者』だったのですね……!」
「ち、違……そんな大層なものじゃ……」
「ああ、なんて謙虚な方。これほどの大罪……いえ奇跡でしたわね。これほどの奇跡を起こしながら、あくまで『スペルミスだ』と言い張るその不敵な態度……。ゾクゾクしますわ」
リリアはバタンと巨大な魔道六法を閉じると、さっさと自分の荷物をまとめ始めた。近くにいた護衛兵はあっけに取られ、呆然と立ちすくんでいる。
「……今日のところは引き上げます。あなたのその『深淵すぎる意図』を読み解くには、私の言語学的な教養がまだ足りていないようです。ですが、覚えておきなさい」
彼女は天幕の出口の直前で立ち止まり、ツンとあごを引き、しかし熱く潤んだ瞳でエルンを振り返った。
「エルン。あなたの次の『誤字』……私、一文字たりとも見逃しませんから。あなたの書く世界を、一番近くで校閲……いえ監視させていただく権利、この私リリア・ルビ・ルビチェックが独占させていただきますわ!」
そう言い切ると、嵐のような勢いでリリアが天幕から去っていく。遠目から見てもリリアの頬は薔薇色に紅潮している。慌てて後を追う護衛兵。
静まり返った天幕で、エルンはガクガクと震える膝を押さえながら、半ばホッとしつつも不安げに呟いた。
「……今日のところは助かった、のか?……それともこれから、さらに面倒なことになるのか……むしろ処刑されるほうが、気が楽だったかもしれないな……」
ルビチェック監察官が第二重装騎士団に引き続き居座ることになった、というウワサは、たちまち騎士団中に広まった。事実、監察官は騎士団から徴発した天幕から動く気配はないという。
その理由についてリリア本人は「エルンスト書記官の尋問を継続し、かつ行動監視を行う必要があるため」と説明しているらしい。
尋問後、エルンは軟禁を解かれ、同様に軟禁されていたネネとアンも解放された。エルンの天幕にはネネにアン、それにバルガス騎士団長とヴァイスハイト卿が顔を揃えていた。
「かの御仁の横暴については、総務官からの訴えもあってわしからも紋章院に強く抗議したのだが、監察官め、まったく意に介さぬ! ……それにしてもエルン殿、よくぞ無事に切り抜けたな!」
「絶対、軟禁早々に即決処刑されたと思ってさー……わたしなんて軟禁中ずーっとエルンの天国での平安を祈ってたんだからね! それがコレだもんなー。なんか祈った分だけ損しちゃったじゃん!」
「書記官殿、いかにして彼奴の漆黒の魔道ペンの恐怖から逃げおおせたのか、ぜひこの老体にも御教示いただきたいがのう」
「あは、あははは……はぁ……」
(そんなの迂闊に話せるかよこのジジイ! ヘタにしゃべって監察官にバレたら、オレ何されるかわかんないじゃないか!)
「……なあエルン、ルビチェックはおまえが死んだ騎士を蘇らせたこと、理解しとったか?」
それまで他の人の話に加わらず黙っていたアンがようやく口を開くと、エルンにそんなことを尋ねた。
「あ、ああ……たぶんわかってたと思うぞ。『Dead(死亡)』と記すべき場所が『Deed(功績)』になってるって言ってたし……死ぬはずだった騎士たちを救い出した、とか言ってたと思うけど」
「ふーん、そうなんか……それでも処刑は免れた、と。……うーん、なるほど」
その答えを聞いたアンには、何か含むところがあるようだったが、その後は何も言わず、ただ黙って何かを考えているようだった。




